1776年世界 18世紀
バージニア権利章典、1776年6月12日に採択——他州に最も影響を与えたのは、2週間前に流布した委員会草稿とされる
日付と暦
- 原典表記
- 1776年6月12日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1776-06-12(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 6月12日のページ
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概要
1776年6月12日、バージニア植民地の首都[SRC-01749]ウィリアムズバーグで開会していたバージニアの第5回会議は、全16条からなる「バージニア権利章典」を全会一致で可決した[SRC-02410][SRC-02411][SRC-02412]。主たる起草者はジョージ・メイソンで、同年5月下旬に最初の草稿(約10条)を書き、トマス・ラドウェル・リーら委員会がさらに条項を加えた[SRC-02412]。この会議は5月15日、バージニア代表に独立を求める決議を可決しており、新たな統治のための社会契約として、まず権利の宣言を、続いて統治の仕組み(憲法)を定める必要があると考えていた[SRC-02412]。Encyclopedia Virginiaによれば、他州に実際に最も影響を与えたのは、議会が制定したこの最終版ではなく、2週間前の6月上旬に大西洋沿岸で広く流布していた委員会草稿だったとされる[SRC-02412]。採択までの間に、第1条の文言は「生まれながらに平等に自由」から「自然において平等に自由」へ書き改められ、「社会状態に入るとき」という句が新たに加わった[SRC-02412][SRC-02414]。
本文
バージニアの第5回会議は1776年5月6日、ウィリアムズバーグで開会した[SRC-02412]。5月15日、会議はバージニア代表に大陸会議で独立を求める決議を可決し、同時に権利章典と統治の仕組み(憲法)を起草する委員会を設けた[SRC-02412][SRC-02414]。ジョージ・メイソンはこの委員会で主導的な役割を担い、5月下旬、10の条項(セクション)からなる最初の草稿を書いた[SRC-02412]。これにトマス・ラドウェル・リーと委員会が他の措置を加えた[SRC-02412]。Gunston Hallの記録によれば、さらに8の提案が委員会によって加えられた草稿が、5月27日に会議へ示された[SRC-02414]。
この委員会草稿は6月上旬、大西洋沿岸の各植民地に印刷・配布された[SRC-02412]。Encyclopedia Virginiaは、この早期に流布した委員会草稿こそが他州に最も大きな影響を与え、2週間後に会議が制定した最終版ではなかったと特記している[SRC-02412]。会議はその後も討議と修正を重ね、6月12日、全会一致で権利章典を可決した[SRC-02410][SRC-02411][SRC-02412][SRC-02413]。
採択に至る間に、第1条の文言には変化があった。メイソンの草稿は「すべての人は生まれながらに平等に自由かつ独立しており、一定の固有の自然権を有する」と記していたが、採択された最終文は「すべての人は自然において平等に自由かつ独立しており、社会状態に入るとき、いかなる契約によっても子孫から奪い去ることのできない一定の固有の権利を有する」という文言になった[SRC-02410][SRC-02412][SRC-02414]。「社会状態に入るとき」という句の挿入について、Library of Virginiaは、バージニアの被奴隷人を宣言の保護対象から除外するためだったと記しており、Encyclopedia Virginiaの学術本文はこれを断定せず、疑問形で同様の論点を提示している(異説・論争欄参照)[SRC-02412][SRC-02415]。
歴史的背景
会議は5月15日、バージニア代表に大陸会議で独立を求める決議を可決した[SRC-02412][SRC-02414]。Encyclopedia Virginiaによれば、会議の代表たちは、おそらく「自然状態」に戻ったと捉え、新たな社会契約——まず人間の自然権の宣言から始まり、続いて統治の仕組み(憲法)の制定へと進む——を組み立てる必要があると考えた[SRC-02412]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1776-05-06(グレゴリオ暦) | バージニアの第5回会議がウィリアムズバーグで開会 | [SRC-02412] |
| 1776-05-15(グレゴリオ暦) | 会議が独立を求める決議を可決。権利章典と憲法の起草委員会を設置 | [SRC-02412][SRC-02414] |
| 1776-05-20頃〜26(グレゴリオ暦) | ジョージ・メイソンが最初の草稿(約10条)を執筆 | [SRC-02412][SRC-02414] |
| 1776-05-27(グレゴリオ暦) | 委員会による加筆を経た草稿が会議に示される(Gunston Hallの記録) | [SRC-02414] |
| 1776-06上旬(グレゴリオ暦) | 委員会草稿が印刷され大西洋沿岸の各植民地に流布。他州への影響はこの版によるとされる | [SRC-02412] |
| 1776-06-12(グレゴリオ暦) | 会議が権利章典を全会一致で可決 | [SRC-02410][SRC-02411][SRC-02412][SRC-02413] |
異説・論争定説のない論点があります
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 権利章典が可決された日付は6月12日か、6月11日か | 説1(6月12日): Avalon Project、NARA、Encyclopedia Virginia、Library of Virginia、およびGunston Hall自身が公開する最終文テキストページの日付ラベルがいずれもこの日付を記す。説2(6月11日): 同じGunston Hallが公開する別ページ(最初の草稿の解説ページ)の本文は、この日付を記す | 説1: [SRC-02410][SRC-02411][SRC-02412][SRC-02413][SRC-02415]。説2: [SRC-02414] | 採択日を記す6件の出典すべてが6月12日を記す。そのうち1件(Gunston Hallの草稿解説ページ)は、同じページの冒頭でのみ6月11日とも記しており、同一ページ内での記述の不一致がある。本サイトは5系統が独立に一致する6月12日を採択日として採用する。6月11日はGunston Hall自身のページ内での記述の不一致として記録する |
