10月19日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1781年
コーンウォリスは、ヨークタウンでの降伏の儀式にオハラを代理に立てた
降伏した将軍コーンウォリスは、自らの次席指揮官オハラに、儀式で英軍を代表するよう指示した。
この週の出来事
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1867年世界 19世紀10月18日
国務長官スワードが結んだ720万ドルの取引は、半年後の夜、アラスカの暦から11日間を消した
アメリカは1867年3月30日、国務長官ウィリアム・スワードがロシア公使ストエクルの提案に合意し、アラスカ領を720万ドルで購入する条約を結んだ。同年10月18日、正式な引き渡しとともにアラスカの暦はユリウス暦からグレゴリオ暦へ切り替わり、住民は暦の上で11日を失ったとされる。
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1973年世界 20世紀10月20日
ウッツォンは、招かれた開場式典を自ら辞退した
1973年10月20日のシドニー・オペラハウス開場式典に、設計者ヨーン・ウッツォンは出席しなかった。ニューサウスウェールズ州立公文書館の記録によれば、州政府は正式にウッツォンを招待していたが、本人が論争を式典に持ち込みたくないとして自ら辞退したという。「招かれなかった」という通説は誤りである。
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1805年世界 19世紀10月21日
ネルソン提督は、トラファルガーの海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破った勝利のさなかに戦死した
1805年10月21日、スペイン南西岸のトラファルガー岬沖で、ネルソン提督率いる英国艦隊27隻がヴィルヌーブ提督指揮下の仏西連合艦隊33隻を破った。英国は艦を1隻も失わず敵22隻を拿捕・撃破したが、ネルソン自身は戦闘中に狙撃され死亡した。
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1973年世界 20世紀10月17日
OAPECは1973年10月17日、原油生産を毎月5%削減すると決定した
1973年10月17日、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は、原油生産を毎月5%削減すると決定した。前日16日にはOPEC加盟のペルシャ湾岸産油6カ国が原油公示価格を引き上げたと査読論文は記す。本記事は、決定した組織も内容も異なるこの2つを、出典に基づいて書き分ける。