1783年世界 18世紀
モンゴルフィエ兄弟、アノネーで熱気球の公開無人飛行——アカデミーの公式報告書が記す日付は、広く知られる「6月4日」ではなく「6月5日」だった
日付と暦
- 原典表記
- 1783年6月5日(アカデミー公式報告書・Faujas de Saint-Fond 1783・Encyclopédie Universalisによる)/6月4日(米国連邦委員会・ブリタニカ百科事典、典拠不明記)(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1783-06-05(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 6月5日のページ
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概要
1783年6月、フランス南東部の町アノネーの市場で[SRC-00770][SRC-00771]、紙工場を営むジョゼフ=ミシェルとジャック=エティエンヌのモンゴルフィエ兄弟が[SRC-02347]、無人の熱気球を公開で飛ばした[SRC-02346][SRC-02347]。気球は直径35ピエ(フランス王立科学アカデミーの記載による)の布・紙製の球体で、1200トワーズ超を飛行して相当な高さまで上昇した[SRC-02346]。この実験はヴィヴァレ地方三部会の議員だけでなくアノネーの町全体が目撃し、その手続き記録はフランス王立科学アカデミーへ送付されたと報告書は記す[SRC-02346]。実施日について、米国連邦委員会やブリタニカ百科事典は1783年6月4日と記す一方[SRC-00770][SRC-00771]、アカデミー自身が1783年12月に採択した公式報告書は「6月5日」と明記し、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述したとするEncyclopédie Universalisも同じく6月5日と記している[SRC-02346][SRC-02347]。
本文
モンゴルフィエ兄弟は、1782年当時、ヘンリー・キャヴェンディッシュが同定した水素(「可燃性ガス」)を用いた気球作りをまず試みたが、気体が外皮から透過して漏れるため長続きしなかった[SRC-02347]。熱気を用いる方法がより有望だと判明し、1782年11月、兄ジョゼフ=ミシェルがアヴィニョンの自宅で、タフタ製の小箱(アカデミー報告書によれば約40立方ピエ、Encyclopédie Universalisによれば1.5立方メートル)を紙で内部から加熱し、天井まで急上昇させた[SRC-02346][SRC-02347]。アノネーへ戻った兄は弟とともにこの実験を屋外で再試し、同じ箱が70ピエの高さまで上昇するのを確認した[SRC-02346]。
兄弟はさらに大きな約650立方ピエの機体を製作して試したところ、機体は係留の綱を切るほどの力で上昇し、100〜150トワーズの高さに達したのち近隣の丘へ落下した[SRC-02346]。この成功に勢いを得た兄弟は、直径35ピエ・重量450リーヴル(400リーヴル超の浮揚力)の、より本格的な機体を製作した[SRC-02346]。この機体は1783年4月3日に上昇を試みたが強風のため断念し、4月25日には係留していた人々の手から不意に離れて急上昇し、200トワーズ超の高さまで上がって約10分間滞空したのち、四半リュー先へ落下した[SRC-02346]。Encyclopédie Universalisも、アノネーでの一連の予備実験として、25立方メートルの直方体が300メートルまで、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇したと記している[SRC-02347]。
そして同じ機体を用いて、兄弟は公開実験に臨んだ[SRC-02346]。アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、この実験の手続き記録(プロセ・ヴェルバル)をアカデミーへ送付したと記す[SRC-02346]。実験では、直径35ピエの布・紙製の中空の球体が、ヴィヴァレ地方三部会の議員とアノネーの町全体の面前で、1200トワーズ超を飛行し相当な高さまで上昇した。具体的な高度や滞空時間の数値は、このアカデミー報告書自身には記載がない[SRC-02346]。一方、米国連邦委員会は気球が約2000メートルまで上昇したと記し[SRC-00770]、ブリタニカは約1000メートルまで上昇し約10分間とどまったと記し[SRC-00771]、Encyclopédie Universalisは約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5キロメートル先のぶどう畑に着地したと記している[SRC-02347]。
アカデミーはこの報告を受け、ティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ侯爵・デマレおよび報告者自身を委員とする調査委員会を任命し、パリに来ていた弟エティエンヌ・モンゴルフィエに、新しい気球を製作させてアノネー実験を再現し、さらに追加の実験を行わせることを決めた[SRC-02346]。当初はアカデミーの費用で行う予定だったが、この発見の重要性を認識した政府が費用を肩代わりした[SRC-02346]。エティエンヌは聖マルタン祭明けの会期再開後、この経緯をまとめた覚書をアカデミーで朗読した[SRC-02346]。アカデミーの報告書自身は、これらの記述の根拠がエティエンヌ・モンゴルフィエが委員の一人デマレへ宛てた書簡(一部は1782年付)にあると明記している[SRC-02346]。
歴史的背景
