日中共同声明は「憲法にいう条約ではない」と、田中角栄首相は国会で説明した

日付と暦

原典表記
1972年9月29日(グレゴリオ暦)
換算
1972-09-29(グレゴリオ暦)
掲載日
9月29日のページ

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概要

1972年9月25日から9月30日まで、日本国内閣総理大臣・田中角栄は、中華人民共和国国務院総理・周恩来の招きに応じて中華人民共和国を訪問したと外務省の記録は伝える[SRC-00286]。当時、日本は台湾と外交関係を持つ一方、中華人民共和国政府とは国交がなかった(田中の後の国会答弁から遡って確認できる)[SRC-00287][SRC-00288]。田中は9月27日に毛沢東主席とも会見したとされる[SRC-00286]。1972年9月29日、北京で「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」が発出された[SRC-00286][SRC-00288]。田中と周恩来が署名したと外務省の記録は伝える[SRC-00286]。共同声明第1項の文言では、両国間の「不正常な状態」がこの日に終了するとされ[SRC-00286]、第4項では同日からの外交関係樹立が決定された[SRC-00286]。ところが田中は帰国から1か月後、国会でこの文書は「憲法にいう条約ではない」と説明することになる[SRC-00287][SRC-00288]。この説明に、国会内の一部議員は異論を唱えた[SRC-00287][SRC-00288]。

本文

共同声明の前文によれば、田中・大平正芳外務大臣と周恩来・姫鵬飛外交部長は「終始,友好的な雰囲気のなかで真剣かつ卒直に意見を交換」したとされる[SRC-00286]。声明は9項目からなる。第1項は「これまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する」とし、第2項で日本国政府は「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」とした[SRC-00286]。第3項は次のように定める。「中華人民共和国政府は,台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は,この中華人民共和国政府の立場を十分理解し,尊重し,ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」[SRC-00286]。第5項は、中華人民共和国政府による対日戦争賠償の請求放棄を宣言した(逐語: 「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」)[SRC-00286]。

署名から1か月あまりのうちに、田中は衆議院本会議で2度、この文書の法的性格を問われた。10月30日の答弁はこうである。「先般の日中共同声明は、政治的にはきわめて重要な意味を持つものでございますが、法律的合意を構成する文書ではなく、憲法にいう条約ではございません」[SRC-00287]。翌31日の答弁でも、田中は同じ趣旨をほぼ同じ言葉で繰り返した[SRC-00288]。台湾との関係についても田中は「日中国交正常化の結果、台湾とわが国との外交関係は維持できなくなりました」と国会で述べた[SRC-00288]。しかし、この「憲法にいう条約ではない」という政府の説明に対し、質問に立った議員から異論が出た(詳細は異説・論争欄)[SRC-00287][SRC-00288]。

歴史的背景

日本は台湾との間に日華平和条約を結んでおり、中華人民共和国政府との国交はなかった(田中の後の国会答弁から遡って確認できる)[SRC-00287]。田中角栄は1972年7月7日に内閣総理大臣に就任していた[SRC-00289]。田中は後に国会で、日中国交正常化の結果として日華平和条約は終了したものと認められると説明した[SRC-00287]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1972年7月7日(グレゴリオ暦) 田中角栄、第64代内閣総理大臣に就任。第1次田中内閣成立 [SRC-00289]
1972年9月25日(グレゴリオ暦) 田中角栄首相、中華人民共和国訪問(9月25日〜30日)を開始 [SRC-00286]
1972年9月27日(グレゴリオ暦) 毛沢東主席が田中角栄首相と会見 [SRC-00286]
1972年9月29日(グレゴリオ暦) 北京で日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明が発出される。日中国交正常化 [SRC-00286][SRC-00288]
1972年9月30日(グレゴリオ暦) 田中角栄首相の訪中日程終了 [SRC-00286]
1972年10月30日(グレゴリオ暦) 田中角栄首相、衆議院本会議で共同声明の法的性格について答弁。竹入義勝議員が国会承認を求めるべきだと主張 [SRC-00287]
1972年10月31日(グレゴリオ暦) 田中角栄首相、衆議院本会議で同旨の答弁を繰り返す。春日一幸議員が憲法第七十三条第三項(原文表記)を根拠に異論を述べる [SRC-00288]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

