日本軍は真珠湾を攻撃しマレー半島に上陸した——同じ開戦は、米国の記録で12月7日、日本の記録で12月8日となる

日付と暦

原典表記
昭和16年12月8日(日本標準時)(グレゴリオ暦)
換算
1941-12-08(グレゴリオ暦)
掲載日
12月8日のページ

暦の注記: この開戦は、日本の記録では日本標準時1941年12月8日の出来事であり、米国及び英国に対する宣戦の詔書もこの日付で発せられた[SRC-00906]。同じ一連の軍事行動は、米国の記録では現地時間1941年12月7日の出来事として記録されている[SRC-00904][SRC-00905]。これは暦法(西暦・旧暦)の換算ではなく、日付変更線を挟む標準時の違いによるものと考えられる(本サイトの整理。出典は日米の日付の対応関係そのものを示すのみで、この機序自体は述べていない)。本サイトは原典(日本の宣戦の詔書)の日付に従い、12-08のページに掲載している(R-CAL-1)。

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概要

1941年12月7日午後2時20分、日本の野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命大使は、ハル国務長官に一通の文書を手交した[SRC-00907]。日本側の記録は、この文書を「事実上の最後通牒」と位置づけている[SRC-00907]。米国側の記録によれば、この文書は日米交渉の打ち切りを示唆する内容だったが、戦争や武力攻撃の脅しは含まれていなかった[SRC-00904]。だが、このときすでにハワイのオアフ島では、日本海軍の空母艦載機がアメリカ太平洋艦隊への攻撃を始めており[SRC-00904][SRC-00905]、日本軍もマレー半島に上陸していた[SRC-00907]。この一連の軍事行動によって太平洋戦争が始まった[SRC-00907]。同じ開戦は、米国の記録では1941年12月7日、日本の記録では1941年12月8日として、暦日1日の違いをもって記録されている[SRC-00904][SRC-00906]。

本文

日本とアメリカの交渉は、同年11月26日(アメリカ時間)、ハル国務長官が野村・来栖両大使に手交した文書(いわゆる「ハル・ノート」)を境に行き詰まっていた。中国及び仏領インドシナからの日本軍の全面撤兵などを含むアメリカ側の要求を、日本側は事実上の最後通牒と受け止めた[SRC-00907]。

12月7日朝(現地時間)、日本海軍の6隻の空母から発艦した第一波約180機が、オアフ島の真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊と周辺の飛行場を攻撃した。攻撃は午前8時前に始まり、約2時間後の午前10時前に終わった[SRC-00905]。ルーズベルト大統領は翌8日の演説で、この攻撃を「不意に、かつ計画的に行われた」と述べている[SRC-00904]。

日本軍はマレー半島にも上陸していた——国立公文書館アジア歴史資料センターの整理によれば、マレー半島上陸に続いて真珠湾への攻撃が開始されたとされる[SRC-00907]。ルーズベルト大統領も演説で「昨日、日本政府はマレーに対する攻撃も開始した」と述べている[SRC-00904]。対米覚書がハル国務長官に手交されたのは、現地時間12月7日午後2時20分(日本標準時では12月8日午前4時20分)で、ルーズベルト大統領によれば真珠湾攻撃の開始から1時間後だった[SRC-00904][SRC-00907]。米国側の記録によれば、この文書には戦争や武力攻撃を示唆する文言は含まれていなかった[SRC-00904]。日本側の記録は、この文書を「事実上の最後通牒」と位置づけている[SRC-00907]。米国及び英国に対する正式な宣戦の詔書は、同じ日本標準時12月8日のうちに、天皇の名で別途発せられた[SRC-00906][SRC-00907]。

