ワシントンは、大陸軍への告別命令で8年に及ぶ独立戦争での軍務の終わりを告げた
日付と暦
- 原典表記
- 1783年11月2日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1783-11-02(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 11月2日のページ
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概要
1783年11月2日、大陸軍総司令官ジョージ・ワシントンは、ニュージャージー州ロッキーヒルの本営から、大陸軍全体に宛てて「大陸軍への告別命令」を発した[SRC-00703][SRC-00704]。8年に及んだ独立戦争での軍務を終えるにあたり、出身州の異なる将兵が結束したことを「ひとつの愛国者の兄弟団(one patriotic band of Brothers)」になったと表現した[SRC-00703][SRC-00705]。この文書は、同年3月15日のニューバーグ演説、12月4日のフランセス酒場での別れ、12月23日の委任状返上、1796年の大統領告別演説とは、いずれも異なる文書・場面である[SRC-00706][SRC-00707][SRC-00708][SRC-00709]。
本文
大陸会議は1783年10月18日付の布告で、従軍していた兵の除隊と、休暇中の士官の退役を認めた[SRC-00703]。この布告はすでに新聞等で周知されていたが、ワシントンは総司令官として最後にもう一度、全軍に語りかけた[SRC-00703]。11月2日、ロッキーヒルの本営から発せられたこの命令書は「合衆国の諸軍に、今一度、そしてこれを最後に語りかけ、愛情を込めた長い別れを告げる」["to address himself once more, and that for the last time, to the Armies of the United States ... and to bid them an affectionate—a long farewell"]と書き出され、出身州の異なる将兵が結束したことを「ひとつの愛国者の兄弟団」になったと讃えたうえで、「総司令官はまもなく軍務を退く」["the Commander in Chief is about to retire from service"]と結ばれる[SRC-00703]。命令書本文は宛先を「the Armies of the United States」と表現し「Continental Army」の語は使っていないが[SRC-00703]、目録・解説類はこれを大陸軍への命令と紹介する[SRC-00704][SRC-00705]。
歴史的背景
この命令に先立つ1783年9月3日、パリ条約が調印されたが[SRC-00705]、大陸会議による批准を経て独立戦争が公式に終結したのは1784年1月14日であり[SRC-00705]、11月2日の時点では未批准だった。命令書自身が根拠として引くのは、大陸会議が10月18日に発した、従軍していた兵の除隊と士官の退役を認める布告である[SRC-00703]。ワシントンはこの布告を受け、各地に分散していく将兵へ最後の言葉を届けたと考えられる(命令書冒頭が将兵について「どれほど広く分散していようとも」["however widely dispersed the Individuals who composed them may be"]と述べている点からの、本サイトの整理)[SRC-00703]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1783年3月15日(グレゴリオ暦) | ニューバーグで、給与・年金への不満から反乱を呼びかける請願を巡り集まった士官らに、ワシントンが演説(ニューバーグ演説。本記事が扱う11月の告別命令とは別の文書) | [SRC-00706] |
| 1783年9月3日(グレゴリオ暦) | パリ条約調印 | [SRC-00705] |
| 1783年10月18日(グレゴリオ暦) | 大陸会議、戦争のために従軍していた兵の除隊と休暇中の士官の退役を認める布告を発する | [SRC-00703] |
| 1783年11月2日(グレゴリオ暦) | ワシントン、ロッキーヒルの本営から「大陸軍への告別命令」を発する(本記事が扱う出来事) | [SRC-00703][SRC-00704] |
| 1783年12月4日(グレゴリオ暦) | ニューヨークのフランセス酒場で、ワシントンが将校らに直接別れを告げる(口頭の別れであり、告別命令とは別の場面) | [SRC-00707] |
| 1783年12月19日(グレゴリオ暦) | ワシントン、アナポリスに到着 | [SRC-00709] |
| 1783年12月23日(グレゴリオ暦) | ワシントン、アナポリスで大陸会議に総司令官の委任状を返上(告別命令とは別の場面) | [SRC-00705][SRC-00709] |
| 1784年1月14日(グレゴリオ暦) | 大陸会議がパリ条約を批准し、独立戦争が公式に終結 | [SRC-00705] |
| 1796年9月19日(グレゴリオ暦・13年後) | 大統領ワシントンが退任にあたり「告別演説」を発表(本記事が扱う1783年の告別命令とは別の文書) | [SRC-00708] |
暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦(イギリス・北米植民地は1752年の改暦以降グレゴリオ暦を用いており、1783年・1784年・1796年の事象はすべてグレゴリオ暦の範囲内にある)。改暦境界(1582年10月・明治5年)には該当しない。
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
本記事が調査した範囲では、この命令書が「誰が・いつ・どこで・何を目的として発したか」という内容そのものについて、対立する学説は確認できなかった。ただし、文書の伝存・確定状況に関しては、次の点に留意が必要である。