共同声明そのものの日付・場所・署名者について、調査範囲内(外務省が公開する声明全文、および国会会議録2件〔いずれも会議録全体を確認〕)で異説は確認されなかった。一方、**共同声明の法的性格(国会承認の要否)**をめぐっては、政府と国会内の一部議員との間に、憲法解釈にまで及ぶ明確な対立があった。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
共同声明の国会承認の要否 政府見解: 「法律的合意を構成する文書ではなく、憲法にいう条約ではございません」ため、国会の承認は不要(ただし「事柄の重要性にかんがみ」国会での審議は求める) 田中角栄首相の国会答弁 [SRC-00287][SRC-00288] 本記事が確認した4出典(1972〜73年の記録)には、学界の評価は含まれない
同上 国会内の異論(竹入義勝・公明党): 共同声明は「日華平和条約の否定、戦争状態の終結、賠償請求の放棄等を含めて、国交正常化を成立させる、事実上平和条約の効力を有するもの」であり「当然国会に承認を求めるべき性質」。国会承認を経ないことは「国会の審議権を守るか侵すかの問題」であり、政府の対応は「行政権の乱用による悪例」になりかねないと主張した 竹入義勝議員の質問(1972年10月30日・衆議院本会議) [SRC-00287] 同上
同上 国会内の異論(春日一幸・民社党): 共同声明は「憲法第七十三条第三項の規定に照らし、当然国会の承認を受けるべき筋合いのもの」であり、その内容は「明らかに条約ないし宣言に何ら異ならぬ権威を持つもの」。国会承認を不要とする先例を開けば「国会の承認を必要とする憲法上の義務規定を免責することになり、…わが国政の将来に、はかり知れぬ禍根を植える」と主張した 春日一幸議員の質問(1972年10月31日・衆議院本会議) [SRC-00288] 同上(春日が引く条文は原文で「第七十三条第三項」と表記されている)

この対立が本記事の4出典の範囲でその後どう決着したか(法的性格が最終的にどう扱われたか)は確認していない(調査範囲外)。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

田中角栄首相は国会で、日中関係の正常化について「アジアのみならず、世界の平和の基礎を固めるものとして画期的なできごとでございます」と述べた[SRC-00288]。共同声明は、田中首相自身の説明によれば法律的には条約ではなかったが[SRC-00287][SRC-00288]、外務省は、この文書を「日本政府が関与した重要共同コミュニケおよび政府声明」の一つとして公開資料に収めていた[SRC-00286]。

現代の視点

2026年は、共同声明の調印から54年にあたる(現在年からの単純な算術)。声明が定めた平和友好条約締結への合意[SRC-00286]や、「憲法にいう条約ではない」という田中首相自身の説明とそれに対する国会内の異論[SRC-00287][SRC-00288]は、日本の対中外交がどのような形式で積み上げられてきたかを考える手がかりであり続けている(本稿の整理であり、出典が直接この評価を述べるものではない)。

出典一覧

  1. [SRC-00286] (11) 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(『わが外交の近況』昭和48年版〔外交青書〕資料編)/外務省(ランクS)
  2. [SRC-00287] 第70回国会 衆議院本会議 第3号(1972年10月30日)田中角榮内閣総理大臣答弁(対竹入義勝議員)/国立国会図書館(国会会議録検索システム)(ランクS)
  3. [SRC-00288] 第70回国会 衆議院本会議 第4号(1972年10月31日)田中角榮内閣総理大臣答弁(対春日一幸議員)/国立国会図書館(国会会議録検索システム)(ランクS)
  4. [SRC-00289] 歴代内閣 第64代 田中角榮(首相官邸ホームページ)/首相官邸(内閣官房)(ランクA)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-08-29
22026-08-29あり
32026-08-29あり

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