3月24日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1603年
エリザベス1世、1603年3月24日に死去——テューダー朝最後の君主の死は、当時のイングランドの年始慣行では『1602年』の出来事だった
エリザベスの死は『1603年』の出来事とされるが、当時のイングランド自身の暦の数え方では『1602年』の出来事だった。
この週の出来事
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1775年世界 18世紀3月23日
パトリック・ヘンリー、『自由か死か』演説 — 議場に残っていたのは、42年後に甦った聴衆の記憶だった
1775年3月23日、バージニア植民地リッチモンドの第2次バージニア協議会で、パトリック・ヘンリーは民兵武装の決議を弁護する演説を行い、決議は僅差で可決された。だが演説の言葉は当時記録されず、「自由か死か」の文言は演説から42年後の1817年刊行の伝記で初めて活字になったものである。
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1957年世界 20世紀3月25日
ローマ条約調印——1957年3月25日、EECとEURATOMを生んだ『2つの条約』
1957年3月25日、ローマのカピトリーノで、ECSC加盟6か国の代表が2つの条約に調印した。1つは欧州経済共同体(EEC)を、もう1つは欧州原子力共同体(EURATOM)を設立する条約で、両条約は1958年1月1日に発効した。今日「ローマ条約」と呼ばれるこの調印は、後の欧州連合(EU)へ続く欧州統合の一歩となった。
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1765年世界 18世紀3月22日
英議会、印紙法を制定 — 貴族院の同意は3月8日、国王裁可は病身のジョージ3世に代わり王室委員が行った3月22日
1765年3月22日、英議会は北米植民地に印紙税を課す印紙法を成立させた。貴族院は3月8日に修正なく同意していたが、国王ジョージ3世は病気のため出席できず、国王裁可は王室委員による代理で行われた。植民地側は『代表なくして課税なし』を掲げて抵抗し、法は翌1766年3月18日に廃止された。
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1827年世界 19世紀3月26日
1827年3月26日、ベートーヴェンがウィーンで死去した——死因を巡る通説は毛髪の遺伝子研究で見直されつつある
1827年3月26日、ウィーンでベートーヴェンが56歳で死去した。長年語られてきた鉛中毒説は、2023年の毛髪ゲノム研究で再検証され、肝疾患への遺伝的素因とB型肝炎感染が死因の有力な要因として浮かび上がった。2024年の別の毛髪分析は高濃度の鉛を確認したが、死因そのものではないとされる。