歴史的背景

1930年代以降、中国大陸をめぐる対立から日米関係は悪化し、アメリカは日本への石油禁輸などの経済的な圧力を強めていた[SRC-00905]。詳細な経緯は本記事の主題を超えるため立ち入らない。日本側は同年11月26日のハル・ノートを事実上の最後通牒と受け止め、対米開戦の決定に踏み出したとされる[SRC-00907]。ルーズベルト大統領も演説で、日米間の外交交渉がなお続いていた最中の攻撃だったと述べている[SRC-00904]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1941年11月26日(グレゴリオ暦・米国時間) ハル国務長官が野村・来栖両大使に、日本側が事実上の最後通牒と受け止めた文書(ハル・ノート)を手交する [SRC-00907]
1941年12月7日 午前8時前(グレゴリオ暦・現地時間) 日本海軍の空母艦載機がハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃する(本記事の主題) [SRC-00905]
1941年12月8日(グレゴリオ暦・日本標準時) 日本軍がマレー半島に上陸する(本記事の主題) [SRC-00907]
1941年12月7日 午後2時20分(グレゴリオ暦・米国時間)=日本標準時12月8日午前4時20分 野村・来栖両大使が対米覚書をハル国務長官に手交する(真珠湾攻撃開始の1時間後) [SRC-00904][SRC-00907]
1941年12月8日(グレゴリオ暦・日本標準時) 米国及び英国に対する宣戦の詔書が発せられる [SRC-00906]
1941年12月8日 午後0時30分(グレゴリオ暦・米国時間) ルーズベルト大統領が連邦議会で演説する [SRC-00904]
1941年12月8日 午後4時(グレゴリオ暦・米国時間) ルーズベルト大統領が対日宣戦布告に署名する [SRC-00904]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

対米覚書の性格づけと攻撃の評価については、日米双方の記録の視点が異なる。本サイトはいずれの評価にも与しない(本サイトの整理)。

論点 根拠・出典 位置づけ
対米覚書の性格づけと攻撃の評価 米国側の記録: ルーズベルト大統領は演説で、この攻撃を「不意に、かつ計画的に行われた」ものとし、対米覚書には「戦争や武力攻撃の脅しないし示唆はなかった」と述べた。 ルーズベルト大統領演説(1941年12月8日)[SRC-00904] 攻撃を受けた米国大統領自身による、議会演説という公的な場での評価。
対米覚書の性格づけと攻撃の評価 日本側の記録: 対米覚書は「事実上の最後通牒」であり、これによって両国間の開戦が必至であることが示された。宣戦の詔書は、同じ日本標準時12月8日のうちに、天皇の名で発せられた。 国立公文書館アジア歴史資料センターの整理[SRC-00907]、宣戦の詔書原本[SRC-00906] 日本の公文書館が自国の公文書を整理した記述。

上表に示した事実経過(手交時刻・文書の性格づけ・詔書の発布)自体は、日米双方の公文書館が公開する記録から確認できる。対米覚書の手交をめぐる評価や、その背景・責任の所在については、本記事の主題(開戦の日付が両国で異なって記録される理由)を超えるため立ち入らない。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

この開戦は、アメリカを第二次世界大戦の戦局に本格的に参戦させる転機となった[SRC-00904]。同時に、同一の軍事行動が記録する国によって異なる暦日で残っている事例でもある(本サイトの整理)——日本の記録では1941年12月8日[SRC-00906]、米国の記録では1941年12月7日である[SRC-00904]。

現代の視点

アジア歴史資料センター(JACAR)と米国立公文書館(NARA)は、宣戦の詔書・対米覚書・大統領演説の原本をそれぞれデジタル公開しており、開戦をめぐる日米双方の一次資料を、現在は誰でも直接比較できるようになっている[SRC-00906][SRC-00904][SRC-00907]。

出典一覧

  1. [SRC-00904] Joint Address to Congress Leading to a Declaration of War Against Japan (1941)/アメリカ国立公文書館(National Archives and Records Administration)(ランクS)
  2. [SRC-00905] Overview of The Pearl Harbor Attack, 7 December 1941 (Naval History and Heritage Command)/アメリカ海軍歴史遺産司令部(Naval History and Heritage Command, NHHC)(ランクA)
  3. [SRC-00906] 御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件(JACAR Ref. A03022539800)/国立公文書館(国立公文書館アジア歴史資料センター経由)(ランクS)
  4. [SRC-00907] 終戦に関するアジア歴史資料センター公開資料のご紹介/国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)(ランクA)(複数の資料を収載)
  5. [SRC-00908] 日米交渉経緯 下巻(其ノニ) 3(JACAR Ref. B02030748300、「対米覚書」を含む記録綴)/外務省外交史料館(国立公文書館アジア歴史資料センター経由)(ランクS)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-06あり
22026-09-06あり
32026-09-06あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。