9月25日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1555年
皇帝は姿を見せず、皇帝の委任を受けた弟フェルディナントが発した、領邦ごとの信仰を認める和議
領邦の宗派を選べたのは支配者だけで、住民に認められたのは立ち去る自由だけだった。合意は火種を残したまま三十年戦争へ持ち越された。
この週の出来事
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1954年昭和9月26日
いったん出港を見合わせた洞爺丸は、なぜ午後6時39分に岸を離れたのか
1954年9月26日夜、台風第15号(洞爺丸台風)が北海道に接近するなか、青函連絡船洞爺丸は函館港外で投錨したが走錨し、転覆・沈没した。同じ嵐で貨物船4隻も遭難し、犠牲者数は出典により1,155名または乗員乗客1,139名とされる。事故の教訓は連絡船の構造改善や、本州と北海道を結ぶ海底トンネル構想の具体化につながった。
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1965年昭和9月24日
MITでコンピュータの息吹に触れた技術者の発案から、国鉄「みどりの窓口」は生まれたとされる
1965年9月24日、国鉄は全国の主な駅に指定席券の予約発売窓口「みどりの窓口」を開設したと伝えられる。台帳と電話に頼っていた指定席予約は、国鉄と日立製作所が共同開発した座席予約システム「マルス」によってオンライン化された。名称の由来とされる指定券の黄緑色の地紋から、その後の技術の歩みまでをたどる。
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1577年安土桃山時代9月23日
能登の城を落として南下した上杉謙信が、手取川で対峙したのは信長本隊ではなく柴田勝家の軍勢だったとされる
天正5年9月23日(ユリウス暦1577年11月3日)、能登・七尾城を落とした上杉謙信は南下し、手取川で織田方の軍勢と対峙したと伝えられる。「はねる謙信、逃げる信長」の落首で知られるが、手取川で実際に対峙したのは柴田勝家の軍勢で、信長本隊は加わっていなかったとされる。
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1868年明治9月23日
家老・河井継之助を失った長岡藩は、新政府軍に降伏したとされる
慶応4年(1868年)、長岡藩は家老・河井継之助の指揮のもと新政府軍と激戦を重ねたが、長岡城は二度落城し、継之助自身も奪還戦で負った傷が癒えないまま8月16日に死去したとされる。継之助を失った長岡藩は、明治元年9月23日、新政府軍に降伏したと伝えられる。