1796年世界 18世紀

1796年5月14日、エドワード・ジェンナーが8歳の少年に牛痘を接種し、同年7月の天然痘再接種で免疫を科学的に実証した——牛痘接種(種痘)そのものは、先行例(1774年、ベンジャミン・ジェスティ)が知られている

日付と暦

原典表記
1796年5月14日(グレゴリオ暦)
換算
1796-05-14(グレゴリオ暦)
掲載日
5月14日のページ

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概要

エドワード・ジェンナー(1749-1823)は、イギリス・グロスターシャー州バークレーで開業医を務めていた[SRC-02177][SRC-02180]。1796年5月14日、ジェンナーは、健康な、8歳くらいの少年の腕に、2か所の浅い切開を通じて物質を接種した[SRC-02174]。用いた物質は、近隣の農場で働く乳搾りの女性サラ・ネルムズの手にできた牛痘の膿疱から採取したものだった[SRC-02174][SRC-02175]。少年は接種7日目に脇の下の不快感を、9日目には軽い悪寒・食欲不振・頭痛を訴えたが、翌日には回復した[SRC-02174]。同年7月1日、ジェンナーはこの少年に天然痘(人痘)の物質を接種して免疫の有無を試験したが、発病はみられなかった[SRC-02174][SRC-02175]。ジェンナーはこの牛痘接種(のちに種痘=vaccinationと呼ばれる)の成果を、1798年、私費で刊行した著作『牛痘の原因と効果に関する研究』にまとめた[SRC-02174][SRC-02179]。この少年は、後世の伝記的・博物館解説的資料ではジェームズ・フィップスと同定されているが、ジェンナー自身の著作には氏名の記載がない[SRC-02174][SRC-02175][SRC-02176]。この牛痘接種は世界初のワクチンの実演とされ[SRC-02175]、少年はジェンナーによる最初の被接種者と位置づけられているが[SRC-02176]、牛痘を人に接種すること自体は、ジェンナーに先立つ1774年、イギリス・ドーセット州の農夫ベンジャミン・ジェスティが自身の家族に行った例が知られている(詳細は異説・論争欄)[SRC-02178]。

本文

ジェンナーは、セヴァーン・ヴェイル[SRC-02181]で田舎医師として働く中で[SRC-02177]、乳搾りの女性の肌の色つやについての詩的な言及を知っており、ある乳搾りの女性が牛痘にかかったため天然痘への免疫があると語るのを聞いたという[SRC-02177]。ジェンナーは、天然痘流行時の乳搾りの女性たちの経験を十数年にわたり注意深く観察した上で、1796年5月、牛痘の物質を少年へ移す接種を行った[SRC-02177]。

サラ・ネルムズは、近隣の農場で働く乳搾りの女性で、1796年5月、主人の牛から牛痘に感染した[SRC-02174]。感染したのは、以前いばらの引っかき傷で軽く傷ついていた手の部分だったと、ジェンナーは記録している[SRC-02174]。大きな膿疱と、牛痘に伴う通常の症状が生じた[SRC-02174]。

ジェンナーは、感染の経過をより正確に観察するため、健康な、8歳くらいの少年を選んで牛痘の接種を行った[SRC-02174]。用いた物質はネルムズの手の膿疱から採取したもので、1796年5月14日、少年の腕に、表皮をわずかに越える程度の2つの浅い切開(各約半インチ)によって挿入された[SRC-02174]。少年は接種7日目に脇の下の不快感を、9日目には軽い悪寒・食欲不振・頭痛を訴え、その夜はやや落ち着かなかったが、翌日には完全に回復した[SRC-02174]。切開部の経過は、人痘(天然痘)の物質で同様の処置をした場合とおおむね同じだったが、浸出液がやや暗い色調を帯び、切開部周囲の紅斑が丹毒に似た見た目を呈した点が異なっていた、とジェンナーは記している[SRC-02174]。

少年がこの軽い牛痘の症状のあと天然痘への感染から安全であるかを確かめるため、ジェンナーは1796年7月1日、膿疱から直接採取した人痘の物質を少年に接種した[SRC-02174]。両腕に複数の穿刺・切開を加えて物質を挿入したが、発病はみられなかった[SRC-02174]。数か月後、再び人痘を接種したが、やはり身体に目立った影響は生じなかった[SRC-02174]。この少年は、天然痘に対して種痘を受けた史上初の人物と位置づけられている[SRC-02175]。

