10月3日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1203年
運慶・快慶ら4人の大仏師が短期間で彫り上げた東大寺南大門の仁王像は、建仁3年10月3日に開眼したと伝えられる
国宝仁王像は短期間で完成したが、銘文が示す阿形・吽形の帰属を超えて4人の仏師が実際どう分担したかは今も明らかでないとされる。
この週の出来事
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1707年江戸時代10月4日
壊滅的被害を受けた地域を歩いた土佐藩士は、日本最大級とされる地震の記録を書き残した
宝永4年10月4日(グレゴリオ暦1707年10月28日)、遠州灘から四国までの沖合を震源に発生した宝永地震。マグニチュードは出典によりM8.4〜8.6、死者数も5千人以上から2万人超まで幅がある。土佐藩士・奥宮正明は領内の被害を見聞し、約2カ月後に「谷陵記」をまとめた。地震の49日後には富士山が噴火した。
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1855年江戸時代10月2日
母を案じて行動した水戸藩士は、江戸を襲った大地震で命を落とした
安政2年10月2日(グレゴリオ暦1855年11月11日)夜、江戸を襲った内陸直下型の地震「安政江戸地震」。水戸藩士・藤田東湖は母を案じて行動するさなかに命を落とした一人である。死者は町奉行所調べで町方だけで約4,293人、記録によっては1万人前後ともされ、地震の規模も出典により推定が分かれ確定していない。
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1587年安土桃山時代10月1日
九州を平定したばかりの秀吉は、身分を問わぬ大茶会を開き、なぜか1日で打ち切った
天正15年(1587)10月1日、九州平定を終えたばかりの豊臣秀吉は、京都・北野天満宮で身分を問わず参加できる大茶会「北野大茶湯」を催した。千利休・今井宗久・津田宗及が茶頭を務めたが、当初10日間の予定は1日で打ち切られ、集まった人数も資料によって数字が異なる。
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1865年江戸時代10月5日
徳川慶喜らが朝廷を説得し、条約は勅許されたが、兵庫開港の取り止めなど条件がついた
慶応元年(1865年)9月、兵庫沖に来航した英・米・仏・蘭の連合艦隊を前に、禁裏守衛総督徳川慶喜らは朝廷との協議にあたった。7年前に無断で調印されていた安政五カ国条約は、この時ようやく勅許された。ただし朝廷が認めたのは条約のみで、兵庫開港の取り止めなど条件がついた。