1533年世界 16世紀
アン・ブーリンは1533年6月1日、ウェストミンスター・アビーで戴冠した——このとき過ごした塔内の部屋は、3年後、彼女自身の収容にも使われたとされる
日付と暦
- 原典表記
- 1533年6月1日(ユリウス暦)
- 換算
- 1533-06-01(ユリウス暦)
- 掲載日
- 6月1日のページ
暦の注記: この出来事はユリウス暦の1533年6月1日(聖霊降臨祭の日曜日)に起きた(ユリウス暦のまま換算: 1533-06-01)[SRC-02322][SRC-02323]。グレゴリオ暦の導入は1582年10月であり、この日付はそれより49年前にあたるため、換算先の暦種別もユリウス暦のままとなる(機械決定。1582年10月という改暦の年月そのものは本サイトの換算方針が定める定数規則であり、外部出典を要する事実主張ではない)。当時のイングランドは新年を3月25日に開始する慣行(旧方式)を用いていたが、この日付(6月1日)は3月25日より後にあたるため、旧方式・現代方式のいずれで数えても年表記は1533年のまま変わらない[SRC-00044]。本サイトでは 06-01 のページに掲載している。換算は独自に行っておらず、原典の日付をそのまま転記したものである[SRC-02322][SRC-02323][SRC-02324]。
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概要
1533年6月1日、聖霊降臨祭の日曜日、イングランド王妃アン・ブーリンは、ウェストミンスター・アビーで戴冠した[SRC-02322][SRC-02323]。式を執り行ったのはカンタベリー大司教トマス・クランマーである[SRC-02322][SRC-02324]。前日の5月31日、アンはロンドン塔から市内を行列した[SRC-02324][SRC-02322]。神聖ローマ皇帝カール5世付きの大使シャピュイは、この入市式と戴冠を「冷ややかで貧弱な、きわめて不快な見世物」と書簡で報告している[SRC-02325]。アンが戴冠式前に過ごした塔内の部屋は、3年後の1536年、彼女自身の収容にも使われたとされる[SRC-02071]。
本文
戴冠式に先立つ木曜日、アンは水路でグリニッジからロンドン塔へ移動した[SRC-02324][SRC-02323][SRC-02322]。翌金曜日は塔内で過ごし[SRC-02323]、バースの騎士に叙される予定の者たちへの食事・沐浴の儀礼が行われた(叙任は翌土曜日の朝)[SRC-02324]。5月31日の土曜日、アンはロンドン塔から、飾り付けられた街路を通ってウェストミンスターまで行列した[SRC-02324][SRC-02322]。ロンドン市長・裁判官・諸侯・主教らが行列に加わり、沿道には寓意的な仕掛け物が設けられたと記される[SRC-02324]。
6月1日の日曜日、アンはウェストミンスター・ホールから、布を敷いた通路を通ってアビーへ赴いた[SRC-02324][SRC-02323]。クランマーが祈祷と塗油を行い、聖エドワードの王冠を戴かせ、王笏と象牙の杖を授けた[SRC-02324][SRC-02322]。テ・デウムの後、重い聖エドワードの王冠から彼女のための王冠へ交換し、ミサと聖体拝領が行われた[SRC-02324]。式の後には祝宴が催された[SRC-02324]。
歴史的背景
ヘンリー8世とアンの秘密の結婚の時期について、登録した出典は異なる日付を記す。ハル年代記は、ヘンリーがカレー訪問から帰国した後の聖エルコンウォルドの日とする(暦日への比定は出典にない)[SRC-02324]。ブリタニカは1533年1月25日頃とする[SRC-02070]。本サイトはいずれにも決しない(詳細は異説・論争参照)。
ハル年代記は、ヘンリーがアンの妊娠を認識し、復活祭前日にアンが公然と王妃として現れたこと、戴冠式の日を次の聖霊降臨祭と定めたことを記す[SRC-02324]。ブリタニカも結婚が同年のイースターに公表されたと記す[SRC-02070]。1533年5月23日、クランマーはダンスタブルで、ヘンリーと先妻キャサリンとの結婚を無効と宣言した[SRC-02070][SRC-02324]。この宣言はアンとの結婚の後に行われた[SRC-02324]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 聖エルコンウォルドの日(ユリウス暦・ハル年代記の記す祝日名。1532年11月14日のカレーからの帰国後、1533年の復活祭より前〔出典の記す時期の範囲〕。暦日の特定は出典になし) | ヘンリー8世とアン・ブーリン、秘密に結婚(異説あり) | [SRC-02324] |
