10月2日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1855年
母を案じて行動した水戸藩士は、江戸を襲った大地震で命を落とした
死者数も地震の規模も、公的な記録の中で今なお複数の数字が併存している。
この週の出来事
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1203年鎌倉時代10月3日
運慶・快慶ら4人の大仏師が短期間で彫り上げた東大寺南大門の仁王像は、建仁3年10月3日に開眼したと伝えられる
建仁3年(1203年)、東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)は、大仏師運慶・快慶・定覚・湛慶の4人が短期間で造立したとされる。開眼供養は10月3日と伝えられ、墨書により阿形は運慶・快慶、吽形は定覚・湛慶が担当したとされる。全体の分担・統括は今も明らかでないとされる。
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1587年安土桃山時代10月1日
九州を平定したばかりの秀吉は、身分を問わぬ大茶会を開き、なぜか1日で打ち切った
天正15年(1587)10月1日、九州平定を終えたばかりの豊臣秀吉は、京都・北野天満宮で身分を問わず参加できる大茶会「北野大茶湯」を催した。千利休・今井宗久・津田宗及が茶頭を務めたが、当初10日間の予定は1日で打ち切られ、集まった人数も資料によって数字が異なる。
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894年平安時代9月30日
遣唐大使に選ばれた菅原道真が天皇に求めたのは、中止ではなく議定だったとされる
寛平6年(894年)、遣唐大使に任じられていた菅原道真の建議・上表をきっかけに遣唐使は停止された、と広く伝えられてきた。ただし道真が9月14日に提出した文書が求めたのは中止ではなく議定だったとされ、『日本紀略』が9月30日条に記す停止の記述も近年の学術的検討では独立した史料的価値を持たないとされる。
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1707年江戸時代10月4日
壊滅的被害を受けた地域を歩いた土佐藩士は、日本最大級とされる地震の記録を書き残した
宝永4年10月4日(グレゴリオ暦1707年10月28日)、遠州灘から四国までの沖合を震源に発生した宝永地震。マグニチュードは出典によりM8.4〜8.6、死者数も5千人以上から2万人超まで幅がある。土佐藩士・奥宮正明は領内の被害を見聞し、約2カ月後に「谷陵記」をまとめた。地震の49日後には富士山が噴火した。