10月5日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1865年
徳川慶喜らが朝廷を説得し、条約は勅許されたが、兵庫開港の取り止めなど条件がついた
条約は勅許されたが、兵庫開港の取り止めなど条件がつけられた。
この週の出来事
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1180年平安時代10月6日
源頼朝が相模国に着いた日、鎌倉入りはおよそ一か月前に千葉常胤が進言していた
石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、房総・武蔵で勢力を立て直した。治承4年(1180年)9月9日、千葉常胤は頼朝に速やかに相模国鎌倉へ向かうよう進言したと『吾妻鏡』は記す。頼朝が実際に相模国へ到着したと記されるのは、その約1か月後の10月6日のことで、この条に「鎌倉」の地名はまだ現れない。
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1707年江戸時代10月4日
壊滅的被害を受けた地域を歩いた土佐藩士は、日本最大級とされる地震の記録を書き残した
宝永4年10月4日(グレゴリオ暦1707年10月28日)、遠州灘から四国までの沖合を震源に発生した宝永地震。マグニチュードは出典によりM8.4〜8.6、死者数も5千人以上から2万人超まで幅がある。土佐藩士・奥宮正明は領内の被害を見聞し、約2カ月後に「谷陵記」をまとめた。地震の49日後には富士山が噴火した。
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1203年鎌倉時代10月3日
運慶・快慶ら4人の大仏師が短期間で彫り上げた東大寺南大門の仁王像は、建仁3年10月3日に開眼したと伝えられる
建仁3年(1203年)、東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)は、大仏師運慶・快慶・定覚・湛慶の4人が短期間で造立したとされる。開眼供養は10月3日と伝えられ、墨書により阿形は運慶・快慶、吽形は定覚・湛慶が担当したとされる。全体の分担・統括は今も明らかでないとされる。
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1859年江戸時代10月7日
橋本左内は評定所で死罪を申し渡され、その日のうちに小伝馬町牢屋敷で処刑された
福井藩士橋本左内は、将軍継嗣問題で一橋派として活動したことから安政の大獄に連座した。安政6年(1859年)10月7日朝、江戸の評定所で死罪を申し渡され、その日のうちに小伝馬町牢屋敷内で処刑された。同じ日、尊攘派の志士頼三樹三郎も死罪となっている。