歴史的背景

18世紀のイギリスでは、天然痘そのものの物質を健康な人に移す人痘接種(variolation)という予防法がすでに行われていた[SRC-02175][SRC-02180]。人痘接種は、自然感染よりも軽症かつ低い死亡率の結果を生むとされていたが、天然痘そのものへの曝露を伴う方法だった[SRC-02175][SRC-02180]。ジェンナーの牛痘接種は、人痘接種と同じ原理(軽い感染を経験させることで、より重い病気への抵抗力を得させる)を用いながら、天然痘そのものではなく、より危険性の低い牛痘というウイルス源を用いる点が異なっていた[SRC-02175][SRC-02180]。

ジェンナーは当初、牛痘接種の成果を王立協会の『哲学紀要』で発表することを意図していたとみられる[SRC-02179]。現存する2種の未公刊草稿(1797年3月から4月にかけて執筆され、1796年の少年への接種のみを記す)の文言から、この意図がうかがえる[SRC-02179]。もっとも、王立協会の記録や関連書簡には、論文が正式に提出されたという証拠は存在しない[SRC-02179]。ジョン・ハンターの義弟エヴラード・ホームと、王立協会会長ジョゼフ・バンクス卿を通じて非公式に内容が検討されたとされ、ホームは1797年4月22日付の書簡で、牛痘についての記述を興味深いとしつつ、同一人物が牛痘に2度罹患した例があることや接種例の少なさを理由に、天然痘の予防になるという証拠には満足できないと記した[SRC-02179]。ジェンナーの伝記作者ジョン・バロンによれば、ジェンナーは、根拠が乏しいまま結論を公表すれば評判を損なうと助言されたという[SRC-02179]。ジェンナーはその後も出版を計画していたとみられるが、1798年にさらに接種例を重ねた上で、同年、私費で『研究』を刊行した[SRC-02179][SRC-02174]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1774年(グレゴリオ暦) イギリス・ドーセット州の農夫ベンジャミン・ジェスティが、妻と2人の息子に牛痘を接種 [SRC-02178]
1796-05-14(グレゴリオ暦) ジェンナーが少年(後世の資料ではジェームズ・フィップスと同定)に牛痘を接種 [SRC-02174][SRC-02177]
1796-07-01(グレゴリオ暦) ジェンナーが同じ少年に天然痘の物質を接種し免疫を試験(発病せず) [SRC-02174][SRC-02175]
1797年4月(グレゴリオ暦) エヴラード・ホームがジェンナーの草稿を非公式に検討し、証拠不足を指摘する書簡を記す [SRC-02179]
1798年(グレゴリオ暦) ジェンナーが、追加の23症例で結果を確認した上で、私費で『牛痘の原因と効果に関する研究』を刊行 [SRC-02174][SRC-02179][SRC-02178]
1802年(グレゴリオ暦) ジェンナーが議会から1万ポンドの資金提供を受ける [SRC-02178]
1803年(グレゴリオ暦) ジェスティが、アンドリュー・ベル博士の働きかけによりオリジナル・ヴァクシン・ポック研究所から顕彰状を受け、研究所保存用の肖像画が制作される [SRC-02178]
1807年(グレゴリオ暦) 王立内科医協会が種痘を支持したことを受け、ジェンナーが議会からさらに2万ポンドの資金提供を受ける [SRC-02178]
異説・論争定説のない論点があります