国立公文書館が運営するFounders Onlineは、本文書のページ末尾に「これはThe Papers of George Washingtonの編纂プロジェクトによるEarly Access文書であり、最終的な校訂版ではない」["This is an Early Access document from The Papers of George Washington. It is not an authoritative final version."]と明記して公開している[SRC-00703]。また、議会図書館の目録によれば、この文書は同館が所蔵するジョージ・ワシントン文書のうち「ヴァリック筆写本(Varick Transcripts, 1775-1785)」と呼ばれるシリーズの一部として目録化されている[SRC-00704]。この目録記録とFounders Online公開テキストとの伝本関係(同一の写しに由来するか、別系統の写しか)は、本記事が確保した出典からは確認できない。本記事の引用は、Founders Online公開テキストに基づく。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 公開されている一次資料の確定性 | Founders Online公開テキストは編纂プロジェクトの暫定版(Early Access)であり、最終的な校訂版ではない | [SRC-00703] | 編纂主体(国立公文書館・大学出版局)自身による明記 |
| 文書の伝存形態 | 議会図書館所蔵の「ヴァリック筆写本(Varick Transcripts)」というシリーズの一部として目録化されている(Founders Online公開テキストとの伝本関係は出典からは確認できない) | [SRC-00704] | 議会図書館の目録記述による |
関連する出来事
- 1783年3月15日、ニューバーグで、給与・年金への不満から反乱を呼びかける請願を巡り集まった士官らに、ワシントンが演説した(ニューバーグ演説)[SRC-00706]。
- 1783年9月3日、パリ条約が調印された[SRC-00705]。
- 1783年10月18日、大陸会議が戦争のために従軍していた兵の除隊と休暇中の士官の退役を認める布告を発した[SRC-00703]。
- 1783年12月4日、ワシントンはニューヨークのフランセス酒場で将校らに直接別れを告げた[SRC-00707]。
- 1783年12月23日、ワシントンはアナポリスで大陸会議に総司令官の委任状を返上した[SRC-00705][SRC-00709]。
- 1784年1月14日、大陸会議がパリ条約を批准し、独立戦争が公式に終結した[SRC-00705]。
- 1796年9月19日、大統領ワシントンは退任にあたり「告別演説」を発表した。本記事の1783年の告別命令とは別の文書である[SRC-00708]。
関連人物
- ジョージ・ワシントン(じょーじ・わしんとん): 大陸軍総司令官として8年に及ぶ独立戦争での軍務を終えるにあたり、1783年11月2日にロッキーヒルの本営から「大陸軍への告別命令」を発した[SRC-00703]。同年12月23日には大陸会議に総司令官の委任状を返上した[SRC-00705][SRC-00709]。
- 大陸軍(たいりくぐん): この命令の名宛人。独立戦争を戦った、出身州の異なる将兵からなる軍[SRC-00703][SRC-00704][SRC-00705]。
歴史的意義
この告別命令は、大陸軍総司令官が全軍に向けて公に発した、軍務を退く意思の表明である[SRC-00703]。ワシントンはこの約7週間後の12月23日、アナポリスで大陸会議に総司令官の委任状を正式に返上した[SRC-00705][SRC-00709]。Mount Vernonは、この委任状返上について、同時代人の多くがワシントンを、権力を自ら手放しローマへ帰農した古代ローマの英雄キンキナトゥスになぞらえたと紹介している[SRC-00709]。11月2日の告別命令は、この一連の軍務終了の過程における、大陸軍全体に向けた区切りであったと位置づけられる(本サイトの整理)。
現代の視点
本記事が扱う1783年11月2日の命令書と、1796年9月19日の大統領告別演説は、13年の隔たりがあり、前者は大陸軍総司令官という立場から発せられた文書である一方、後者は合衆国大統領が退任にあたって発表した、政治的な内容を含む文書である[SRC-00703][SRC-00708]。ワシントンの「告別」と呼べる場面がこのように複数存在することは、個々の史料に当たって初めて見えてくる点である(本サイトの整理)。
出典一覧
- [SRC-00703] Washington's Farewell Address to the Army, 2 November 1783/Founders Online, National Archives(ランクS)
- [SRC-00704] George Washington to Continental Army, November 2, 1783, Farewell Orders (George Washington Papers, Series 3, Varick Transcripts, Subseries 3B, Letterbook 16)/Library of Congress, Manuscript Division(ランクS)
- [SRC-00705] Continental Army(George Washington's Mount Vernon デジタル百科事典)/George Washington's Mount Vernon(ランクA)
- [SRC-00706] Newburgh Address: George Washington to Officers of the Army, March 15, 1783(George Washington's Mount Vernon)/George Washington's Mount Vernon(ランクA)
- [SRC-00707] George Washington's Farewell to His Officers(Fraunces Tavern Museum)/Fraunces Tavern Museum(ランクA)
- [SRC-00708] George Washington's Farewell Address: Primary Documents in American History(Library of Congress Research Guide)/Library of Congress(ランクA)
- [SRC-00709] Resignation of Military Commission(George Washington's Mount Vernon デジタル百科事典)/George Washington's Mount Vernon(ランクA)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-05 | — |
| 2 | 2026-09-05 | あり |
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