9月21日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1934年
風圧計が振り切れた朝、室戸台風は日本の観測史上最も低いとされる気圧で上陸した
史上最低の気圧を刻んだ台風は、木造校舎の弱さという、次の時代への宿題も残した。
この週の出来事
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1868年明治9月22日
会津若松城の開城 — 一か月の籠城の末に、藩主が下した降伏の決断
明治元年(慶応4年)9月22日、約1か月の籠城戦の末、会津藩主・松平容保は新政府軍への降伏を決断し、会津若松城(鶴ヶ城)は開城した。掲げられた白旗は、負傷者の包帯用の白布を女たちが縫い合わせたものと伝えられる。
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1870年世界 19世紀9月20日
ローマの城壁が破られたとき、教皇は世俗の統治者でなくなった
1870年9月20日、イタリア王国軍はローマを囲む城壁ポルタ・ピアを突破し、教皇の世俗的な統治は終わった。教皇ピウス9世は占領を拒み自らを『ヴァチカンの囚人』と称したとされ、同年10月の住民投票を経てローマは統一イタリアの首都になったとされる。『あの写真』が実は演出だったという国立博物館の指摘までを出典付きで読む。
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1577年安土桃山時代9月23日
能登の城を落として南下した上杉謙信が、手取川で対峙したのは信長本隊ではなく柴田勝家の軍勢だったとされる
天正5年9月23日(ユリウス暦1577年11月3日)、能登・七尾城を落とした上杉謙信は南下し、手取川で織田方の軍勢と対峙したと伝えられる。「はねる謙信、逃げる信長」の落首で知られるが、手取川で実際に対峙したのは柴田勝家の軍勢で、信長本隊は加わっていなかったとされる。
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1692年世界 17世紀9月19日
沈黙を選んだ老農夫 — セイラムの圧死刑と、175年後に生まれた「最期の言葉」
1692年9月19日(ユリウス暦)、セイラムの農夫ジャイルズ・コーリーは魔女術の罪に問われ答弁を拒み続けた。財産を守るためとする説が広く語られるが異論もある。ニューイングランドでこの刑に処された唯一の事例とされる。『もっと重しを』という最期の言葉は事件8年後の記録になく、最古の記録は175年後の童歌だった。