沈黙を選んだ老農夫 — セイラムの圧死刑と、175年後に生まれた「最期の言葉」

日付と暦

原典表記
1692年9月19日(月曜日)(ユリウス暦)
換算
1692-09-29(グレゴリオ暦)
掲載日
9月19日のページ

暦の注記: この出来事は、当時のマサチューセッツ湾植民地(イングランド領)が用いていたユリウス暦(旧暦)の**1692年9月19日(月曜日)**に起きたと、裁判を担当した判事サミュエル・シューオル自身の日記に記録されている[SRC-00196](この日付には食い違う記述もある——異説・論争欄を参照)。グレゴリオ暦換算: 1692年9月29日[SRC-00199]。イングランドとその植民地がグレゴリオ暦を採用したのは、これより60年後の1752年である[SRC-00199]。本サイトでは 09-19 のページに掲載している。換算値は、ユリウス暦1582年10月5日より後・1700年2月28日以前の日付には10日を加算するという、ノッティンガム大学の換算表による転記であり、独自の暦計算は行っていない[SRC-00199]。

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概要

1692年9月19日(月曜日)の正午ごろ、マサチューセッツ湾植民地セイラムで、80代の農夫ジャイルズ・コーリーは、重ねられていく石の下で答弁を拒み続けていた[SRC-00196][SRC-00198][SRC-00200]。魔女術の容疑で起訴されながら答弁を拒めば、有罪・無罪いずれの判決も下されない——コーリーがなぜ答弁を拒んだのか、財産を家族に残すためだったとする説が広く語られるが、この動機説には異論もある(異説・論争欄を参照)[SRC-00196][SRC-00200]。判事たちは2日にわたり説得を試みたが、コーリーは動じなかった[SRC-00196]。彼はニューイングランドの歴史で、この刑に処された最初の人物になったとされ[SRC-00197]、唯一の事例だったともされる[SRC-00196][SRC-00200]。

本文

コーリーへの起訴に先立ち、複数の宣誓陳述書が法廷に提出されている[SRC-00201]。コーリーが答弁を拒めば、陪審による正式な裁判は開かれない。獄中で作成した遺言どおりに財産を相続人へ残すためだった、と伝えられる[SRC-00196][SRC-00200]。ただし、地元では答弁拒否を財産没収回避のためとする「強い地元の伝承」があるとしつつ、当時の英国・マサチューセッツ法の下では有罪判決によって不動産が没収されることはなく、この動機では説明がつきにくいとする指摘もあり、この動機説には異論がある(異説・論争欄を参照)[SRC-00202]。

セイラムの特別法廷は、答弁を迫るためコーリーの体に石を積み重ねていく圧死刑(peine forte et dure)を科した[SRC-00196][SRC-00197][SRC-00198][SRC-00200]。判事サミュエル・シューオルは同日の日記に「セイラムにて正午ごろ、ジャイルズ・コーリーは黙秘のかどで圧死させられた。法廷と、かつてコーリーの知人であったナンタケットのガードナー大尉とが、相次ぐ2日にわたり説得を試みたが、すべて無駄に終わった」と記している[SRC-00196]。8年後に出版された記録は、コーリーの体が重みに屈するにつれ舌が口から押し出され、保安官が杖でそれを押し戻したと伝える[SRC-00197]。

