教皇グレゴリウス13世の改暦で、1582年10月から10日間が消えた

日付と暦

原典表記
1582年10月15日(グレゴリオ暦)
換算
1582-10-15(グレゴリオ暦)
掲載日
10月15日のページ

暦の注記: この出来事は西暦(グレゴリオ暦)の**1582年10月15日(金)**に起きた。この日は、それまで使われていたユリウス暦の1582年10月4日(木)の翌日にあたり、10月5日から14日までの10日間の日付表記が省かれた[SRC-00045][SRC-00037][SRC-00450]。この改暦に同時に対応したのはイタリア・ポーランド・ポルトガル・スペインくらいにとどまったとされ(後述)[SRC-00450]、国や地域によって採用時期は大きく異なった[SRC-00045][SRC-00450]。本サイトでは 10-15 のページに掲載している。

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概要

1582年2月24日(ユリウス暦)、ローマ教皇グレゴリウス13世は教皇の教書を発し、ユリウス暦を改める改暦案を発表した[SRC-00045][SRC-00450]。同年10月4日(木)の夜が明けると、暦は10月15日(金)になっていた。10月5日から14日までの10日間の日付表記は省かれた[SRC-00045][SRC-00037][SRC-00450]。背景にあったのは、ユリウス暦の1年が実際の1太陽年よりわずかに長く、その誤差が積み重なって復活祭の基準である春分が暦の上でずれ続けていたという問題である[SRC-00037][SRC-00450]。しかしこの改暦に同時に対応したのはイタリア・ポーランド・ポルトガル・スペインくらいにとどまったとされ[SRC-00450]、イギリスは1752年、ロシアは1918年[SRC-00045][SRC-00450]、日本は1873年[SRC-00045][SRC-00037][SRC-00450]と各国の採用時期は大きく分かれ、世界に行き渡るまでには300年以上を要した[SRC-00450]。

本文

当時使われていたユリウス暦は、紀元前46年にユリウス・カエサルが導入した太陽暦で、4年に一度の閏年を置く単純な規則を持っていた[SRC-00037]。この暦の1年の平均日数は365.25日だが、実際の1太陽年は約365.2422日であり、両者の差はわずか0.0078日でも、1300年ほどが経つと10日ものずれになる[SRC-00037]。復活祭の日取りを決める基準として、325年のニカイア公会議は春分を3月21日と定めていたが[SRC-00450]、『改訂新版世界大百科事典』は、ユリウス暦のままでは16世紀中ごろには実際の春分が3月11日ごろまで早まっていたと記す(この時期については資料によって記述が分かれる。詳細は異説・論争を参照)[SRC-00450]。

このずれを解消するため、グレゴリウス13世は1577年に改暦委員会を発足させた[SRC-00450]。案の起草にあたったのはペルージア大学で医学を講じていたアロイシウス・リリウスとその弟アントニウスであり、委員会は各地の領主・大司教・大学からも意見を募ったうえで改暦案を決定した[SRC-00450]。1582年2月24日(ユリウス暦)、この案は教皇の教書というかたちで公表され、同年のユリウス暦10月4日(木)の翌日をグレゴリオ暦10月15日(金)とすることで実施に移された[SRC-00045][SRC-00450]。同時に、西暦年が4で割り切れる年を閏年とするが、100で割り切れる年は閏年とせず、400で割り切れる年は閏年とするという新しい規則も導入された[SRC-00045][SRC-00037][SRC-00450]。

ただし、この改暦は世界に一斉に広まったわけではなかった[SRC-00045]。同時に対応したのはイタリア・ポーランド・ポルトガル・スペインくらいにとどまったとされ、同年内にやや遅れてフランス・ベルギーが続いた[SRC-00450]。カトリックとプロテスタントの宗教的な対立も、導入の足並みをそろえにくくした一因だった[SRC-00045][SRC-00450]。

歴史的背景

改暦の背景には、暦の狂いが単なる暦法上の問題にとどまらず、キリスト教社会の中心的な祝祭である復活祭の日取りを揺るがしていたという事情があった[SRC-00450]。復活祭は春分の後にくる最初の満月の、次の日曜日と定められており、暦上の春分が実際の天文現象とずれれば、復活祭の日取りそのものが本来の意図から外れてしまう[SRC-00450]。グレゴリウス13世自身も北イタリアのボローニャの出身で、大学で教えた経歴を持ち、トリエント公会議の決定事項を実行に移すなかでカトリック教会の教育制度の充実に力を注いだ人物だった[SRC-00451]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
325年(ユリウス暦・ニカイア公会議) 復活祭の基準として春分を3月21日と定める [SRC-00450]
1577年(ユリウス暦) グレゴリウス13世、改暦委員会を組織 [SRC-00450]
1582年2月24日(ユリウス暦) 教皇の教書により改暦案を発表 [SRC-00045][SRC-00450]
1582年10月4日(木・ユリウス暦)→10月15日(金・グレゴリオ暦) 翌日を10月15日とすることで新暦が始まる。イタリア・ポーランド・ポルトガル・スペインくらいが同時に対応したとされる [SRC-00045][SRC-00037][SRC-00450]
1752年9月2日(ユリウス暦)→9月14日(グレゴリオ暦) イギリスが採用 [SRC-00045]
1873年(明治6年・グレゴリオ暦) 日本が太陽暦を採用 [SRC-00450][SRC-00037][SRC-00045]
1918年(グレゴリオ暦) ロシアが採用 [SRC-00045]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

