1703年世界 18世紀

ピョートル1世、ネヴァ河口のザーヤチー島にペトロパヴロフスク要塞の建設を始める——サンクトペテルブルク建都の日とされる、露暦1703年5月16日のことだった

日付と暦

原典表記
1703年5月16日(ユリウス暦)
換算
1703-05-27(グレゴリオ暦)
掲載日
5月16日のページ

暦の注記: この出来事は当時のロシアが用いていたユリウス暦(露暦)の1703年5月16日に起きた(グレゴリオ暦〔新暦〕換算: 1703年5月27日)[SRC-02190][SRC-02191][SRC-02216]。本サイトでは 05-16 のページに掲載している。換算値は、サンクトペテルブルク百科事典の2項目(「St. Peter and Paul fortress」「Founding of St. Petersburg」)と、ロシア大統領図書館の記念日解説が、いずれも直接明記する値による[SRC-02190][SRC-02191][SRC-02216]。

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概要

1703年、ロシアのツァーリ、ピョートル1世は、スウェーデンとの北方戦争のただなかで、ネヴァ川河口の要塞ニエンシャンツを攻め落とした後、ネヴァ川下流のザーヤチー島(野兎島)に新たな要塞の建設を始めた[SRC-02191][SRC-02192][SRC-02193][SRC-02217]。ユリウス暦(露暦)で1703年5月16日、グレゴリオ暦(新暦)に換算すると5月27日にあたるこの日が、ペトロパヴロフスク要塞の起工日であり、サンクトペテルブルク建都の日とされている[SRC-02190][SRC-02191][SRC-02197][SRC-02216]。ただし、この起工の儀にピョートル自身が実際に居合わせたのかという点については、出典間で記述が分かれている(異説・論争欄)[SRC-02191][SRC-02192]。

本文

当時、ロシアはスウェーデンとの北方戦争のただなかにあった(1700年に開戦し、1721年まで続いたという)[SRC-02192][SRC-02217]。1703年4月24日〜26日(ユリウス暦)、ロシア軍元帥シェレメーチェフが2万の兵でネヴァ川河口近くのスウェーデンの要塞ニエンシャンツに迫り、包囲を開始した[SRC-02193][SRC-02217]。この攻囲の最中、ピョートル1世自身も近衛部隊7個中隊とともに舟でネヴァ川を進み、指揮を引き受けたという[SRC-02193]。要塞司令官が「戦わずに降伏せよ」との勧告を拒んだため、4月30日(ユリウス暦。グレゴリオ暦5月11日)にロシア軍は砲撃を開始し[SRC-02193][SRC-02217]、守備隊の火薬庫が誘爆したことで降伏が早まり、要塞は5月1日(ユリウス暦。グレゴリオ暦5月12日)に陥落した[SRC-02193][SRC-02217]。ピョートルはこの地を「シュロットブルク(城市)」と改称した[SRC-02193][SRC-02217]。

サンクトペテルブルク百科事典やロシアの文化史に関するメディア記事は、ニエンシャンツ要塞の陥落後、ピョートルが河口近くのザーヤチー島に新たな要塞(都市)を築くことを決めたと記す[SRC-02191][SRC-02192]。要塞の設計計画はピョートル自身が定めたものだったとされ[SRC-02190][SRC-02191][SRC-02216]、1703年の最初の土塁・木造の堡塁は、ピョートルとその側近たちの直接の監督のもとで「大急ぎで」築かれたという[SRC-02190]。この起工の日——ユリウス暦1703年5月16日(新暦5月27日)——が、サンクトペテルブルク建都の日とされている[SRC-02190][SRC-02191][SRC-02216]。要塞は当初、オランダ語に由来する「サンクト・ペーテルス・ブルフ(聖ペトロの要塞)」の名で呼ばれ、ここから都市名「サンクトペテルブルク」が広がっていったという[SRC-02191]。同年6月29日には要塞内に聖ペトロ・聖パウロ両使徒に捧げる教会が据えられ、これが要塞の通称「ペトロパヴロフスク(ペトロ・パウロの)」の由来になったとされる[SRC-02191]。