コーリー本人の言葉として今日広く語られる「もっと重しを」は、しかしこの8年後の記録には見当たらない[SRC-00197]。

歴史的背景

セイラムの魔女裁判は1692年、西インド諸島出身の奴隷ティツバの話を聞いた若い女性たちが悪魔に取りつかれたと騒いだことから始まり、最終的に多数が処刑されるに至った[SRC-00203]。コーリー自身、十数年前に使用人だった男を折檻し、その男が後に死亡した経緯を抱えていた[SRC-00196][SRC-00198]。検死陪審は「打撲により死亡しており、心臓の周りに血のかたまりがあった」としたが、殺人としての有罪判決はなく、法廷はコーリーに罰金を科したにとどまったとアプハムは記す[SRC-00198]。この一件の年・被害者の氏名・帰結は出典によって食い違う(異説・論争欄を参照)。処刑前夜、少女アン・パトナムは、亡霊からこの一件を告げられたと証言し(亡霊が誰であったかも出典間で食い違う——同欄を参照)[SRC-00196][SRC-00198]、19世紀の歴史家チャールズ・アプハムは、これを世論の同情を打ち消すための策略だったと分析している[SRC-00198]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1692年9月18日(ユリウス暦) セイラム第一教会がコーリーを破門。答弁拒否とその帰結(圧死刑)を理由として記録 [SRC-00198]
1692年9月19日(ユリウス暦・月曜)※日付に異説あり コーリー、正午ごろセイラムで圧死刑に処される [SRC-00196]
1692年9月20日(ユリウス暦) シューオル判事、亡霊に関するアン・パトナムの証言を日記に書き留める(亡霊の同定は出典間で食い違う——異説・論争欄参照) [SRC-00196][SRC-00198]
1692年9月22日(ユリウス暦) 妻マーサ・コーリーを含む8名が絞首刑に処される(セイラム魔女裁判における最後の処刑) [SRC-00197][SRC-00198]
1867年 チャールズ・アプハムの著作に、「もっと重しを」という文言が処刑地跡の童歌として初めて文献に現れる(確認できた最古の記録) [SRC-00198]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

処刑日・答弁拒否の動機・亡霊の正体・「最期の言葉」——この事件は、調べるほど一つに定まらない論点が重なっている。

処刑日

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
処刑日 9月19日(月曜) 裁判官サミュエル・シューオル自身の日記。当日ないし数日以内の記述として日付・曜日・時刻(正午ごろ)を明記 裁判の当事者による同時代の直接記録。マサチューセッツ歴史協会等、現代の諸機関もこの日付を用いる[SRC-00196][SRC-00200]
処刑日(異説) 9月16日 ロバート・カーフの著作の一節。9月9日・9月17日の各判決と、その間に置かれた9月16日の圧死刑という日付順の連続した年代叙述の一部であり、前後の日付と矛盾なく並んでいる(「詳細な物語部分」はこのわずか2段落後に続く同一の叙述であり、別の部位ではない)[SRC-00197]。バージニア大学の魔女裁判デジタルアーカイブ・プロジェクトのケースファイルも同じ「9月16日」を掲げており、これはページ内に4箇所現れる(タイトル・H1見出し・別件の宣誓陳述書に付された編者推定日付・末尾のケースファイル一覧)。同一覧の他の項目(例:「マーサ・コーリー、9月22日に処刑」)から、この見出しが「人物・結末・結末の日付」という命名規則に従っていることが分かり、単なる誤記ではなくアーカイブ自身による日付の主張とみなせる[SRC-00201] カーフ・UVAアーカイブとも、それぞれの記述の中では整合的に位置づけられており、「単なる誤記」として片づけることはできない。それでも本記事が9月19日を採るのは、シューオルが裁判の当事者本人として、事件当日ないし数日以内に記した直接記録だからである
処刑日(別の異説) 9月18日以前 バージニア大学の学部授業(2001年、専門の研究者による執筆ではない)の受講生によるレポートページ 同じページ内で「裁判の日」を9月16日、「破門の日」を9月18日、「処刑日」を「9月18日以前」と3通りに書き分けるなど内的な不整合があり、妻マーサの処刑日も他の独立した記述と食い違う「9月21日」とするなど、記述の精度そのものに疑義がある[SRC-00202]

答弁拒否の動機

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
動機 財産没収を避け、遺言どおりに家族へ残すため 1878年版シューオル日記の編者注、マサチューセッツ歴史協会公式ブログ 広く語られる伝統的な理解[SRC-00196][SRC-00200]
動機(異説) この動機説は当時の法制度と整合しないとする指摘がある 地元では答弁拒否を財産没収回避のためとする「強い地元の伝承(strong local tradition)」があるとしたうえで、当時の英国・マサチューセッツ法の下では有罪判決によって不動産が没収されることはなく、土地所有者は有罪判決にかかわらず相続人へ土地を譲る権利を保持していた、と指摘する[SRC-00202] この論拠を明記する出典[SRC-00202]自体は学部授業レポートでランクC。同ページは参考文献にDavid C. Brownの論文(Essex Institute Historical Collections, 1985)を挙げているが、この法的論拠をBrownの論に帰す記述はない。法的な論点そのものは無視できない。定説はない

