サミュエル・アダムズが立ち上がると、ボストンの一団は先住民に扮して港の茶船へ向かった

日付と暦

原典表記
1773年12月16日(グレゴリオ暦)
換算
1773-12-16(グレゴリオ暦)
掲載日
12月16日のページ

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概要

1773年5月、英国議会は経営難の東インド会社を救済するため茶法を制定した。新税は課さなかったが、同社に植民地への茶の実質的な独占販売権を与えるものだった[SRC-00968][SRC-00970]。同年11月から12月にかけ、ダートマス号・エレノア号・ビーバー号の3隻がボストンに入港し、荷揚げの可否をめぐって集会が繰り返された[SRC-00970]。12月16日、オールド・サウス教会での集会の末、トマス・ハッチンソン総督が積み荷を降ろさぬままの船の出港を拒むと、サミュエル・アダムズは国を救うために住民にできることはもうないと告げて席を立った[SRC-00970]。これを合図に、先住民(モホーク)に扮した一団がグリフィンズ・ワーフへ向かい、3隻の船に乗り込んで積み荷の茶を海に投棄した[SRC-00968][SRC-00969][SRC-00970]。

本文

投棄された茶箱の数は史料により342箱[SRC-00968]とも340箱・約90,000ポンド[SRC-00970]とも記され、参加者数も「数十人」[SRC-00968]から「30〜60人」[SRC-00970]、「100人を超える」[SRC-00969]、「約100人」[SRC-00973]まで幅がある。扮装は、実行者自身の身元を隠すためと、私有財産の破壊についてボストンの町が非難されるのを避けるためだったが、実際に功を奏したのは身元の秘匿のみだったと記される[SRC-00968]。

一報は1774年1月19日に英国へ届いた[SRC-00973]。当時ロンドンでマサチューセッツ下院の代理人を務めていたベンジャミン・フランクリン[SRC-00973]は、同年3月22日の書簡で「茶の暴力的な破壊」がロンドンのあらゆる党派をマサチューセッツに対して結束させたと記し、賠償がなされることへの期待を書き添えた[SRC-00972]。同年2月にも、私有財産を破壊する必要があるように見えることへの憂慮と、償われない「暴力的な不正行為」が戦争の口実にされかねないとの懸念を記した書簡を送ったとされる[SRC-00973]。

一方、事件の翌朝である12月17日、ジョン・アダムズは日記に「これはあらゆる行動の中でも最も壮大な動きだ……私はこれを歴史における一時代の画期と考えざるを得ない」と記した[SRC-00971]。同じ日記の中でアダムズは「もっとも、これはあくまで財産への攻撃にすぎない」とも記し、行為の必要性を自問したうえで「絶対的かつ不可欠だった」と結論づけている[SRC-00971]。

英国議会はこの事件への処罰として、ボストン港の閉鎖を含む「強制諸法」を制定した[SRC-00968][SRC-00970]。この措置は植民地を独立へ一歩近づけ、第一次大陸会議の招集を促した[SRC-00968][SRC-00969]。

歴史的背景

1767年のタウンゼンド諸法は紙・ガラス・茶などに関税を課し、1770年に茶を除いて撤廃された[SRC-00970]。経営難に陥っていた東インド会社を救済するため、1773年の茶法は通常の関税を経ずに植民地へ直接茶を販売する権利を同社に認めた[SRC-00970]。この措置は密輸業者を含む植民地商人を害する一方、茶そのものへの課税権限は維持するものであり、植民地側の「代表なくして課税なし」という反発を再燃させた[SRC-00970]。東海岸の他の港でも東インド会社の茶の陸揚げを阻む動きが見られたが、ボストンはその中でも茶を破壊するという手段に踏み切った点で際立っていた[SRC-00968]。もっとも、茶の破壊自体は植民地の他の地域でも起きており、ボストンの町はとりわけ厳しい処罰の対象とされた(詳細な内容までは今回の調査範囲に含めていない)[SRC-00970]。

タイムライン

日付(グレゴリオ暦) 出来事 出典
1773-05-10 英国議会が茶法を可決 [SRC-00970]
1773-11-28 茶船ダートマス号がボストンに入港 [SRC-00970]
1773-12-03 茶船エレノア号がボストンに入港 [SRC-00970]
1773-12-07 茶船ビーバー号がボストンに入港 [SRC-00970]
1773-12-16 オールド・サウス教会での集会の末、その夜3隻の船から茶が投棄される [SRC-00968][SRC-00970][SRC-00971]
1774-01-19 事件の一報が英国に到達 [SRC-00973]
1774年2月上旬(推定) フランクリンが東インド会社への弁済を促す書簡を送ったとされる [SRC-00973]
1774-03-22 フランクリンがトマス・クッシング宛の書簡で事件を「暴力的な破壊」と記す [SRC-00972]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