改暦の日付そのもの(10月4日の翌日を10月15日とする)については、確認した資料間に対立する記述はなかった。ただし、1582年時点で「同時に」改暦へ対応した国がどこまでかは、資料によって扱いの精度が異なる。国立天文台暦計算室の解説は「グレゴリオ暦は1582年に一斉導入されたわけではありません」と明言する一方、1582年時点の具体的な国名の列挙は行っていない[SRC-00045]。理科年表オフィシャルサイトも「すべての国が1582年に一斉に変更したわけではない」と述べるにとどまり、国名は挙げていない[SRC-00037]。これに対し、コトバンク収載の『改訂新版世界大百科事典』(内田正男)は「同時に実施したのはイタリア,ポーランド,ポルトガル,スペインくらい」と4か国を挙げつつも、「〜くらい」という留保を付けている[SRC-00450]。この列挙を独立に裏づける2件目の資料は、本記事が確認した範囲では見つからなかった。

また、改暦の動機となった春分のずれの時期についても、コトバンクの同一ページに収載された事典間で記述が3通りに分かれる。『改訂新版世界大百科事典』(内田正男)は「16世紀中ごろに春分は3月11日ころになっていた」と記す一方、『日本大百科全書(ニッポニカ)』(渡辺敏夫)は「16世紀終わりころになると…3月21日の春分は3月11日となり」、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』は「1582年には実際の春分の日は3月11日になっていた」と、時期の記述がそれぞれ異なる[SRC-00450]。本文では最も詳しく経緯を記す改訂新版世界大百科事典の記述に従って書いたが、いずれの時期も単一の収載資料に基づく。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
1582年に「同時に」改暦へ対応した国の範囲 イタリア・ポーランド・ポルトガル・スペインの4か国 『改訂新版世界大百科事典』(内田正男)が「くらい」という留保付きで明記 [SRC-00450]
同上 具体的な国名を挙げず、国や州ごとに導入時期が異なるとのみ説明 国立天文台暦計算室・理科年表オフィシャルサイトはいずれも1582年時点の国名列挙を行わない [SRC-00045][SRC-00037]
ユリウス暦での春分が3月11日ころまでずれていた時期 16世紀中ごろ 『改訂新版世界大百科事典』(内田正男) [SRC-00450]
同上 16世紀終わりころ 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(渡辺敏夫) [SRC-00450]
同上 1582年には 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』 [SRC-00450]

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

グレゴリオ暦は、今日世界のほとんどの国で用いられる標準的な暦法になっている[SRC-00450]。1582年の改暦そのものが世界に一斉に広まったわけではなく、イギリスの1752年・日本の1873年・ロシアの1918年のように、各国・各地域が独自の事情で採用時期を決めていった結果として、現在の共通暦が形づくられた(前掲の経過から導かれる本サイトの整理であり、出典が直接この評価を述べるものではない)[SRC-00045][SRC-00450]。閏年の規則(400年に97回)[SRC-00045][SRC-00037]は、1582年の導入から2026年現在まで440年以上にわたって使われ続けている(本サイトの算出)。

現代の視点

「何年何月何日」という西暦表記は、暦種別を明示しなければ実は一意に定まらない。国立天文台暦計算室は、統一的に日付を表現する場合には「1582年10月4日まではユリウス暦、以降はグレゴリオ暦を用いるのが一般的です」と説明している[SRC-00045]。本サイトが日付データに暦種別(ユリウス暦・グレゴリオ暦・和暦など)を必ず併記し、換算方針としてもこの1582年10月15日を境界に、それ以降の出来事をグレゴリオ暦換算、それより前の出来事をユリウス暦換算で扱っているのは、この慣行に沿ったものである(本サイトの整理)。この記事が扱う出来事は、まさにその境界線上に位置している。

出典一覧

  1. [SRC-00037] ユリウス暦とグレゴリオ暦(理科年表オフィシャルサイト・片山真人)/理科年表オフィシャルサイト(丸善出版/国立天文台編)(ランクA)
  2. [SRC-00045] 暦Wiki「グレゴリオ暦」(国立天文台暦計算室)/国立天文台暦計算室(ランクA)
  3. [SRC-00450] グレゴリオ暦/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE MARKETING運営、複数辞典を収載するアグリゲータ)(ランクB)(複数の資料を収載)
  4. [SRC-00451] グレゴリウス(13世)/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE MARKETING運営、複数辞典を収載するアグリゲータ)(ランクB)(複数の資料を収載)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-03
22026-09-03あり
32026-09-03なし

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