この起工の儀にピョートル自身が居合わせたかどうかは、出典によって記述が異なる。サンクトペテルブルク百科事典の項目は「ピョートルの計画に基づく要塞の設置は、1703年5月16日(27日)、ツァーリの臨席のもとで行われた」と明記する[SRC-02191]。米国のロシア美術博物館(TMORA)の展示解説も、ピョートルが野兎島で芝を十字形に切り「ここに都市を築く」と宣言したと記す[SRC-02197]。一方、ロシアの文化史を扱うメディア記事は、ピョートルが発した布告や書簡の発出地の記録(「トラックログ」)によれば、起工式のまさにこの日、彼の所在地はシュロットブルク(旧ニエンシャンツの地)であったとし、起工式へのピョートル臨席、ひいては「鷲が頭上を飛んだ」という逸話を「完全な神話」と評する[SRC-02192]。本サイトはいずれの説も断定せず、出典に帰属させて併記する(詳細は異説・論争欄)。

歴史的背景

ネヴァ川河口の地は、1703年以前から無人の湿地ではなかったという[SRC-02192]。1300年にはスウェーデンの要塞ランツクローナが、1611年にはそれに代わってニエンシャンツ要塞が築かれ、周囲にはスウェーデンの町ニエンが形成されていたとされる[SRC-02192]。ニエンシャンツ要塞がネヴァ川とオフタ川の合流点に築かれていたことは、ロシア大統領図書館の記録でも確認できる[SRC-02217]。ピョートルは、ロシアの軍事的なプレゼンスを確立し、バルト海への出口を確保するために、この地に新たな都市を築こうとしたとされる[SRC-02192]。

ペトロパヴロフスク要塞は、当初からスウェーデン軍の再侵攻に備える防御拠点として計画されたが、実際に戦闘の舞台になることはなかったという[SRC-02197]。要塞は6つの堡塁を持つ城塞形式で、「ゴスダレフ(君主の)」と、ピョートルの側近(ナルイシキン・トルベツコイ・ゾートフ・ゴロフキン・メンシコフ)それぞれの名が付けられたという[SRC-02190]。1704年にはアドミラルティ要塞の建設も始まり、建設・常駐のための人々の移住も進んだという[SRC-02191]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1703年4月24日〜26日(ユリウス暦) ロシア軍元帥シェレメーチェフがニエンシャンツ要塞を包囲。ピョートル1世自身も攻囲の指揮を引き受けたという [SRC-02193][SRC-02217]
1703年4月30日(ユリウス暦。グレゴリオ暦5月11日) ロシア軍が砲撃を開始 [SRC-02193][SRC-02217]
1703年5月1日(ユリウス暦。グレゴリオ暦5月12日) ニエンシャンツ要塞が降伏。ピョートルは地名を「シュロットブルク」と改称 [SRC-02193][SRC-02217]
ユリウス暦1703年5月16日(新暦5月27日)(本記事の主題) ザーヤチー島でペトロパヴロフスク要塞が起工。サンクトペテルブルク建都の日とされる。ピョートル臨席の有無は出典間で異なる [SRC-02190][SRC-02191][SRC-02192][SRC-02197][SRC-02216]
1703年6月29日(ユリウス暦) 要塞内に聖ペトロ・聖パウロ両使徒に捧げる教会が据えられる [SRC-02191]
1703年10月(ユリウス暦) 木造の要塞「サンクト・ペーテルス・ブルフ」が10月までに築き上がっていたという(原文は期限の表現) [SRC-02191]
1704年(ユリウス暦) アドミラルティ要塞の建設が始まる(本記事の射程外) [SRC-02191]
1914年(本記事の射程外) 都市の正式名称が「ペトログラード」に改められる [SRC-02194][SRC-02196]
1924年1月26日(本記事の射程外) レーニンの死去を受け、都市名が「レニングラード」に改められる [SRC-02195]
1991年6月12日・9月6日(本記事の射程外) 住民意識調査と最高会議幹部会の決定を経て、都市名が「サンクトペテルブルク」に戻る [SRC-02195]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
要塞起工の儀へのピョートル1世の臨席 サンクトペテルブルク百科事典の項目は「ツァーリの臨席のもとで(in the Tsar's presence)」行われたと明記する。米国のロシア美術博物館(TMORA)の展示解説も、ピョートルが現地で芝を十字形に切り宣言したと記す [SRC-02191]/[SRC-02197] 百科事典項目は歴史学者2名(アニーシモフ・パヴレンコ)の専門書を参考文献に挙げるが、本記事はその専門書自体を未確認であり、記述は百科事典項目自身の記述にとどまる。博物館の公式展示解説として記されているが、一次資料の直接引用ではない
同上 ロシアの文化史メディア記事は、ピョートルが発した布告・書簡の発出地の記録(1703年5〜6月のものがいずれもシュロットブルク〔旧ニエンシャンツの地〕で署名されている)を根拠に、起工式当日のピョートルの所在をシュロットブルクとし、臨席を前提とする「鷲が頭上を飛んだ」という逸話を「完全な神話」と評する [SRC-02192] 単独出典(メディア記事)による見解であり、学術的な査読を経た記述ではない。本記事が確認した範囲では、この記事が挙げる「布告・書簡の発出地の記録」そのもの(原史料)には到達できていない
上記2説の関係 — — 本サイトはどちらの説も断定せず、出典に帰属させて併記する。サンクトペテルブルク建都にまつわる最も有名な逸話(ピョートル親臨・鷲の伝説)の史実性そのものが出典間で争われている点を、本記事は明示する(本サイトの整理)

