3月25日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1957年
ローマ条約調印——1957年3月25日、EECとEURATOMを生んだ『2つの条約』
1957年3月25日に調印されたのは1つの条約ではなくEECとEURATOMを設立する2つの条約であり、発効は同年ではなく1958年1月1日だった。
この週の出来事
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1603年世界 17世紀3月24日
エリザベス1世、1603年3月24日に死去——テューダー朝最後の君主の死は、当時のイングランドの年始慣行では『1602年』の出来事だった
1603年3月24日早朝、イングランド女王エリザベス1世がリッチモンド宮殿で69歳で死去した。テューダー朝最後の君主の死から数時間後、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位宣言され、両国は同君連合となった。当時のイングランドの年始慣行では、この日はなお『1602年』の出来事だった。
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1827年世界 19世紀3月26日
1827年3月26日、ベートーヴェンがウィーンで死去した——死因を巡る通説は毛髪の遺伝子研究で見直されつつある
1827年3月26日、ウィーンでベートーヴェンが56歳で死去した。長年語られてきた鉛中毒説は、2023年の毛髪ゲノム研究で再検証され、肝疾患への遺伝的素因とB型肝炎感染が死因の有力な要因として浮かび上がった。2024年の別の毛髪分析は高濃度の鉛を確認したが、死因そのものではないとされる。
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1775年世界 18世紀3月23日
パトリック・ヘンリー、『自由か死か』演説 — 議場に残っていたのは、42年後に甦った聴衆の記憶だった
1775年3月23日、バージニア植民地リッチモンドの第2次バージニア協議会で、パトリック・ヘンリーは民兵武装の決議を弁護する演説を行い、決議は僅差で可決された。だが演説の言葉は当時記録されず、「自由か死か」の文言は演説から42年後の1817年刊行の伝記で初めて活字になったものである。
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1977年世界 20世紀3月27日
テネリフェ空港衝突事故——ボーイング747二機が滑走路上で衝突、583名が死亡
1977年3月27日、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島のロス・ロデオス空港で、KLM機とPan Am機のボーイング747二機が滑走路上で衝突し583名が死亡した。爆弾テロによる空港迂回と悪天候が重なる中、離陸許可を巡る無線交信の行き違いから起きた事故で、その後の航空管制用語の標準化に大きな影響を与えた。