1765年世界 18世紀

英議会、印紙法を制定 — 貴族院の同意は3月8日、国王裁可は病身のジョージ3世に代わり王室委員が行った3月22日

日付と暦

原典表記
1765年3月22日(グレゴリオ暦)
換算
1765-03-22(グレゴリオ暦)
掲載日
3月22日のページ

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概要

1765年3月22日、英議会は北米植民地とカリブ海の英領プランテーションにおける証書・遺言状・船舶書類などの法律文書、パンフレット、新聞、さらにトランプやサイコロにまで印紙税を課す印紙法を成立させた[SRC-01740][SRC-01743][SRC-01745]。財務大臣が同年2月に法案を庶民院へ提出し、庶民院では実質的な反対はほとんどなく、貴族院は3月8日に修正を加えず同意した[SRC-01740]。国王裁可は3月22日に行われたが、国王ジョージ3世は病気のためパーラメントに出席できず、裁可は本人ではなく王室委員による代理(by commission)で与えられた[SRC-01740]。課税は同年11月1日から適用されることになっていたが[SRC-01744][SRC-01745]、植民地側は「代表なくして課税なし(No Taxation without Representation)」を掲げて激しく抵抗し、印紙法は翌1766年3月18日に廃止された[SRC-01741]。同日、英議会は宣言法を制定し、あらゆる場合において植民地を立法する権限を持つと再確認した[SRC-01741]。

本文

七年戦争は戦費のかさむ戦争であり、フランスはケベックを含む北米の全領有地と、アパラチア山脈からミシシッピ川までのあいだで主張していた土地を失って終結し、英国政府は北米に大規模な軍を駐留させる必要に迫られたとUK Parliamentは記す[SRC-01741]。HISTORYは、この戦争(七年戦争、1756-63年)により英帝国が深刻な債務を抱えていたと記す[SRC-01743]。HISTORYはまた、この税収の一部が北米に駐留する数個連隊の英軍の維持費に充てられる予定であり、また密輸事件で有罪評決を出すことに消極的だった植民地の陪審を避けるため、印紙法の違反者は陪審のない海事裁判所(vice-admiralty courts)で裁かれる規定だったと記す[SRC-01743]。Gilder Lehrman Institute of American Historyは、印紙法違反の被疑者は陪審のない海事裁判所で訴追され、英帝国内のどこであれ審理される可能性があったと記す[SRC-01745]。Britannicaは、ポンティアック戦争(1763-64年)が植民地辺境の入植地に与えた壊滅的な打撃も、フレンチ・インディアン戦争の勝利によって生じた膨大な新たな防衛負担に追い打ちをかけ、財務大臣ジョージ・グレンヴィルは、1764年の砂糖法と印紙法をあわせた税収で、これらの費用の少なくとも半分をまかなうことを見込んでいたと記す[SRC-01742]。一方HISTORYは、グレンヴィルを「財務府第一卿・首相(British first lord of the treasury and prime minister)」と記し、砂糖法に続いて印紙法を提案したのち、パーラメントはこの法律を「審議なしに(without debate)」可決したと記す[SRC-01743]。

UK Parliamentは、この法律の成立過程を段階別に記録している。1765年2月、財務大臣が法案を庶民院へ提出し、印紙税を北米植民地・西インド諸島のプランテーションにおける法律文書・パンフレット・新聞、さらにサイコロやトランプにまで課すことをめざした[SRC-01740]。庶民院ではこの法案への実質的な反対はほとんどなく("little real opposition")、複数の請願が提出されたもののいずれも却下されたとUK Parliamentは記す[SRC-01740]。貴族院は1765年3月8日、この法案を修正なく可決した[SRC-01740]。国王裁可は同月22日に行われたが、国王ジョージ3世が病気でパーラメントに出席できなかったため、この裁可は国王本人ではなく王室委員による代理(by commission)で与えられたとUK Parliamentは記す[SRC-01740]。イェール大学ロースクールAvalon Projectが公開する法律本文の翻刻は、この法律が「国王(the King's most excellent majesty)」「貴族院(the lords spiritual and temporal)」「庶民院(commons)」の三者の「advice and consent(助言と同意)」により制定されるという、英国の立法における通例の制定文形式をとることを示す[SRC-01744]。同法が定める課税は、1765年11月1日から適用されることになっていた[SRC-01744][SRC-01745]。