アカデミーの調査委員会は、報告書の中で、モンゴルフィエ兄弟以前にも人を飛ばす装置の提案があったことを紹介している。ロジャー・ベーコンは著書の中で人を乗せて飛ぶ機械に言及したが、どのように空中にとどまるかの説明はなかったとされる[SRC-02346]。ラナ・デ・テルツィ神父は、真空にした4個の銅球によって浮揚する飛行船を考案したが、フックやボレリらが、そのような大きさの真空の銅球が大気圧に耐えられないと指摘したと記される[SRC-02346]。ガリアン神父は1755年にアヴィニョンで刊行した著書で、都市一つ分ほどの巨大な飛行船を提案したが、その寸法は現実離れしており、真剣な試みとはみなされなかった[SRC-02346]。
アカデミーは報告書の中で、これらの提案がいずれも実現されなかった理論上の考案にとどまったことを紹介している[SRC-02346]。別の箇所では、モンゴルフィエ兄弟の気球について「一部の不勉強な人々が言うような、実験によって実現される必要のある考えにすぎないものではなく、気球は実際に発明され、町全体がその効果を目撃した」と位置づけている[SRC-02346]。本サイトが確認した範囲の出典には、バルトロメウ・デ・グズマンの飛行船構想(1709年)や中国の天灯への言及は見当たらなかった。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1782年11月頃(グレゴリオ暦) | ジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエ、アヴィニョンの自宅でタフタ製小箱を熱気で天井まで上昇させる | [SRC-02346][SRC-02347] |
| 1783年4月3日(グレゴリオ暦) | 直径35ピエの機体の上昇を試みるが強風のため断念 | [SRC-02346] |
| 1783年4月25日(グレゴリオ暦) | 同じ機体が係留者の手を離れ急上昇、200トワーズ超・約10分滞空ののち落下 | [SRC-02346] |
| 1783年6月5日または4日(グレゴリオ暦・本記事の主題) | 同じ機体を用い、アノネーの市場でヴィヴァレ地方三部会と町全体の面前で公開実験を実施 | [SRC-02346][SRC-02347][SRC-02348][SRC-00770][SRC-00771] |
| 1783年12月23日(グレゴリオ暦) | フランス王立科学アカデミー、調査報告書を採択。モンゴルフィエ兄弟に学術・技芸奨励年間600リーヴル賞を授与 | [SRC-02346] |
暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦(当時のフランスで用いられていた暦)であり、改暦境界に関わる複雑さは生じない。アノネー実験の日付(6月5日か4日か)は、暦種の相違ではなく、出典ごとの表記の相違である(詳細は下記異説欄を参照)。
異説・論争定説のない論点があります
論点1: アノネー公開実験の実施日は、6月5日か6月4日か。 フランス王立科学アカデミーが1783年12月23日に採択した公式報告書(1784年刊)は「le 5 Juin dernier(先の6月5日)」と明記しており、本サイトが報告書の原本ページ画像を直接確認した[SRC-02346]。同時代に刊行されたFaujas de Saint-Fondの著作(1783年刊)も、エティエンヌ・モンゴルフィエから寄せられた通信として「le jeudi 5 Juin 1783(木曜日、1783年6月5日)」と曜日つきで記しており、本サイトが版面画像を直接確認した[SRC-02348]。Encyclopédie Universalisも「エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験」として1783年6月5日と記している[SRC-02347]。これに対し、米国連邦委員会の航空史エッセイとブリタニカ百科事典は、いずれも1783年6月4日と記すが[SRC-00770][SRC-00771]、典拠は示していない。アカデミー報告書自身は、この記述の根拠がエティエンヌ・モンゴルフィエの書簡にあると明記しており[SRC-02346]、Faujas・Universalisの注記と内容的に符合する。本サイトはいずれの日付が史実として正確かを裁定しない。
論点2: 気球の寸法・重量。 アカデミー報告書は「直径35ピエ・重量450リーヴル」と記す[SRC-02346]。Encyclopédie Universalisは「直径11.70m・重量245kg」と記す[SRC-02347]。米国連邦委員会は「直径10m」と記す[SRC-00770]。各出典はそれぞれの単位・文脈で個別に記載しており、本サイトは独自の換算・統合を行わない。
論点3: 上昇高度・滞空時間・着地までの距離。 アカデミー報告書は「1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇した」とのみ記し、具体的な高度・滞空時間の数値は示さない[SRC-02346]。米国連邦委員会は「約2000メートルまで上昇した」とし滞空時間には触れない[SRC-00770]。ブリタニカは「約1000メートル(3000フィート)まで上昇し約10分間とどまり、上昇地点から1.5マイル超先に着地した」とする[SRC-00771]。Encyclopédie Universalisは「約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5キロメートル先のぶどう畑に着地した」とする[SRC-02347]。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| アノネー公開実験の実施日 | 1783年6月5日 | [SRC-02346][SRC-02348][SRC-02347] | アカデミー公式報告書・Faujas de Saint-Fond(1783年刊、曜日まで木曜日と明記)の記載。Universalisは「エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験」と明記 |
