世界 16世紀
1501年〜1600年 / 掲載 8 件
年表
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1509年
ヘンリー8世は1509年6月24日、ウェストミンスター・アビーで戴冠した——王妃キャサリン・オブ・アラゴンも同日、共に戴冠された
ヘンリー8世の戴冠式では、王妃キャサリンも同日、共に戴冠されていた。
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1517年
ルターは1517年10月31日、マインツ大司教アルブレヒトへの書簡に九十五ヶ条の論題を添えて送った
確実なのは、ルターが書簡と論題を送ったという事実。書簡の原本は伝わっておらず、教会の扉への掲示も今なお決着していない伝承である。
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1533年
アン・ブーリンは1533年6月1日、ウェストミンスター・アビーで戴冠した——このとき過ごした塔内の部屋は、3年後、彼女自身の収容にも使われたとされる
戴冠のために整えられた塔内の部屋は、3年後、同じ女性の収容にも使われたとされる。
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1536年
アン・ブーリンは1536年5月2日、不義密通などの容疑でロンドン塔に送られた——有罪だったのか冤罪だったのかは、今も歴史家の間で論争が続く
アンにかけられた罪は『事実』ではなく『容疑』——有罪か冤罪かは、今も歴史家の間で論争が続いている。
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1555年
皇帝は姿を見せず、皇帝の委任を受けた弟フェルディナントが発した、領邦ごとの信仰を認める和議
領邦の宗派を選べたのは支配者だけで、住民に認められたのは立ち去る自由だけだった。合意は火種を残したまま三十年戦争へ持ち越された。
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1564年
ガリレオ・ガリレイは、ピサの音楽家の家に生まれた——生家を特定する手がかりは、洗礼記録に記された礼拝堂の名だった
科学史に名を残す人物の生家も、洗礼記録という小さな手がかりから特定された。
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1582年
教皇グレゴリウス13世は、改暦の約8か月前に教書「インテル・グラヴィッシマス」を発した——教書自身の日付欄には「1582年」ではなく『1581年』と記されていたとされる
10日を消した改暦を命じた教書は2月に出されたが、実施は約8か月後。教書自身の年表記も『1581年』だったとされる。
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1582年
教皇グレゴリウス13世の改暦で、1582年10月から10日間が消えた
10日間を消した改暦は世界に一斉には広がらず、各国の採用年は300年以上にわたってばらばらに分かれていった。