国務長官スワードが結んだ720万ドルの取引は、半年後の夜、アラスカの暦から11日間を消した
日付と暦
- 原典表記
- 1867年10月18日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1867-10-18(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 10月18日のページ
暦の注記: この出来事は西暦(グレゴリオ暦)の1867年10月18日に起きた[SRC-00475][SRC-00477]。アラスカはこの日、ロシアからアメリカ合衆国へ正式に引き渡され、統治者の交代とともに、地域で用いる暦もロシア側のユリウス暦からアメリカ側のグレゴリオ暦へ公式に切り替わり、住民は暦の上で年間から11日を失った、とNARA(米国立公文書館)の公式ブログは記す[SRC-00476]。前日にあたるロシア側のユリウス暦表記が具体的に何月何日であったかを明示的に述べる出典には到達できていないため、本サイトでは独自の換算値を記載しない(R-CAL-3。異説・論争欄参照)。本サイトでは 10-18 のページに掲載している。この日付自体はグレゴリオ暦であり換算は発生しない(改暦後最初の日を原典とする記事 — R-CAL-9)。
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概要
1867年3月30日、アメリカ合衆国国務長官ウィリアム・H・スワードは、駐米ロシア公使エドゥアルド・ド・ストエクルの提案に合意し、ロシア領アメリカ(アラスカ)を720万ドルで購入する条約を結んだ[SRC-00475][SRC-00477]。条約は同年4月9日に上院で承認され、5月28日にアンドリュー・ジョンソン大統領が署名した[SRC-00475]。そして同年10月18日、アラスカ領はアメリカ合衆国へ正式に引き渡された[SRC-00475][SRC-00477]。この夜、アラスカの暦はロシアが用いていたユリウス暦から、アメリカが用いるグレゴリオ暦へ公式に切り替わり、住民は暦の上で年間から11日を失った、とNARA(米国立公文書館)の公式ブログは記す[SRC-00476]。
本文
アラスカの売却は、ロシア側から持ちかけられた話だった。ロシアは1859年、太平洋におけるライバルであるイギリスの動きを牽制する狙いから、アメリカへアラスカの売却を打診した[SRC-00475]。しかし迫っていた南北戦争のため、売却は先送りされた[SRC-00475]。戦後、ジョンソン大統領のもとで拡張主義的な国務長官として知られたスワードは、ロシア側から改めて示された提案に素早く応じ、1867年3月30日、720万ドルでの購入に合意した[SRC-00475][SRC-00477]。
購入は議会や世論に手放しで歓迎されたわけではなかった。当時のアメリカ世論はこの土地を不毛で無価値と見なし、「スワードの愚行(Seward's Folly)」「アンドリュー・ジョンソンの北極熊の庭(Andrew Johnson's Polar Bear Garden)」などの蔑称で購入を呼んだ、とHISTORYは記す[SRC-00477]。米国務省の記録も、懐疑派がこの購入を「スワードの愚行」と呼んだと記している[SRC-00475]。それでも条約は4月9日に上院で承認され、5月28日にジョンソン大統領が署名した[SRC-00475]。
条約成立から同年10月18日、アラスカ領はロシアからアメリカ合衆国へ正式に引き渡された[SRC-00475][SRC-00477]。この引き渡しの夜、アラスカの暦はロシア側が用いていたユリウス暦から、アメリカ側が用いるグレゴリオ暦へ公式に切り替わり、住民は暦の上で年間から11日を失った、とNARA(米国立公文書館)の公式ブログは記す[SRC-00476]。前日にあたるロシア側のユリウス暦表記が具体的に何月何日であったかについては、明示的にそれを述べる出典に到達できていないため、本サイトでは記載しない(異説・論争欄参照)。
歴史的背景
ロシアの北米進出は、1725年に皇帝ピョートル大帝がヴィトゥス・ベーリングをアラスカ沿岸の探検に派遣したことに始まる[SRC-00475]。だが、ロシア領アメリカに定住したロシア人はどの時期も400人を超えることがなく、サンクトペテルブルクには北米太平洋岸に大規模な入植地や軍事的プレゼンスを維持するだけの財政的余裕がなかった、と米国務省の記録は記す[SRC-00475]。クリミア戦争での敗北は、この地域へのロシアの関心をさらに弱めた、と同記録は記す[SRC-00475]。この購入は、ロシアの北米における存在を終わらせ、アメリカの太平洋北部沿岸へのアクセスを確保した、と米国務省は位置づけている[SRC-00475]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1859年(グレゴリオ暦) | ロシアがアメリカへアラスカ売却を打診(南北戦争を控え交渉は先送り) | [SRC-00475] |
| 1867年3月30日(グレゴリオ暦) | スワード国務長官がストエクル公使の提案に合意し、720万ドルでの購入条約に至る | [SRC-00475][SRC-00477] |
| 1867年4月9日(グレゴリオ暦) | 上院が購入条約を承認 | [SRC-00475] |
| 1867年5月28日(グレゴリオ暦) | アンドリュー・ジョンソン大統領が条約に署名 | [SRC-00475] |
| 1867年10月18日(グレゴリオ暦) | アラスカ領がアメリカ合衆国へ正式に引き渡された(アラスカデーの起源)。同夜、暦がユリウス暦からグレゴリオ暦へ切り替わり、住民は暦の上で11日を失ったとされる | [SRC-00475][SRC-00476][SRC-00477] |
| 1896年(グレゴリオ暦。米国務省の記述) | ユーコン地方(クロンダイク)で金鉱発見。購入の評価が見直される契機の一つとされる | [SRC-00475] |