| 1533年1月25日頃(ユリウス暦・ブリタニカの記す日付) | ヘンリー8世とアン・ブーリン、秘密に結婚(異説あり) | [SRC-02070] |
| 1533年5月23日(ユリウス暦) | カンタベリー大司教、ダンスタブルでキャサリンとの結婚を無効と宣言 | [SRC-02070][SRC-02324] |
| 1533年5月(ユリウス暦・戴冠式前の木曜日) | アン、水路でグリニッジからロンドン塔へ移動 | [SRC-02324][SRC-02323][SRC-02322] |
| 1533年5月31日(ユリウス暦・土曜日) | アン、ロンドン塔からウェストミンスターまで市内を行列 | [SRC-02324][SRC-02322] |
| 1533年6月1日(ユリウス暦・聖霊降臨祭の日曜日) | アン、ウェストミンスター・アビーで戴冠(本記事の主題) | [SRC-02322][SRC-02323][SRC-02324] |
| 1533年6月16日(ユリウス暦) | 大使シャピュイ、戴冠の様子を批判的に報告(後続事実) | [SRC-02325] |
| 1533年9月(ユリウス暦) | アン、娘エリザベス(後のエリザベス1世)を出産(後続事実) | [SRC-02070] |
| 1536年5月2日(ユリウス暦) | アン、不義密通などの容疑でロンドン塔に収容される(後続事実) | [SRC-02071] |
異説・論争定説のない論点があります
論点1: ヘンリー8世とアン・ブーリンの秘密の結婚はいつ行われたか。 本サイトが登録した出典は、この秘密の結婚の時期について異なる日付を記す。ハル年代記は、ヘンリーがフランス王との会見のためのカレー訪問から帰国した後、聖エルコンウォルドの日にひそかに結婚したと記す(この祝日が暦上のいつにあたるかは出典が示していない)[SRC-02324]。一方、ブリタニカは、1533年1月25日頃に秘密の結婚が行われたとする[SRC-02070]。本サイトはいずれにも決しない。
論点2: 戴冠式そのものをどう描くか。 ハル年代記は、豪華な行列・祝宴・寓意的な仕掛け物を伴う祭典としてこの戴冠式を描く[SRC-02324]。ウェストミンスター・アビー公式サイトも、4日間にわたる水路移動と市内行列の進行として戴冠式を記す[SRC-02322]。一方、神聖ローマ皇帝カール5世付きの大使ユースタス・シャピュイは、同年6月16日付の書簡で、入市式と戴冠の様子を「冷ややかで貧弱な、きわめて不快な見世物」("a cold, poor, and most unpleasing sight")であり、庶民だけでなくそれ以外のすべての者も不満・落胆を覚えたと報告している[SRC-02325]。本サイトは、いずれの評価にも決せず、同じ出来事についての対照的な同時代の記述として併記する。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 秘密の結婚はいつ行われたか | 聖エルコンウォルドの日、カレー訪問からの帰国後 | [SRC-02324] | 近接時代の編纂史料(ハル年代記)が記す祝日名 |
| 秘密の結婚はいつ行われたか | 1533年1月25日頃 | [SRC-02070] | 定評ある百科事典(ブリタニカ)が記す日付 |
| 戴冠式の受け止め方 | 豪華な行列・祝宴・仕掛け物を伴う祭典(ハル年代記)。アビー公式サイトは4日間の水路移動と市内行列を記す | [SRC-02324][SRC-02322] | 年代記の描写・戴冠式施設自身の公式解説 |
| 戴冠式の受け止め方 | 「冷ややかで貧弱な、きわめて不快な見世物」 | [SRC-02325] | 神聖ローマ皇帝付き大使による同時代の外交報告 |
関連する出来事
ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚の無効宣言(1533年5月23日)は、アンとの結婚に続いて行われた[SRC-02070][SRC-02324]。アンは同年9月、娘(後のイングランド女王エリザベス1世)を出産した[SRC-02070]。アンが戴冠式前に待機したロンドン塔内の部屋は、3年後の1536年5月、彼女自身が不義密通などの容疑で収容された際にも使われたとされる[SRC-02071]。
関連人物