| 同上 | 1783年6月4日 | [SRC-00770][SRC-00771] | 米国連邦委員会・ブリタニカ百科事典の記載(典拠は示されていない) |
| 気球の寸法・重量 | 直径35ピエ・重量450リーヴル | [SRC-02346] | アカデミー報告書(当時のフランスの単位) |
| 同上 | 直径11.70m・重量245kg | [SRC-02347] | Encyclopédie Universalis(現代のメートル法表記) |
| 同上 | 直径10m | [SRC-00770] | 米国連邦委員会 |
| 上昇高度 | 約2000メートル | [SRC-00770][SRC-02347] | 米国連邦委員会・Universalisが一致 |
| 同上 | 約1000メートル(3000フィート) | [SRC-00771] | ブリタニカ |
| 同上 | 具体的数値の記載なし(「相当な高さ」) | [SRC-02346] | アカデミー公式報告書 |
関連する出来事
- アノネー公開実験の約3か月半後、1783年9月19日、モンゴルフィエ兄弟はヴェルサイユで羊・アヒル・雄鶏を乗せた気球飛行を行った[SRC-00769][SRC-00770](ART-00076参照)。
- さらに約2か月後の1783年11月21日、パリのミュエット城で、ピラートル・ド・ロジエとダルランド侯爵が、綱につながれることなく気球に乗って飛行し、気球による初の有人自由飛行となった[SRC-00768][SRC-00770][SRC-00771](ART-00076参照)。
関連人物
- ジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエ(Joseph-Michel Montgolfier): 紙工場を営む兄[SRC-02347]。1782年11月、アヴィニョンの自宅で最初の小型実験を単独で行い、以後弟とともに実験を重ねた[SRC-02346][SRC-02347]。
- ジャック=エティエンヌ・モンゴルフィエ(Jacques-Étienne Montgolfier): 紙工場を営む弟[SRC-02347]。アノネー公開実験後にパリへ赴き、アカデミーの依頼で新しい気球を製作して追加実験を行い、その経緯をまとめた覚書をアカデミーで朗読した[SRC-02346]。アカデミー報告書は、この経緯に関する記述の根拠が、エティエンヌが委員デマレへ宛てた書簡にあると明記している[SRC-02346]。
歴史的意義
フランス王立科学アカデミーは報告書の中で、一部の不勉強な人々が言うような、実験によって実現される必要のある考えにすぎないものではなく、モンゴルフィエ兄弟の気球は実際に発明され、一つの町全体がその効果を目撃したものだと述べている[SRC-02346]。アカデミーはこの発見に、無名の市民が設立した学術・技芸奨励年間600リーヴル賞を1783年分として授与し、モンゴルフィエの覚書をアカデミー非会員学者論集に収録するよう推奨した[SRC-02346]。
現代の視点
アノネー公開実験の正確な日付をめぐる食い違いは、240年以上前の出来事であっても、公的機関自身がまとめた報告書と、広く流布した通説とが一致するとは限らないことを示す一例である。本記事が確認した限り、この1日の食い違いは、調査対象の出典のいずれにも「誤記」として明示的に指摘されておらず、本サイトはどちらが正しいかを判定しない。
出典一覧
- [SRC-02346] Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier/Académie Royale des Sciences(フランス王立科学アカデミー)(ランクS)
- [SRC-02347] Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)/Encyclopédie Universalis(ランクB)
- [SRC-00768] Portrait en miniature de Jacques-Étienne et Joseph Montgolfier/Musée de l'Air et de l'Espace(ランクA)
- [SRC-00769] The First Hot Air Balloon Flight/Château de Versailles (Établissement public du château, du musée et du domaine national de Versailles)(ランクA)
- [SRC-00770] Early Balloon Flight in Europe/U.S. Centennial of Flight Commission(ランクA)
- [SRC-00771] Montgolfier brothers/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-02348] Description des expériences de la machine aérostatique de MM. de Montgolfier, et de celles auxquelles cette découverte a donné lieu/Faujas de Saint-Fond(著者)/Cuchet(パリ、1783年刊)(ランクA)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-08 | あり |
| 2 | 2026-10-08 | あり |
| 3 | 2026-10-08 | なし |
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