世界 18世紀
1701年〜1800年 / 掲載 31 件
年表
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1703年
ピョートル1世、ネヴァ河口のザーヤチー島にペトロパヴロフスク要塞の建設を始める——サンクトペテルブルク建都の日とされる、露暦1703年5月16日のことだった
起工の日にピョートルが現地にいたかどうかは、記録をたどると実はよく分からない。
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1732年
ジョージ・ワシントンは、ユリウス暦(旧方式)で1731年2月11日に生まれた——英国の改暦により、誕生日は西暦(グレゴリオ暦)1732年2月22日として祝われることになった
ワシントンの誕生日『2月22日』は、実は改暦という歴史的事件の産物であり、原典の日付は2月11日である。
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1752年
英国のグレゴリオ暦採用 — 天文学がわからない伯爵が、11日間を消した夜
「天文学は分からない」と認めた伯爵の法案は、270年後の今も英国の税年度を4月6日にした一因とされる。暦の変更は、思わぬ形で未来に痕跡を残す。
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1755年
ポンバル侯爵は地震の翌年、全国の教区へ13の質問を送ったという
死者数さえ一つに定まらない大惨事に、宰相は感情ではなく13の質問による調査で応えた。
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1759年
ロバート・バーンズは、1759年1月25日、スコットランド・アロウェイに生まれ、父が自らの手で建てた小屋で最初の7年間を過ごした——彼の誕生日を祝う集いを始めた友人たちは、最初の年、日付を取り違えて4日違いの1月29日に祝っていた
誕生日を祝う「バーンズ・ナイト」は、最初の年こそ日付を間違えて1月29日に開かれていた。
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1765年
英議会、印紙法を制定 — 貴族院の同意は3月8日、国王裁可は病身のジョージ3世に代わり王室委員が行った3月22日
『代表なくして課税なし』を掲げた反発は、病気の国王に代わり王室委員が裁可した法律から始まった。
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1770年
ボストン虐殺事件 — 英軍兵士の発砲でボストン住民5人が死亡、呼び名は事件直後から争われた
英兵の発砲で住民5人が死んだ夜を「虐殺」と呼んだのは誰か——その呼び方自体に、独立への道のりが刻まれている。
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1773年
ウィリアム・ヘンリー・ハリソンは、1773年2月9日、ヴァージニアのバークレー・プランテーションで生まれたとされる——史上最短とされる大統領在任期間ののち、死因は肺炎か腸性熱かで近年の医学史的再検証が対立している
史上最短の在任期間で死去した大統領の死因は、肺炎説と近年の腸性熱説とで見解が分かれている。
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1773年
サミュエル・アダムズが立ち上がると、ボストンの一団は先住民に扮して港の茶船へ向かった
同じ出来事でも、同時代人の評価は「歴史の画期」への称賛と「財産への攻撃」への疑念に分かれた。呼び名「茶会」も後年のものだった。
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1775年
パトリック・ヘンリー、『自由か死か』演説 — 議場に残っていたのは、42年後に甦った聴衆の記憶だった
今も引用される「自由か死か」の一句は、42年後に呼び覚まされた聴衆の記憶から甦った言葉だった。
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1775年
レキシントン・コンコードの戦いが1775年4月19日に勃発——最初に発砲したのは英軍か民兵か、今も特定されていない
「世界に響いた銃声」を最初に放ったのが英軍か民兵かは、今も特定されていない。
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1775年
バンカーヒルの戦いが1775年6月17日に勃発——名前の由来となった丘ではなく、隣のブリーズヒルが主戦場だった
名前のもとになった丘と、実際に要塞が築かれ激戦となった丘は、別の丘だった。
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1776年
バージニア権利章典、1776年6月12日に採択——他州に最も影響を与えたのは、2週間前に流布した委員会草稿とされる
他州に広まり最も影響を与えたのは、議会が制定した最終版ではなく、2週間早く流布した委員会草稿だったとされる。
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1777年
大陸会議、合衆国の国旗を定める決議を採択
決議は旗の縞と星の数を定めたが、星の並べ方までは決めなかった。
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1777年
ジョージ・ワシントン率いる大陸軍、バレーフォージでの越冬を開始
『餓死の冬』として語られるバレーフォージだが、記録上、餓死者は確認されておらず、実態は兵站の機能不全だったとする再評価がある。
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1781年
天王星の発見
彗星のつもりで見つけたものが、太陽系の新たな一員になった。
