3月2日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1917年
ニコライ2世、退位——ロマノフ朝の終焉
皇位は息子から弟へ差し向けられたが、ロマノフ王朝の統治はそこで終わった。
この週の出来事
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1860年江戸時代3月3日
桜田門外の変 — 大老・井伊直弼、江戸城門前で暗殺される
安政7年3月3日(グレゴリオ暦換算1860年3月24日)朝、江戸幕府の大老井伊直弼が、登城の途中、江戸城桜田門外で水戸藩浪士17名・薩摩藩浪士1名の計18名に襲われ暗殺された。日米修好通商条約の違勅調印と安政の大獄への反発が背景にあったとされる。
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1881年世界 19世紀3月1日
アレクサンドル2世、ナロードナヤ・ヴォーリャの爆弾により暗殺される——露暦1881年3月1日、改革案に署名した当日のことだった
1881年3月1日(露暦。新暦換算3月13日)、ロシア皇帝アレクサンドル2世は、内務大臣ロリス=メリコフが起草した行政・財政改革案に署名した当日、サンクトペテルブルクでナロードナヤ・ヴォーリャ(人民の意志党)のメンバーが投げた爆弾により死亡した。
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1789年世界 18世紀3月4日
アメリカ合衆国憲法は、1789年3月4日、新政府がその下での手続をニューヨークで開始した——フィラデルフィアでの署名(1787年9月17日)、9邦目ニューハンプシャーの批准(1788年6月21日)とは、いずれも別の日付である
1788年9月13日、連合会議は批准受理を確認し、1789年3月の第1水曜日(3月4日)を合衆国憲法下の手続開始日と定める決議を可決した。この日は、1787年9月17日の署名、1788年6月21日にニューハンプシャーが9邦目の批准州となった日とは、いずれも別の日である。
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1770年世界 18世紀3月5日
ボストン虐殺事件 — 英軍兵士の発砲でボストン住民5人が死亡、呼び名は事件直後から争われた
1770年3月5日夜、英領マサチューセッツ植民地ボストンのキング・ストリート、税関前で、英軍兵士が対峙していた群衆へ発砲し、クリスパス・アタックスを含む住民5人が死亡した。愛国派はこれを「虐殺」と呼び宣伝に用いた一方、英兵の弁護を愛国派のジョン・アダムズらが務めた裁判で、8人中6人が無罪となった。