1781年世界 18世紀

天王星の発見

日付と暦

原典表記
1781年3月13日(グレゴリオ暦)
換算
1781-03-13(グレゴリオ暦)
掲載日
3月13日のページ

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概要

1781年3月13日の夜、英国バースの自宅裏庭で、音楽家であり天文学者でもあったウィリアム・ハーシェルは、自作の反射望遠鏡でふたご座の方向に見慣れない天体を見つけた[SRC-01668][SRC-01672]。ハーシェルは当初、この天体を「奇妙な星雲状の星、あるいはおそらく彗星」として記録し、同年4月26日に王立協会で読み上げられた報告論文でも一貫して彗星として扱った[SRC-01669][SRC-01670]。しかしその後の観測から、この天体はほとんど尾を引かず、ほぼ円形に近い軌道を土星よりさらに外側で描いていることが分かり、彗星ではなく惑星であるとの結論に至った[SRC-01669][SRC-01672]。この天体は太陽系で7番目の惑星となり、後に「天王星」と呼ばれるようになった[SRC-01668]。先史時代から知られていた5惑星以外で人類が初めて発見した惑星であり、望遠鏡を用いて発見された最初の惑星でもある[SRC-01668][SRC-01671]。

本文

ハーシェルは望遠鏡による8等星までの恒星サーベイを進めるなかで、1781年3月13日の夜、ふたご座の方向に円盤状に見える天体を見つけた[SRC-01669][SRC-01672]。恒星であれば倍率を上げても見かけの大きさは変わらないはずだが、この天体は倍率を227倍から460倍・932倍へ上げるにつれて視直径が大きくなり、ハーシェル自身、観測記録にこの様子を書き残している[SRC-01673]。ハーシェルはこの天体を「彗星」と判断し、その旨を王立協会へ報告した。この報告論文は1781年4月26日に王立協会で読み上げられ、「Account of a comet(彗星についての報告)」としてPhilosophical Transactionsに掲載された[SRC-01670][SRC-01673]。

その後、尾を引かないことと動きが緩やかであることから、この天体は彗星ではなく惑星であるとの見方が広がった[SRC-01669]。この確定の経緯については出典によって記述が異なる。王立協会自身のアーカイブ記録は、当時の王室天文官ネヴィル・マスケリンがまず惑星への分類変更を提案し、その後ヨーロッパの他の天文学者たちによって確認されたと記す[SRC-01670]。王立グリニッジ博物館は、マスケリンがヨーロッパの同僚天文学者たちに追加の調査を呼びかけ、天体のほぼ円形の軌道の計算と、はっきりした尾がないことが惑星であることを確認する決め手になったと記す[SRC-01672]。一方でUniverse Todayは、ヨハン・エラート・ボーデらが天体の近円軌道に基づき惑星であると結論づけたこと、そして1783年までにハーシェル自身も王立協会に対して惑星であることを認めたと記す[SRC-01673]。ブリタニカは確定の主体を特に明示せず、「数か月のうちに」惑星との結論に至ったとのみ記している[SRC-01669]。

新惑星の名は当初から議論の的になった。ハーシェルはこの天体を、自身の後援者であった国王ジョージ3世に因み「ジョージの星(Georgium Sidus)」あるいは「ジョージ惑星(Georgian Planet)」と名付けることを提案した[SRC-01669][SRC-01671]。フランスでは発見者に因む「ハーシェル」の名が好まれた[SRC-01669]。1782年、ドイツの天文学者ヨハン・エラート・ボーデは、他の惑星がギリシャ・ローマ神話の神名にならって呼ばれている慣行に合わせ、ギリシャ神話の天空の神にちなむ「ウラノス(天王星)」の名を提案した[SRC-01671][SRC-01672][SRC-01673]。HISTORYによれば、19世紀半ばまでに「ウラノス」が太陽から7番目の惑星の名称として広く受け入れられるようになったという[SRC-01671]。

歴史的背景

天王星は肉眼でもかろうじて見える明るさを持つが、微小な点光源にしか見えなかったため、ハーシェル以前にも複数の天文学者が観測しながら恒星として記録していた[SRC-01673]。Universe Todayによれば、英国の天文学者ジョン・フラムスティードは1690年に6回観測し、おうし座の恒星「34番星」として記録した。18世紀半ばにはフランスの天文学者ピエール・ルモニエが12回にわたって観測したが、これも恒星として記録された[SRC-01673]。ハーシェルの発見は、こうした先行観測の後に、望遠鏡の分解能の向上によって初めて天体の円盤(面積を持つ像)が確認され、恒星ではないと認識されたものである[SRC-01672][SRC-01673]。

