江戸時代
1603年〜1868年 / 掲載 16 件
年表
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1615年
大坂城本丸が落城 — 本多正純が7日後に記した、大坂夏の陣最後の一日
本丸落城の一報が、近江国柏原の新庄直忠のもとへ届くまで7日かかったと、書状に添えられた史料集編者の注記は記す。
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1655年
正使趙珩は、江戸城の大広間で徳川家綱と向き合った
江戸城での将軍謁見という儀式の一日は、幕府自身の記録に細部まで刻まれていた。
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1669年
シャクシャインの戦い、寛文9年6月——松前藩の交易政策に反発したアイヌ民族が蝦夷地各地で蜂起、和議の席でシャクシャインが死去
和議の呼びかけに応じて会談に出てきたシャクシャインらは、その場で殺害された。
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1703年
赤穂浪士の討ち入り — 大石内蔵助が動いた夜、日付は二つに分かれた
『いつ』の答えは、日付の数え方次第で変わる。赤穂浪士の討ち入りは、暦の境界そのものを問う出来事でもあった。
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1707年
壊滅的被害を受けた地域を歩いた土佐藩士は、日本最大級とされる地震の記録を書き残した
マグニチュードも死者数も、出典によって今なお大きく異なる数字が伝えられている。
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1804年
華岡青洲は、通仙散による全身麻酔下で乳がん摘出手術を行った
『世界初の全身麻酔手術』と語られるが、その中身は事典によって世界か日本かで揺れている。
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1837年
大塩平八郎の乱、蜂起 — 陽明学者が掲げた「救民」の旗
陽明学者の蜂起はわずか1日で鎮圧されたが、その衝撃は幕府の屋台骨を揺るがした。
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1855年
母を案じて行動した水戸藩士は、江戸を襲った大地震で命を落とした
死者数も地震の規模も、公的な記録の中で今なお複数の数字が併存している。
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1859年
橋本左内は評定所で死罪を申し渡され、その日のうちに小伝馬町牢屋敷で処刑された
死罪の申し渡しと処刑は、同じ日のうちに行われた。
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1859年
吉田松陰は老中間部詮勝の暗殺計画を血盟し、安政6年10月27日、伝馬町の獄で処刑された
死罪の直接の契機は、江戸での取り調べで老中暗殺計画が明らかになったことだったとされる。
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1860年
桜田門外の変 — 大老・井伊直弼、江戸城門前で暗殺される
登城途中、雪の中でわずか数分のうちに大老が討たれた事件は、幕府の権威を揺るがす転機になったとされる。
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1865年
徳川慶喜らが朝廷を説得し、条約は勅許されたが、兵庫開港の取り止めなど条件がついた
条約は勅許されたが、兵庫開港の取り止めなど条件がつけられた。
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1867年
徳川慶喜は大政奉還の上表文を朝廷に提出し、政権を返上した
政権を返上したその日、慶喜には新政体のもとで実権掌握を図るという別の計算もあったと見る学術資料がある。
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1868年
鳥羽・伏見の戦い、開戦 — 戊辰戦争の火ぶたが切られた日
戊辰戦争の号砲は、王政復古からひと月足らず後に鳴った。一枚の錦の御旗が、新政府軍の士気を大いに高めた。
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1868年
五箇条の御誓文の発布 — 明治天皇、維新政府の基本方針を天神地祇に誓う
「広く会議を興し」の一句は、理想化される前は大名会議をめぐる駆け引きの産物だったとされる。
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1868年
江戸城無血開城 — 西郷隆盛と勝海舟の会談で、総攻撃が中止された
江戸城が無血で明け渡された背景を、出典は複数の要因の重なりとして記す。