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1781年
ワシントンとロシャンボーは、ウィリアムズバーグを発ってヨークタウンを包囲した
ヨークタウンで英軍が降伏した日、独立戦争はまだ正式には終わっていなかった。
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1781年
コーンウォリスは、ヨークタウンでの降伏の儀式にオハラを代理に立てた
降伏した将軍コーンウォリスは、自らの次席指揮官オハラに、儀式で英軍を代表するよう指示した。
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1783年
モンゴルフィエ兄弟、アノネーで熱気球の公開無人飛行——アカデミーの公式報告書が記す日付は、広く知られる「6月4日」ではなく「6月5日」だった
広く知られる「6月4日」という日付は、気球を調査したアカデミー自身の報告書には、実は出てこない。
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1783年
ワシントンは、大陸軍への告別命令で8年に及ぶ独立戦争での軍務の終わりを告げた
「ワシントンの告別」と呼べる場面は複数あり、1783年11月2日の全軍への命令書はそのひとつに過ぎない。
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1783年
綱につながれることなく、ロジエとダルランドはパリの空を渡った——モンゴルフィエ気球、初の有人自由飛行
気球に人が乗って空へ上がったのは、まず綱つきから。綱につながれない「自由飛行」は、同じ年のうちに実現した。
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1783年
英軍、ニューヨークから撤退——大陸軍を率いてワシントンが入城した1783年11月25日
かつて州で最も重要な市民的祝日だった「エバキュエーション・デー」は、今では「忘れられたことで記憶される祝日」と呼ばれる。
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1787年
フィラデルフィア憲法制定会議、7邦の代表団が定足数に達して開会——予定の5月14日から11日遅れ、ワシントンを議長に選出
ワシントン選出は満場一致だったが、開会までには定足数待ちで11日もかかった。
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1789年
アメリカ合衆国憲法は、1789年3月4日、新政府がその下での手続をニューヨークで開始した——フィラデルフィアでの署名(1787年9月17日)、9邦目ニューハンプシャーの批准(1788年6月21日)とは、いずれも別の日付である
合衆国憲法には、署名・9邦目の批准・新政府始動という、少なくとも3つの異なる日付がある。
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1789年
フレッチャー・クリスチャンは1789年4月28日、バウンティ号で反乱を起こしブライ艦長ら19人を小型ボートで漂流させた——ブライは3618海里の航海の末、6月14日にティモール島へ生還した
小型ボートで海に出されたブライ艦長は、3618海里を航海して6月14日にティモール島へ生還した。
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1790年
ベンジャミン・フランクリンが1790年4月17日に死去——死の2か月前、奴隷制度廃止を求める請願を連邦議会に送っていた
ブリタニカが「建国の父」と評するフランクリンは、若年期に奴隷を所有した過去を持ちながら、死の2か月前、奴隷制度廃止を求める請願を連邦議会に送っていた。
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1791年
1791年12月5日、モーツァルトがウィーンで死去した——死因は今も論争が続き、後世は「サリエリの毒殺」という伝説を生んだ
死因を確定できないまま200年以上が過ぎ、後世は「毒殺」という物語を求め続けた。
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1791年
ジェームズ・マディソンの提案は下院で17箇条、上院で12箇条に絞られ、1791年12月15日、ヴァージニアの批准で10箇条が権利章典になった
権利章典は一度に成立したのではない。12箇条のうち10箇条は1791年に成立し、残る2箇条のうち1箇条は203年後の1992年に成立した。
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1792年
すずかけ協定(ボタンウッド協定)の締結——ニューヨークの24名のブローカーが交わした誓約書を、ニューヨーク証券取引所は自ら「公式な創立」と位置づける
NYSEが「公式な創立」と位置づける1792年の誓約書は、組織も名称も持たない、24名による手数料協定だった。
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1793年
マリー・アントワネットは革命裁判所で死刑を宣告され、その日のうちに処刑された
証拠が乏しくても判決は覆らなかったと、処刑を記録するフランス政府自身の資料が伝える。
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1796年
1796年5月14日、エドワード・ジェンナーが8歳の少年に牛痘を接種し、同年7月の天然痘再接種で免疫を科学的に実証した——牛痘接種(種痘)そのものは、先行例(1774年、ベンジャミン・ジェスティ)が知られている
ジェンナーの牛痘接種は世界初のワクチンの実演とされる——牛痘接種そのものには20年以上前の先行例があった。