3月22日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1765年
英議会、印紙法を制定 — 貴族院の同意は3月8日、国王裁可は病身のジョージ3世に代わり王室委員が行った3月22日
『代表なくして課税なし』を掲げた反発は、病気の国王に代わり王室委員が裁可した法律から始まった。
この週の出来事
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1685年世界 17世紀3月21日
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、アイゼナハで生まれる
1685年、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはドイツ・アイゼナハで、町楽師(本サイト訳)を務める音楽家一族の子として生まれた。誕生日はユリウス暦3月21日、グレゴリオ暦換算では3月31日にあたる。バッハの死後、その音楽は一時忘れられたが、19世紀のメンデルスゾーンによる再演を機に再評価された。
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1775年世界 18世紀3月23日
パトリック・ヘンリー、『自由か死か』演説 — 議場に残っていたのは、42年後に甦った聴衆の記憶だった
1775年3月23日、バージニア植民地リッチモンドの第2次バージニア協議会で、パトリック・ヘンリーは民兵武装の決議を弁護する演説を行い、決議は僅差で可決された。だが演説の言葉は当時記録されず、「自由か死か」の文言は演説から42年後の1817年刊行の伝記で初めて活字になったものである。
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1603年世界 17世紀3月24日
エリザベス1世、1603年3月24日に死去——テューダー朝最後の君主の死は、当時のイングランドの年始慣行では『1602年』の出来事だった
1603年3月24日早朝、イングランド女王エリザベス1世がリッチモンド宮殿で69歳で死去した。テューダー朝最後の君主の死から数時間後、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位宣言され、両国は同君連合となった。当時のイングランドの年始慣行では、この日はなお『1602年』の出来事だった。
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1815年世界 19世紀3月20日
ナポレオンがパリに入城し帝政を復活させたのは1815年3月20日——「百日天下」という呼び名は、ルイ18世の逃亡から数えられていた
1815年3月20日、南仏に上陸したナポレオン・ボナパルトがパリのチュイルリー宮殿に入城し、帝政を復活させた。その前日、国王ルイ18世は同宮殿を去っていた。この政権はのちに『百日天下』と呼ばれるが、この呼称は実はナポレオンの帰還ではなく、ルイ18世が首都を去っていた期間を起点に数えられたものだったと伝えられる。