| 第1条への「社会状態に入るとき」という句の挿入は、被奴隷人を除外する意図だったか | 説1: Library of Virginiaは、議会がバージニアの被奴隷人を宣言の保護対象から除外するためにこの句を加えたと、ヘッジのない直接的な記述で述べる。説2: Encyclopedia VirginiaのGrades 11+区画(執筆者Daniel Dreisbachの署名本文)は、同様の見方を断定せず「そう理解すべきか」という疑問形で提示する | 説1: [SRC-02415]。説2: [SRC-02412] | 両出典とも、被奴隷人が宣言のいう「社会状態」に入っていないと当時見なされていた点では一致する。相違は断定の強さにある。学術的厳密さを示す署名本文(Grades 11+区画)が疑問形を用いていることを踏まえ、本記事はこの論点を確定した事実としては扱わない |
関連する出来事
- 1776年5月15日、バージニアの第5回会議が大陸会議代表に独立を求める決議を可決し、同時に権利章典と憲法の起草委員会を設置した[SRC-02412]
- NARA・Encyclopedia Virginiaによれば、トマス・ジェファーソンはこの数週間後、独立宣言の冒頭段落(平等と基本的権利に関する文言)を書く際、この宣言の文言を参照したとされる[SRC-02411][SRC-02412]
- NARA・Encyclopedia Virginiaによれば、この宣言は他の植民地に広く模倣され、合衆国憲法の各州批准会議での議論を経て、1789年の第1回連邦議会における合衆国権利章典(1791年発効)の起草論議を形作ったとされる[SRC-02411][SRC-02412]
関連人物
- ジョージ・メイソン(じょーじ・めいそん): バージニア権利章典の起草の主たる担当者。1776年5月下旬に最初の草稿を書いた[SRC-02412]
- ジェームズ・マディソン(じぇーむず・までぃそん): 起草委員会の一員。Encyclopedia Virginiaによれば、信教の自由に関する条項をメイソンの原案より大きく書き改めたとされる[SRC-02412]
- トマス・ラドウェル・リー(とます・らどうぇる・りー): 起草委員会の一員。Encyclopedia Virginiaによれば、メイソンが書いた最初の草稿に他の措置を加えたとされる[SRC-02412]
歴史的意義
NARA・Encyclopedia Virginiaは、この宣言がトマス・ジェファーソンによる独立宣言の文言、および1789年の合衆国権利章典の起草論議に影響を与えたと記している[SRC-02411][SRC-02412]。Encyclopedia Virginiaはさらに、フランス人権宣言(1789年)や国連世界人権宣言(1948年)にも影響を与えたとする見方があることを紹介している[SRC-02412]。これらはいずれも各機関・各出典自身の評価であり、本サイトが独自に検証した因果関係ではない。
現代の視点
Encyclopedia Virginiaは、「すべての人は自然において平等に自由」と宣言した同じ1776年のバージニアで、奴隷制度が維持されていたという緊張関係を、当時のバージニアには認識していた人々がいたと記している[SRC-02412]。Library of Virginiaによれば、起草者であるジョージ・メイソン自身も、生涯にわたってガンストン・ホールほかの所有地で300人を超える人々を奴隷として所有していた[SRC-02415]。この緊張関係をどう評価するかは現代の歴史解釈に属する論点であり、本記事はEncyclopedia Virginia・Library of Virginiaの記述を紹介するにとどめ、本サイト独自の評価は付さない。
出典一覧
- [SRC-02410] Virginia Declaration of Rights; June 12, 1776/The Avalon Project, Lillian Goldman Law Library, Yale Law School(ランクA)
- [SRC-02411] The Virginia Declaration of Rights/National Archives and Records Administration(ランクS)
- [SRC-02412] The Virginia Declaration of Rights/Encyclopedia Virginia, Virginia Humanities(ランクB)
- [SRC-02413] The Virginia Declaration of Rights [Final Draft, 12 June 1776]/Gunston Hall(ジョージ・メイソンの旧居。史跡・博物館)(ランクA)
- [SRC-02414] The Virginia Declaration of Rights [First Draft, ca. 20-26 May 1776]/Gunston Hall(ジョージ・メイソンの旧居。史跡・博物館)(ランクA)
- [SRC-02415] George Mason and the Virginia Declaration of Rights/Library of Virginia(バージニア州立図書館・公文書館)(ランクA)
- [SRC-01749] The Speech: It May Not Be the One That Patrick Henry So Famously Made/Colonial Williamsburg Foundation(The Colonial Williamsburg Journal, Winter 2002–2003号)(ランクA)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-08 | — |
| 2 | 2026-10-09 | あり |
| 3 | 2026-10-09 | あり |
訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。