| 1899年(グレゴリオ暦。HISTORYの記述) | アラスカ・ノームで金発見。購入への世論が好転する契機の一つとされる | [SRC-00477] |
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
引き渡しの日付(1867年10月18日・グレゴリオ暦)・購入金額(720万ドル)・条約成立の経緯という本記事の中核主張について、調査した3件の出典(米国務省、NARA、HISTORY)の間に食い違いは確認されなかった(調査範囲: SRC-00475・SRC-00476・SRC-00477。各出典が引用する脚注・関連資料までは個別確認していない)。一方、引き渡しの日付そのものについては、NARAの公式ブログが自らの記述の中で二つの日付(「October 18, 1867」と「October 7」)を示しており、この一点に限り出典自身の記述の中に揺れがあることを確認した。以下の周辺的な論点でも、出典間に記述の違いを確認した。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| NARAの公式ブログ自身の記述における、引き渡しの日付の食い違い | NARAの公式ブログは、引き渡しを「October 18, 1867」と記した直後に「Or was that October 7?」とも記している。同ブログはこの二つ目の日付が何の暦によるものかを説明していない | NARA公式ブログ「Seward's time-traveling folly」[SRC-00476] | 本サイトはこの食い違いを解消する独立の資料、および「October 7」が何を意味するかを明示する資料のいずれにも到達できていない(本サイトの整理) |
| 「愚行」評価が見直された契機 | 1896年、ユーコン地方(クロンダイク)での金鉱発見を機に評価が覆った | 米国務省Office of the Historianは、1896年にユーコン地方で大規模な金鉱が発見されたと記す [SRC-00475] | 米国務省の公式解説が採る説明 |
| 同上 | 1899年、アラスカ・ノームでの金発見を機に世論が好転した | HISTORYは、1899年にアラスカのノームで金が発見されたと記す [SRC-00477] | 大手歴史メディアが採る説明。ユーコン(クロンダイク、1896年[SRC-00475])とノーム(1899年)は実在する別個の金鉱発見であり、両説は相互に排他的な対立命題ではない。どちらが評価反転の決定的な契機だったかについて、単一の答えを示す出典は確認できなかった(本サイトの整理) |
関連する出来事
- 1859年、ロシアはアメリカへアラスカ売却を打診したが、南北戦争を控え交渉は先送りされた[SRC-00475]。
- 1896年、ユーコン地方(クロンダイク)で金鉱が発見され、アラスカがクロンダイク金鉱地帯への玄関口となった、と米国務省は記す[SRC-00475]。
- 1959年1月3日、アラスカはアメリカ合衆国49番目の州に昇格した[SRC-00477]。
関連人物
- ウィリアム・H・スワード(すわーど): アンドリュー・ジョンソン大統領のもとで国務長官を務め、アラスカ購入の交渉をアメリカ側で主導した[SRC-00475][SRC-00477]。
- エドゥアルド・ド・ストエクル: 駐米ロシア公使。アラスカ購入についてスワード国務長官と交渉した[SRC-00475][SRC-00477]。
歴史的意義
この購入は、ロシアの北米における存在を終わらせ、アメリカの太平洋北部沿岸へのアクセスを確保した、と米国務省は位置づけている[SRC-00475]。購入当初は「愚行(Folly)」と評された一方、後年の金鉱発見を機に評価が好転したとされる[SRC-00475][SRC-00477]。ただし、どの金鉱発見が転機だったかという細部では出典間に食い違いがあり(異説・論争欄参照)、愚行との評価が後に覆ったという語りを単純化して受け取ることには注意を要する(本サイトの整理)。
現代の視点
アラスカは1959年にアメリカ合衆国49番目の州となった[SRC-00477]。正式な領土引き渡しを記念する「アラスカデー」(10月18日)と、条約調印を記念する「スワードデー」(3月最終月曜日)は、HISTORYの記述によれば別個の州祝日である[SRC-00477]。
出典一覧
- [SRC-00475] Purchase of Alaska, 1867 (Milestones in the History of U.S. Foreign Relations)/Office of the Historian, U.S. Department of State(ランクA)
- [SRC-00476] Seward's time-traveling folly (Pieces of History blog)/National Archives and Records Administration (NARA), Office of Strategy and Communications — Pieces of History blog(ランクB)
- [SRC-00477] U.S. takes possession of Alaska | October 18, 1867 (This Day in History)/HISTORY (A&E Television Networks)(ランクB)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-03 | — |
| 2 | 2026-09-03 | あり |
| 3 | 2026-09-04 | あり |
訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。