牛痘接種の「世界初」をめぐる限定: ジェンナーの牛痘接種は、世界初のワクチンの実演とされ[SRC-02175]、少年はジェンナーによる最初の被接種者と位置づけられている[SRC-02176]。もっとも、牛痘を人に接種すること自体には、ジェンナーに先立つ例が知られている。イギリス・ドーセット州シャフツベリの郷土博物館(Gold Hill Museum)によれば、同州イェトミンスターの農夫ベンジャミン・ジェスティは、1774年、隣人の農場(チェトノール)で、牛の乳房の水疱から採取した液体を、妻エリザベスの前腕と2人の息子の上腕に擦り込んだ[SRC-02178]。ジェスティ自身は、以前から牛痘にかかっていたという[SRC-02178]。息子たちは順調だったが、妻は腫れと高熱を経て完全に回復した[SRC-02178]。これはジェンナーの1796年の接種より20年以上先行する[SRC-02178]。両者はいずれも、「牛飼い・乳搾りで牛痘に感染した者は天然痘にかかりにくい」という同じ観察をしていたと同博物館は記す[SRC-02178]。ジェスティについては、ある同時代の親族の記録によれば、村人たちから「自分の家族に実験を行うことをあえてする非人間的な残忍漢」とみなされ、近隣の市場に行くたびにやじを飛ばされ、物を投げつけられたと、同博物館は伝える[SRC-02178]。1797年までにジェスティ一家はパーベックへ転居し、1803年、スワニジの教区牧師アンドリュー・ベル博士が、ジェスティは「最初の種痘者」として顕彰されるべきと考え、ロンドンのオリジナル・ヴァクシン・ポック研究所に働きかけた結果、同研究所はジェスティへ顕彰状を贈り、あわせて、研究所保存用の肖像画が制作された[SRC-02178]。これは、ジェンナーが1798年に成果を公刊し、1802年に議会から1万ポンドの資金提供を受けた後のことだった[SRC-02178][SRC-02179]。本サイトはいずれが「真の発見者」かを判定しない。確かなのは、ジェンナーが、牛痘接種の後に天然痘の物質を接種しても発病しないことを試験によって確かめ、その成果を著作として公表した点である[SRC-02174][SRC-02175]。本サイトが本記事のために登録した出典8件の範囲では、ジェスティ以外のジェンナーに先立つ牛痘接種の事例は確認できなかった。

接種を受けた少年の氏名: 本サイトが参照した複数の資料(WHO・Science Museum Group・CDC発行Emerging Infectious Diseases誌)は、接種を受けた少年を「ジェームズ・フィップス」と明記する[SRC-02175][SRC-02176][SRC-02177]。しかし、ジェンナー自身の1798年の著作では、少年は終始「健康な、8歳くらいの少年」「少年」とのみ記され、氏名は一度も記されていない(本サイトが原著全文を機械的に検索して確認した)[SRC-02174]。同様に、サラ・ネルムズに感染させた牛の個体名についても、ジェンナーの著作には記載がない[SRC-02174]。本サイトは、少年の氏名の同定自体に異論があることを示す資料は確認していないが、この同定がジェンナー自身の記録ではなく、後世の伝記的・博物館解説的資料によるものである点を明記する。

接種を受けた少年の年齢・続柄をめぐる資料間の相違: 少年の年齢は、ジェンナー自身の著作(SRC-02174、「8歳くらいの少年」)・WHO(SRC-02175)・Science Museum Group(SRC-02176)・CDC発行Emerging Infectious Diseases誌(SRC-02177)の4資料で「8歳」として一致する。続柄については、Science Museum Group(SRC-02176、「貧しい無産の労働者の息子」)とCDC発行Emerging Infectious Diseases誌(SRC-02177、「8歳の、地元の労働者の息子」)の2資料が「労働者の息子」と記す一方、ジェンナー自身の著作(SRC-02174)・WHO(SRC-02175)には続柄の記載がない。これに対し、Gold Hill Museumの記事は、少年を「9歳」、続柄を「(ジェンナー自身の)庭師の息子」と記しており、年齢・続柄のいずれについても他の資料と相違する[SRC-02178]。本サイトは、年齢は4資料が一致する「8歳」を、続柄は2資料が記す「労働者の息子」を本文の記述として採用し、この相違を異説として開示する。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
牛痘接種を最初に人に行ったのは誰か ジェンナー(1796年)の接種は、世界初のワクチンの実演とされ、少年はジェンナーによる最初の被接種者と位置づけられている [SRC-02175][SRC-02176] 出典ごとに異なる水準の表現で位置づけられる
同上 牛痘の人への接種自体は、ベンジャミン・ジェスティが1774年に家族へ行った例が先行する [SRC-02178] 郷土史研究で記録されている事実
接種を受けた少年の氏名 後世の資料は「ジェームズ・フィップス」と同定する [SRC-02175][SRC-02176][SRC-02177] ジェンナー自身の1798年の著作には氏名の記載がない[SRC-02174]
接種を受けた少年の年齢・続柄 8歳、労働者の息子 [SRC-02174][SRC-02175][SRC-02176][SRC-02177] 年齢は4資料が一致。続柄はSRC-02176・SRC-02177の2資料のみ記載
同上 9歳、ジェンナー自身の庭師の息子 [SRC-02178] 登録した出典8件のうち郷土博物館記事1件のみの記述。年齢は他4資料(SRC-02174/02175/02176/02177)と相違。続柄はSRC-02176・02177の2資料と相違(SRC-02174・02175は続柄の記載なし)