印紙法に対し、植民地側は激しく抵抗した。UK Parliamentは、植民地の人々が「代表なくして課税なし(No Taxation without Representation)」を主張し、パーラメントに自分たちを代表する議員を持たないまま課税されることは英国の国制に反すると訴えたと記す[SRC-01741]。これに対し英国政府は、選挙権を持たない多数の英国臣民や、パーラメントに議席を持たないバーミンガムやマンチェスターのような都市の住民と同様、植民地の住民も「仮想代表(virtual representation)」によって代表されているのであり、庶民院議員はどこにいる英国臣民のためにも立法すると反論したとUK Parliamentは記す[SRC-01741]。これに対し植民地側は、自分たちにはすでに植民地議会という、建国以来法律と税を決めてきた選挙で選ばれた立法機関があり、この植民地議会こそが自分たちにとってのパーラメントに等しいと再反論したとUK Parliamentは記す[SRC-01741]。HISTORYも同様に、植民地側は自分たちの代表議会だけが直接税を課すことができると主張し、選挙権を持たない英国臣民もパーラメントに「仮想代表」されているという英国政府の主張を拒んだと記す[SRC-01743]。ヴァージニアでは、後に勇名を馳せることになるパトリック・ヘンリーが植民地議会(House of Burgesses)へ一連の決議を提出し、パーラメントの課税権を否定して印紙法への抵抗を呼びかけ、この決議は各植民地の新聞に転載されて急進的な主張を広めたとHISTORYは記す[SRC-01743]。マサチューセッツのブレイントリーでは、ジョン・アダムズが起草した決議が、「この課税は国制に反すると考える。自由人はいかなる税についても、本人が直接か代理を通じて同意しない限り、これに服する義務を負わないというのが、我々が常に理解してきた国制の大原則である」と述べたとBritannicaは記す[SRC-01742]。ボストンでは、印紙法反対を掲げる住民が「サンズ・オブ・リバティー」を名乗り、印紙配布人アンドリュー・オリヴァーの人形を街頭で引き回して自由の木から吊るし、首をはねたうえでオリヴァーの自宅を襲撃し、オリヴァーは配布人の任命を辞退したとHISTORYは記す[SRC-01743]。Britannicaも、サンズ・オブ・リバティーが1765年夏に結成され、印紙官への瀝青塗りと羽根まぶし、王室総督の取り巻きと目された富裕層の邸宅や倉庫の襲撃を行ったと記す[SRC-01742]。

UK Parliamentは、印紙法がパーラメントが可決した中でも最も物議を醸した法律の一つとなり、数か月にわたる抗議とボイコットが英国の貿易に打撃を与えた末、1766年3月18日に廃止されたと記す[SRC-01741]。廃止と同日、英議会は宣言法を制定し、あらゆる場合において植民地を立法する権限と権威を持つと再確認したとUK Parliamentは記す[SRC-01741]。Britannicaは、この廃止が、植民地向け輸出の落ち込みに苦しむ英国の商人・製造業者からの撤回請願の奔流という圧力に押されたものであり、貴族院の意向には主に反する形で1766年初頭に行われたと記し、同時に英議会は宣言法を制定して、帝国内のいかなる場所に対しても「あらゆる場合において(in all cases whatsoever)」直接課税する権利を再主張したと記す[SRC-01742]。HISTORYも、抵抗により多くの印紙配布人が強要のもとで職を辞任し、港町では印紙用紙を積んだ船が積み荷を降ろさせてもらえず、英国政府が印紙法を施行することは不可能になり、1766年にパーラメントはこれを廃止したと記す[SRC-01743]。

