12月10日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1948年
エレノア・ルーズベルトが議長を務めた委員会の草案が、1948年12月10日、パリで世界人権宣言として採択された——それは、法的拘束力を持たない宣言だった
世界人権宣言は、義務を課す条約としてではなく、拘束力を持たない「宣言」として採択された。
この週の出来事
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1936年世界 20世紀12月11日
エドワード8世、シンプソン夫人との結婚を貫くため退位——法として成立したのは1936年12月11日
1936年12月10日、エドワード8世は退位文書に署名した。だが退位はまだ法として成立していなかった。翌11日、退位法が国王裁可を得たことで法的効力を生じ、同じ日、エドワードはラジオ放送で国民に別れを告げたとされる。
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1948年世界 20世紀12月9日
レムキンが名付けた罪を裁く条約が、1948年12月9日にパリで採択された——政治的集団は保護の対象に含まれなかった
1948年12月9日、パリのシャイヨ宮で開かれていた国連総会第3会期の本会議で、集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約が決議260号(III)Aにより採択された。「genocide」の語を1944年に造語したレムキンも起草に関わった専門家の一人だった。条約が保護対象とする集団に、政治的集団は含まれていない。
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1901年世界 20世紀12月12日
マルコーニは、コーンウォールから大西洋を越えて届いたという無線信号を、ニューファンドランドで受信したと発表した——証拠は実験ノートと二人の耳だけだった
1901年12月12日、グリエルモ・マルコーニは助手ジョージ・ケンプとともに、イングランド・コーンウォールのポルデュー局から送信されたとされるモールス符号「S」を、大西洋を越えたニューファンドランド・シグナルヒルで受信したと発表した。証拠は実験ノートと2人の証言のみで、当時から2000年代に入っても論争が続いた。
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1941年世界 20世紀12月8日
日本軍は真珠湾を攻撃しマレー半島に上陸した——同じ開戦は、米国の記録で12月7日、日本の記録で12月8日となる
1941年12月、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃しマレー半島にも上陸した。対米覚書がハル国務長官に手交されたのは攻撃開始後で、文書自体に開戦の脅しはなかった。同じ開戦は米国の記録で12月7日、日本の記録で12月8日と、暦日が1日異なって残っている。