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

ジェンナーの牛痘接種は、接種後に天然痘の物質を接種しても発病しないことを実際に試験で確かめ、その成果を著作として公表した点で、天然痘予防の方法を大きく転換させる契機になったと位置づけられている[SRC-02175][SRC-02181]。「種痘(vaccination)」の語は、ジェンナーが牛痘を指すために用いたラテン語由来の表現「variolae vaccinae」(牛の天然痘、の意)にちなみ、さらにそのvaccinaeはラテン語「vacca」(雌牛)に由来する[SRC-02174][SRC-02178][SRC-02180][SRC-02181]。天然痘そのものへの曝露を伴う従来の人痘接種と異なり、牛痘という、より危険性の低いウイルス源を用いる点が、この方法の安全性の要になっていた[SRC-02180]。

現代の視点

ジェンナーの自宅(グロスターシャー州バークレー)は、現在ジェンナー博物館として公開されている[SRC-02177][SRC-02181]。同館の庭には、貧しい子どもたちが週1回集まり、ジェンナーが無償で種痘を行ったという藁葺き屋根の小屋が現存すると伝えられる[SRC-02177]。同館には、ネルムズに牛痘を感染させ、その牛痘がさらに少年へ伝わったとされる牛を描いた絵画が所蔵されており[SRC-02177]、この牛は「ブロッサム」という名で伝えられている[SRC-02178][SRC-02181]。ロンドンのセント・ジョージズ医科大学の図書館には、この牛の毛皮とされるものが展示されている[SRC-02181]。

出典一覧

  1. [SRC-02174] An Inquiry into the Causes and Effects of the Variolae Vaccinae, a Disease Discovered in Some of the Western Counties of England, Particularly Gloucestershire, and Known by the Name of the Cow Pox/Edward Jenner(原著: 1798年、London, Sampson Low刊/電子化: Project Gutenberg #29414)(ランクB)
  2. [SRC-02175] History of smallpox vaccination/World Health Organization(WHO)(ランクA)
  3. [SRC-02176] James Phipps | Science Museum Group Collection/Science Museum Group(ランクA)
  4. [SRC-02177] Edward Jenner Museum (Another Dimension, Emerging Infectious Diseases, Vol. 17, No. 4, April 2011, pp. 738-740)/米国疾病予防管理センター(CDC)Emerging Infectious Diseases誌(ランクA)
  5. [SRC-02178] The Unsung Dorset Pioneer of Vaccination Against Smallpox/Gold Hill Museum(ゴールドヒル博物館、英国ドーセット州シャフツベリの郷土博物館)/執筆者 Ian Kellett(2022年8月29日付)(ランクB)
  6. [SRC-02179] Edward Jenner's Unpublished Cowpox Inquiry and the Royal Society: Everard Home's Report to Sir Joseph Banks (Medical History, 1999, 43: 108-110)/Medical History誌(Cambridge University Press)/著者 Derrick Baxby(リヴァプール大学医学微生物学部)(ランクA)
  7. [SRC-02180] vaccine (etymology entry)/Online Etymology Dictionary(編者 Douglas Harper)(ランクB)
  8. [SRC-02181] Object 26: Blossom the cow/The Royal College of Pathologists(英国王立病理学会)(ランクA)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-03—
22026-10-03あり
32026-10-04あり
42026-10-04あり

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