- アン・ブーリン(あん・ぶーりん): ヘンリー8世の2番目の王妃。1533年6月1日に戴冠した本記事の主題人物[SRC-02322][SRC-02324]。
- ヘンリー8世(へんりーはっせい): イングランド国王。アンの夫[SRC-02322]。ハル年代記は、アンの妊娠が認識された後、戴冠式の日を次の聖霊降臨祭の日曜日と定めたと記す(この順で記述されており、因果として書いているわけではない)[SRC-02324]。
- トマス・クランマー(とます・くらんまー): カンタベリー大司教。アンの戴冠式を執り行い、ヘンリーと先妻キャサリンとの結婚無効も宣言した[SRC-02322][SRC-02324][SRC-02070]。
歴史的意義
アンとヘンリーの間に生まれた娘エリザベスは、後にイングランド女王エリザベス1世となった[SRC-02070]。戴冠式の評価については、同時代の記録の間でも祭典としての描写と批判的な報告が併存しており(異説・論争参照)、単純な祝祭としてのみ記述することはできない[SRC-02324][SRC-02325]。
現代の視点
ウェストミンスター・アビーは、ヘンリー8世の後の妻たちのいずれも戴冠式を行っていないと記している[SRC-02322]。アンの戴冠からわずか3年後、彼女自身がロンドン塔に収容され処刑されたという経緯は、後世の関心を引き続けている(この結び付け自体は本サイトの整理であり、登録した出典自身がこの対比を明示的に述べているわけではない)[SRC-02071][SRC-02322]。
出典一覧
- [SRC-02322] Anne Boleyn | Westminster Abbey/Westminster Abbey(ランクA)
- [SRC-02323] Henry VIII: June 1533, 1-5 — Letters and Papers, Foreign and Domestic, Henry VIII, Volume 6, 1533/British History Online/Institute of Historical Research, University of London(ランクA)(複数の資料を収載)
- [SRC-02324] Hall's Chronicle; containing the history of England, during the reign of Henry the Fourth, and the succeeding monarchs, to the end of the reign of Henry the Eighth(Henry Ellis編, 1809年版)/Internet Archive(原資料: J. Johnson刊, London, 1809。Cornell University Library所蔵本のスキャン)(ランクA)
- [SRC-02325] Spain: June 1533, 1-25 — Calendar of State Papers, Spain, Volume 4 Part 2, 1531-1533/British History Online/Institute of Historical Research, University of London(ランクA)(複数の資料を収載)
- [SRC-02070] Anne Boleyn | Biography, Children, Facts, & Death/Encyclopædia Britannica, Inc.(ランクB)
- [SRC-02071] Anne Boleyn | Tower of London | History and stories/Historic Royal Palaces(ランクB)
- [SRC-00044] Calendar (New Style) Act 1750 (24 Geo 2 c.23) — 英国政府公式法令データベース/legislation.gov.uk(The National Archives、英国政府)(ランクS)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-08 | — |
| 2 | 2026-10-08 | あり |
| 3 | 2026-10-08 | あり |
| 4 | 2026-10-08 | なし |
| 5 | 2026-10-08 | なし |
訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。