3月4日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
-
1789年
アメリカ合衆国憲法は、1789年3月4日、新政府がその下での手続をニューヨークで開始した——フィラデルフィアでの署名(1787年9月17日)、9邦目ニューハンプシャーの批准(1788年6月21日)とは、いずれも別の日付である
合衆国憲法には、署名・9邦目の批准・新政府始動という、少なくとも3つの異なる日付がある。
この週の出来事
-
1770年世界 18世紀3月5日
ボストン虐殺事件 — 英軍兵士の発砲でボストン住民5人が死亡、呼び名は事件直後から争われた
1770年3月5日夜、英領マサチューセッツ植民地ボストンのキング・ストリート、税関前で、英軍兵士が対峙していた群衆へ発砲し、クリスパス・アタックスを含む住民5人が死亡した。愛国派はこれを「虐殺」と呼び宣伝に用いた一方、英兵の弁護を愛国派のジョン・アダムズらが務めた裁判で、8人中6人が無罪となった。
-
1860年江戸時代3月3日
桜田門外の変 — 大老・井伊直弼、江戸城門前で暗殺される
安政7年3月3日(グレゴリオ暦換算1860年3月24日)朝、江戸幕府の大老井伊直弼が、登城の途中、江戸城桜田門外で水戸藩浪士17名・薩摩藩浪士1名の計18名に襲われ暗殺された。日米修好通商条約の違勅調印と安政の大獄への反発が背景にあったとされる。
-
1475年世界 15世紀3月6日
ミケランジェロ・ブオナローティの誕生は、父ロドヴィーコ自身の日記に『1474年3月6日』と記録された——フィレンツェ暦の年始のずれにより、現代の年表記では1475年3月6日にあたる
1475年3月6日、ミケランジェロ・ブオナローティはイタリアのカプレーゼで生まれた。誕生当時カプレーゼのポデスタ(地方行政官)だった父ロドヴィーコ自身の日記にその日時が記録されており、記録された年『1474年』はフィレンツェ暦の年始のずれによるもので、現代の年表記では1475年にあたる。
-
1917年世界 20世紀3月2日
ニコライ2世、退位——ロマノフ朝の終焉
1917年、ロシア二月革命の展開の中で、ロシア帝国皇帝ニコライ2世が退位した(露暦3月2日・新暦換算とみられる3月15日)。ニコライは当初、皇太子アレクセイへの譲位を意図したが、弟ミハイル大公に皇位を差し向けた。ミハイルは正式な統治者とはならず、300年以上続いたロマノフ王朝による統治は終わりを告げた。