明治
1868年〜1912年 / 掲載 9 件
年表
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1868年
会津若松城の開城 — 一か月の籠城の末に、藩主が下した降伏の決断
同じ日付なのに、資料によって『明治元年』にも『慶応4年』にもなる — 改元から2週間後も、年号の書き方は一つに定まっていなかった。
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1868年
家老・河井継之助を失った長岡藩は、新政府軍に降伏したとされる
抗戦を支えた指導者を失うと、頑強に見えた藩でも戦い続けることはできなかったとされる。
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1871年
岩倉具視を特命全権大使とする使節団が、明治4年11月12日に横浜港を出港した
副使4名は長州2・薩摩1・佐賀1という藩閥配慮の人選で、満6歳の津田梅子ら女子留学生5名も同行した。
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1872年
太政官が改暦の詔書を布告し、明治5年の暦は12月2日で終わった
改暦の理由を詔書は暦の精密さに求めたが、『大隈伯昔日譚』には財政の問題も記されていると国立天文台は解説する。
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1873年
渋沢栄一、第一国立銀行の創立総会に出席——自ら起草した規則を株主に説き、取締役への推薦は辞退した
渋沢栄一が創立総会で取締役を辞退したのは、大蔵省を辞した後もなお太政官から御用滞在の命を受けていたからである
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1873年
西郷隆盛は、朝鮮への使節派遣を退けられ、参議の辞表を提出した
同じ「自ら使節となって朝鮮へ渡る」という西郷の構想を、平和交渉の試みと読む学説と、開戦への手順と読む学説がある。
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1881年
刀と禄を失った士族たちが、五年がかりで取り戻した鳥取県
県境は一度消えても、住む人たちの働きかけで書き直されることがある。
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1881年
政府が10年後の国会開設を約束する勅諭を発した
「10年後」という期限を示すことで、早期(1883年)の国会開設論を退けつつ、漸進的な国会開設の主導権を政府の側に残した
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1882年
松方正義が提議した中央銀行、日本銀行が業務を始めた
日本銀行は1882年10月10日、松方正義が提議した中央銀行として開業した。