歴史的背景

英国は伝統的に、輸入・輸出への規制と関税によって植民地貿易を統制してきたが、18世紀前半のあいだこの体制の取り締まりは緩んでいたとHISTORYは記す[SRC-01743]。1764年の砂糖法を皮切りに、英国政府は植民地への統制を強め始めたとHISTORYは記す[SRC-01743]。印紙法は、貿易品への関税ではなく植民地住民へ直接課される税である点で、従来の課税とは性格が異なっていたとHISTORYは記す[SRC-01743]。Gilder Lehrman Institute of American Historyは、印紙法が42の個別規定と、徴税・執行・違反の罰則に関する少なくとも63の追加条項・規定からなる法律であり、教科書がしばしばその内容を短い要約に切り詰めてしまうのには理由があると記す[SRC-01745]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
グレゴリオ暦・1765年2月 財務大臣が印紙法案を庶民院へ提出。実質的な反対はほとんどなく、提出された請願は却下された [SRC-01740]
グレゴリオ暦・1765年3月8日 貴族院が法案に修正を加えず同意 [SRC-01740]
グレゴリオ暦・1765年3月22日 国王裁可(国王ジョージ3世は病気のため王室委員が代理)。印紙法が成立 [SRC-01740]
グレゴリオ暦・1765年10月 9植民地の代表がニューヨークに集まり印紙法会議(Stamp Act Congress)を開催。パーラメントは植民地貿易を規制する権限を持つが、代表を欠く植民地に課税する権限は持たないとの立場をまとめた [SRC-01742][SRC-01745]
グレゴリオ暦・1765年11月1日 印紙法が定める課税の適用開始日 [SRC-01744][SRC-01745]
グレゴリオ暦・1766年1月 英国滞在中のベンジャミン・フランクリンが、庶民院委員会による4時間・174問の質問に答弁 [SRC-01741]
グレゴリオ暦・1766年3月18日 印紙法が廃止され、同日、宣言法(英議会があらゆる場合において植民地を立法する権限を持つと再確認する法律)が制定 [SRC-01741]
異説・論争定説のない論点があります

調査範囲は本記事が挙げた6件の出典(英国議会自身が運営する解説2件、Encyclopaedia Britannica、HISTORY、イェール大学ロースクールAvalon Project、Gilder Lehrman Institute of American History)に限る。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
庶民院での審議の様子 実質的な反対はほとんどなく("little real opposition")、複数の請願が提出されたが却下された UK Parliament 英国議会自身の解説による記述
庶民院での審議の様子 パーラメントは審議なしに("without debate")この法律を可決した HISTORY 同一の庶民院での審議という場面について、UK Parliamentの記述より反対の少なさを強調する記述。本サイトはどちらの記述が正確かを判定せず併記する
印紙法廃止における貴族院の姿勢 廃止は「主に貴族院の意向に反して(largely against the wishes of the House of Lords)」行われた Britannica 本記事が挙げた他の5件の出典(UK Parliament 2件・HISTORY・Avalon Project・Gilder Lehrman)はこの点に触れていない。本サイトはBritannica単独の記述として紹介するにとどめる

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

UK Parliamentは、印紙法が「パーラメントがこれまでに可決した法律の中でも最も物議を醸した法律の一つ」になったと評価し、その後の抗議とボイコットが1766年の廃止に至ったと記す[SRC-01741]。HISTORYは、印紙法が提起した課税と代表をめぐる問題が植民地との関係を悪化させ続け、10年後、植民地側が武装蜂起するに至ったと評価する[SRC-01743]。Britannicaも、印紙法への抗議が、独立戦争へ向けた統一の機運と組織化に大きく寄与したと評価する[SRC-01742]。本サイトはこれらを各出典自身の評価として紹介するものであり、印紙法から独立戦争への因果関係の強弱そのものを本サイト独自の判断として断定しない。

現代の視点

「代表なくして課税なし」という標語は、印紙法をめぐる論争のなかで植民地側が掲げた主張として記録されているとUK Parliamentは記す[SRC-01741]。Gilder Lehrman Institute of American Historyは、印紙法が42の個別規定と63以上の追加条項・規定からなる法律であり、教科書の短い要約はその複雑さの多くを切り捨ててしまうと指摘する[SRC-01745]。本サイトはこの法律の詳細な条文そのものよりも、その制定手続き(病気の国王に代わる王室委員の代理裁可)と、植民地側の反発の論理(代表なくして課税なし)を中心に扱った。

出典一覧

  1. [SRC-01740] The Stamp Act, 1765/UK Parliament(Living Heritage)(ランクA)
  2. [SRC-01741] The Stamp Act and the American colonies 1763-67/UK Parliament(Living Heritage)(ランクA)
  3. [SRC-01742] Stamp Act | History, Definition, Facts, & Riots/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  4. [SRC-01743] Stamp Act - Fact, Reaction & Legacy/HISTORY(A&E Television Networks)(ランクB)
  5. [SRC-01744] Great Britain : Parliament - The Stamp Act, March 22, 1765/The Avalon Project, Yale Law School(ランクA)
  6. [SRC-01745] The Stamp Act, 1765/The Gilder Lehrman Institute of American History(ランクA)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-28—
22026-09-28あり
32026-09-28あり

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