私有財産の破壊という手段の当否について、同時代人の間でも評価は分かれており、本サイトはいずれの評価が正しいかを判定しない。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
私有財産の破壊という手段の当否 正当な抵抗権の発露であり、歴史における画期と評価する立場(同時代よりジョン・アダムズ) ジョン・アダムズは日記に「これはあらゆる行動の中でも最も壮大な動きだ」「歴史における一時代の画期」と記した[SRC-00971] 今日「愛国的な市民的不服従」として称える見方が広く流布する[SRC-00973]一方、当時から評価は一様ではなかった[SRC-00973]
(同上) 私有財産の破壊であり正当化しがたいとする立場(同時代よりベンジャミン・フランクリン、マサチューセッツ州マーシャルフィールドの決議およびフリーポートの住民) フランクリンは1774年3月の書簡で「暴力的な破壊」と記した[SRC-00972]。同年2月には東インド会社への弁済を進言し「暴力的な不正行為」との懸念を記したとされる[SRC-00973]。マーシャルフィールドの決議は「違法かつ不当」と非難し、フリーポートの住民は「野蛮な本性の発露」と非難したとされる[SRC-00973] 歴史学者ベンジャミン・カープは植民地内の反応が「入り混じっていた」と評する[SRC-00973]。本サイトはいずれの評価にも与しない
積み荷・参加者の数量 茶箱342箱、参加者「数十人」とする説 米国立公文書館博物館の記述[SRC-00968] 出典間で数値が食い違う(同一事件をめぐる史料間の記述の相違)
(同上) 茶箱340箱・約90,000ポンド、参加者「30人から60人」とする説 マサチューセッツ歴史協会の記述[SRC-00970] 学術的な決着を確認できておらず、本サイトは両説を併記する(調査範囲: 上記2機関の公式解説。個別の学術論文による数量の再検証は今回の調査範囲に含めていない)

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

事件への英国側の強い処罰(強制諸法)は、植民地の世論を奮い立たせ、第一次大陸会議の招集、そして独立革命へと至る道筋の一つの画期になった[SRC-00968][SRC-00969][SRC-00970]。もっとも、この行為の当否そのものは同時代から意見が分かれており、本サイトはどちらの評価が正しいかを判定しない(上記「異説・論争」参照)。また、「ボストン茶会」という呼び名自体、当時のものではなく、事件から半世紀ほどのち、19世紀に入ってから定着した後年の呼称である[SRC-00968][SRC-00973]。当時は単に「茶の破壊」と呼ばれていた[SRC-00973]。

現代の視点

「ボストン茶会」という名は今日、広く知られた歴史用語として定着しているが、これは19世紀に入ってから用いられるようになった呼称であり、事件そのものの当時の呼び名ではなかった[SRC-00968][SRC-00973]。本稿の射程はあくまで1773年の出来事とその直後の反応という18世紀の事件史に限られ、20世紀以降の政治的言説の当否には立ち入らない(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-00968] 250th Anniversary of the Boston Tea Party/National Archives Museum(米国立公文書館博物館)(ランクA)
  2. [SRC-00969] Boston Tea Party Etiquette/The Text Message(米国立公文書館 テキスト記録部門ブログ)(ランクA)
  3. [SRC-00970] Explore MHS Collections Relating to the Boston Tea Party/Massachusetts Historical Society(マサチューセッツ歴史協会)(ランクA)
  4. [SRC-00971] Diary of John Adams, volume 2 — 1773. Decr. 17th./Massachusetts Historical Society(Adams Papers Digital Edition)(ランクS)
  5. [SRC-00972] Benjamin Franklin to Thomas Cushing, 22 March 1774/Founders Online, National Archives(The Papers of Benjamin Franklin編集プロジェクト・イェール大学出版局/米国哲学協会)(ランクA)
  6. [SRC-00973] Why Some Founding Fathers Disapproved of the Boston Tea Party/HISTORY(A&E Television Networks)(ランクB)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-06
22026-09-06あり
32026-09-06あり

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