10月1日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1587年
九州を平定したばかりの秀吉は、身分を問わぬ大茶会を開き、なぜか1日で打ち切った
身分を超えて誰でも参加できたこの茶会は、なぜか初日で打ち切られた。理由も規模も、資料の間で今なお語ることが違う。
この週の出来事
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894年平安時代9月30日
遣唐大使に選ばれた菅原道真が天皇に求めたのは、中止ではなく議定だったとされる
寛平6年(894年)、遣唐大使に任じられていた菅原道真の建議・上表をきっかけに遣唐使は停止された、と広く伝えられてきた。ただし道真が9月14日に提出した文書が求めたのは中止ではなく議定だったとされ、『日本紀略』が9月30日条に記す停止の記述も近年の学術的検討では独立した史料的価値を持たないとされる。
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1855年江戸時代10月2日
母を案じて行動した水戸藩士は、江戸を襲った大地震で命を落とした
安政2年10月2日(グレゴリオ暦1855年11月11日)夜、江戸を襲った内陸直下型の地震「安政江戸地震」。水戸藩士・藤田東湖は母を案じて行動するさなかに命を落とした一人である。死者は町奉行所調べで町方だけで約4,293人、記録によっては1万人前後ともされ、地震の規模も出典により推定が分かれ確定していない。
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1203年鎌倉時代10月3日
運慶・快慶ら4人の大仏師が短期間で彫り上げた東大寺南大門の仁王像は、建仁3年10月3日に開眼したと伝えられる
建仁3年(1203年)、東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)は、大仏師運慶・快慶・定覚・湛慶の4人が短期間で造立したとされる。開眼供養は10月3日と伝えられ、墨書により阿形は運慶・快慶、吽形は定覚・湛慶が担当したとされる。全体の分担・統括は今も明らかでないとされる。
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1972年昭和9月29日
日中共同声明は「憲法にいう条約ではない」と、田中角栄首相は国会で説明した
1972年9月29日、北京で日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明が発出された。田中角栄首相と周恩来が署名したとされるこの文書をめぐり、田中首相自身は帰国後の国会で、憲法にいう条約ではなく国会承認を要しないと説明したが、国会内の一部議員はこれに異論を唱えた。