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

ペトロパヴロフスク要塞の起工は、ロシアがバルト海沿岸に築いた新たな拠点の出発点であり、この地に形成された都市は、1712年にロシアの首都となり、200年以上にわたってその地位を保ったという(都市の首都化・展開そのものは本記事の射程外である)[SRC-02192][SRC-02216]。要塞の呼称も時代とともに変遷した[SRC-02190]。出典によれば要塞の正式名称は「サンクトペテルブルク要塞」であり、1914年以降は「ペトログラード要塞」と呼ばれ、1917年には「ペトロパヴロフスク(聖ペトロ・パウロの)要塞」の名が定着したという[SRC-02190]。

この出来事を巡っては、都市の「誕生」を象徴する逸話(創設者本人の臨席、芝を十字に切る儀式、頭上を飛ぶ鷲)が広く語られてきたが、これらの逸話の史実性そのものが出典間で一致していない点も、本記事が示すとおりである[SRC-02191][SRC-02192][SRC-02197]。

現代の視点

都市や国家の「創設の物語」には、しばしば創設者個人の決断的な行為が強調される逸話が伴う。サンクトペテルブルクの場合も、博物館の展示解説は、ピョートル1世が自らの手で芝を十字に切り、都市の建設を宣言したと記す[SRC-02197]。しかし、本記事が確認した出典の中には、ピョートル自身の布告・書簡の発出地という記録に基づいて、この逸話に疑問を投げかける見解も存在する[SRC-02192]。どちらの見解が最終的に正しいかを本サイトが判定するものではないが、よく知られた建都の逸話であっても、史料への接地を確認する作業自体に意味があることを、この事例は示している(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-02190] St. Peter and Paul fortress/Saint Petersburg Encyclopaedia (encspb.ru)(ランクC)
  2. [SRC-02191] Founding of St. Petersburg/Saint Petersburg Encyclopaedia (encspb.ru)(ランクC)
  3. [SRC-02192] Debunking 5 myths about how St. Petersburg was built/Russia Beyond / Gateway to Russia (ANO "TV-Novosti")(ランクC)
  4. [SRC-02193] Взятие крепости Ниеншанц. 12 мая 1703/Центральный военно-морской музей (Central Naval Museum, Ministry of Defence of the Russian Federation)(ランクA)
  5. [SRC-02194] Petrograd/Saint Petersburg Encyclopaedia (encspb.ru)(ランクC)
  6. [SRC-02195] Leningrad/Saint Petersburg Encyclopaedia (encspb.ru)(ランクC)
  7. [SRC-02196] Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments/UNESCO World Heritage Centre(ランクS)
  8. [SRC-02197] Peter and Paul Fortress and Cathedral (Online Exhibition: Imperial St. Petersburg — Architectural Visions)/The Museum of Russian Art (TMORA), Minneapolis(ランクA)
  9. [SRC-02216] Anniversary of the foundation of St. Petersburg. The Day of the city/Presidential Library (Boris Yeltsin Presidential Library), Russian Federation(ランクA)
  10. [SRC-02217] Nyenschantz Swedish fortress seized by Russian troops/Presidential Library (Boris Yeltsin Presidential Library), Russian Federation(ランクA)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-07あり
22026-10-07あり
32026-10-07あり
42026-10-07あり
52026-10-07なし

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