新天体の軌道はティティウスが1766年に発表しボーデが普及させた経験則「ボーデの法則」の予測にほぼ合致しており、この法則への信頼を高める結果ともなった[SRC-01674][SRC-01669]。この法則はのちに天王星の発見から65年後、天王星自身の軌道のずれをきっかけとする海王星の発見(1846年)にもつながった[SRC-01669]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1690年(グレゴリオ暦) ジョン・フラムスティードが天体を6回観測し、恒星「34番星(おうし座)」として記録する(射程外・背景情報) [SRC-01673]
18世紀半ば(グレゴリオ暦) ピエール・ルモニエが天体を12回観測するが、恒星として記録する(射程外・背景情報) [SRC-01673]
1781年3月13日(グレゴリオ暦・配置日) ウィリアム・ハーシェルが英国バースの自宅裏庭で天体を観測し、「星雲状の星、あるいは彗星」と記録する [SRC-01668][SRC-01669][SRC-01670][SRC-01672][SRC-01673]
1781年4月26日(グレゴリオ暦) ハーシェルの報告論文「Account of a comet」が王立協会で読み上げられる [SRC-01670][SRC-01673]
1781年(月日は出典に明記なし。グレゴリオ暦) 天体が彗星ではなく惑星であるとの見方が広がる(確定の主体・時点は出典により記述が異なる。異説・論争欄を参照) [SRC-01669][SRC-01670][SRC-01672][SRC-01673]
1782年(グレゴリオ暦) ヨハン・エラート・ボーデが新天体の名として「ウラノス(天王星)」を提案する [SRC-01671][SRC-01672][SRC-01673]
1783年(グレゴリオ暦・Universe Today単独の記述) ハーシェル自身も王立協会に対して惑星であることを認めたとされる [SRC-01673]
19世紀半ば(グレゴリオ暦・HISTORY単独の記述) 「ウラノス」が太陽から7番目の惑星の名称として広く受け入れられるようになる [SRC-01671]
1846年(グレゴリオ暦・射程外) 天王星の軌道のずれをきっかけに海王星が発見される(本記事の主題の射程外) [SRC-01669]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
彗星から惑星への分類確定を主導したのは誰か 王室天文官ネヴィル・マスケリンがまず分類変更を提案し、その後ヨーロッパの他の天文学者たちが確認した [SRC-01670](王立協会自身のアーカイブ記録) 本サイトが確認した範囲では、この4出典のいずれが「正確な経緯」かを判定する記述は見当たらない。いずれも同じ一連の出来事(ハーシェルの彗星報告→惑星との認識への転換)を、異なる資料・異なる粒度で説明しているとみられる
同上 マスケリンがヨーロッパの同僚天文学者に調査を呼びかけ、近円軌道の計算と無尾であることが決め手になった [SRC-01672](王立グリニッジ博物館) 同上
同上 ヨハン・エラート・ボーデらが近円軌道に基づき惑星と結論づけ、1783年までにハーシェル自身も惑星と認めた [SRC-01673](Universe Today) 同上
同上 確定の主体・機関名は明示されず、尾がないことと動きの緩慢さから「数か月のうちに」惑星との結論に至った [SRC-01669](ブリタニカ) 同上
「ウラノス」が一般に受け入れられた時期 19世紀半ばまでに一般に受け入れられる名称になった [SRC-01671](HISTORY) 本サイトが確認した範囲では、この具体的な年代・経緯(どの機関がいつ「ウラノス」表記へ切り替えたか等)を記す他の出典は見当たらなかった。単独出典による記述として扱う

関連する出来事

ボーデの法則への信頼を支えた天王星の軌道は、のちにその軌道のわずかなずれをきっかけとして、さらに外側を回る海王星の発見(1846年)へとつながった[SRC-01669]。この経緯は本記事の主題(天王星の発見)の射程外であり詳述しない。

ハーシェルは天王星発見後も観測を続け、1787年には天王星最大の衛星2つ(チタニアとオベロン)を発見した。これらの衛星名は、ハーシェルの息子ジョン・ハーシェルによってシェイクスピアやアレクサンダー・ポープの作品の登場人物から選ばれた(本記事の主題の射程外のため詳述しない)[SRC-01669]。

関連人物

歴史的意義

天王星の発見は、記録に残る限り、先史時代から知られていた5惑星以外で人類が初めて確認した惑星であり、望遠鏡という観測装置を用いて発見された最初の惑星でもあった[SRC-01668][SRC-01671]。この発見によって、太陽からの距離が土星の2倍にあたる天体の存在が確認され、太陽系の広がりについての認識が更新されるとともに、ボーデの法則への信頼を高め、のちの海王星発見(1846年)にもつながった[SRC-01669][SRC-01672]。

現代の視点

天王星は現在、太陽系の4つの巨大惑星(木星・土星・天王星・海王星)のうち最も質量が小さい惑星として位置づけられている[SRC-01668]。1986年1月、米国の無人探査機ボイジャー2号が天王星に接近した[SRC-01671]。ブリタニカによれば、天王星が探査機に訪問されたのはこのボイジャー2号による1度のみである[SRC-01668]。天王星の自転軸が公転面にほぼ横倒しになっているという特異な性質も[SRC-01671]、後年の観測によって明らかになったものであり、発見当時のハーシェルの観測記録には含まれていない(本稿の整理)。

出典一覧

  1. [SRC-01668] Uranus (planet) — Britannica/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  2. [SRC-01669] Uranus (planet) — Observations from Earth — Britannica/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  3. [SRC-01670] Paper, 'Of a comet [Uranus] seen on 13 March' by William Herschel (Royal Society Archives, L&P/7/192)/The Royal Society (Science in the Making archive)(ランクA)
  4. [SRC-01671] William Herschel discovers Uranus | March 13, 1781 | HISTORY/HISTORY (A&E Television Networks)(ランクB)
  5. [SRC-01672] The Discovery of Uranus | Royal Observatory — Royal Museums Greenwich/Royal Museums Greenwich(ランクA)
  6. [SRC-01673] Who Discovered Uranus? — Universe Today/Universe Today(ランクC)
  7. [SRC-01674] Johann Elert Bode — Britannica/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  8. [SRC-01675] The Gregorian Calendar Adopted in England — History Today/History Today(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-27—
22026-09-27あり
32026-10-09なし

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