亡霊の正体

処刑前夜、少女アン・パトナムに現れたとされる亡霊が誰であったかも、出典間で食い違う。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
亡霊の正体 コーリー自身の亡霊 シューオル日記「said Corey's Spectre」[SRC-00196] 裁判の当事者本人による同時代の記録
亡霊の正体(異説) 十数年前の被害者本人の亡霊(「経帷子をまとった男」) アプハムが一部を引用するトマス・パトナムの書簡(アプハムの引用は書簡の前半「…before she was born.」で終わり、コットン・マザーの1693年の著作〔SWP 37.12〕にのみ現れる後半——陪審の殺人評決・法廷不訴追の記述——は含まない)[SRC-00198][SRC-00201] 書簡の原文は「a man in a winding-sheet」と明記しており、コーリー自身の亡霊とは述べていない

十数年前の先行事件

コーリーが十数年前に使用人だった男を死なせた一件についても、年・被害者の氏名・帰結のすべてが出典によって食い違う(学部授業レポート由来の1件はランクCであることに留意)。

出典 被害者名 帰結
シューオル日記[SRC-00196] 約18年前 (記載なし) 疑われたが放免された
コットン・マザー1693年(トマス・パトナム書簡経由)[SRC-00201] 約17年前 (記載なし) 陪審は殺人と評決したとされるが、アプハムはこの主張を「記録によって反証される」と否定する
アプハム1867年[SRC-00198] 17年前 (記載なし) 殺人としての有罪判決はなく、法廷は罰金を科したにとどまる
マサチューセッツ歴史協会公式ブログ[SRC-00200] 1676年 アイザック・グッデイル 有罪、ただし罰金のみ
バージニア大学学部授業レポート(ランクC)[SRC-00202] 1675年 ジェイコブ・グッデイル 殺人で有罪、多額の罰金

最期の言葉

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
最期の言葉 「もっと重しを(more weight)」と叫んだ マサチューセッツ歴史協会の公式ブログなど、現代の多くの解説が「最期の言葉」として紹介 いずれも一次資料の出典を示さない。確認できる最古の文献は事件175年後(1867年)のアプハムの著作で、そこでは処刑地跡に伝わる俗信と結びつけて子供が歌っていた童歌として、留保付きで紹介されている[SRC-00198][SRC-00200]
最期の言葉(別の言い伝え) 保安官とセイラムを呪う言葉を叫んだ マサチューセッツ歴史協会の公式ブログが紹介[SRC-00200] 同じく出典を示さない言い伝え。「もっと重しを」説と並び立つ

事件からわずか8年後に刊行されたロバート・カーフの記録は、圧死の様子を具体的に描写しながらも、コーリー本人の発言としての引用を一切含まない[SRC-00197]。本記事は、この最初期の記録の沈黙を踏まえ、「もっと重しを」を確定した史実としては扱わず、伝承として現れた時点(アプハム、1867年)を明示する書き方をとった。処刑日については、裁判の当事者による同時代の日記という直接性を重視して9月19日を採用しつつ、上記の食い違いを開示した。答弁拒否の動機・亡霊の正体・先行事件の詳細についても、一つの説に断定せず、対立する記述を出典付きで併記した。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

コーリーの沈黙は当時から世論に強い印象を残した[SRC-00198]。19世紀の歴史家アプハムは、この死が生んだ同情の広がりを打ち消すため、訴追側がアン・パトナムの証言を持ち出したと分析している[SRC-00198]。答弁を拒み通した末の圧死刑は、セイラム魔女裁判の過程で唯一の事例として記録されており[SRC-00196][SRC-00200]、この刑罰への反応も含め、裁判全体の信頼が揺らいでいく局面の一つだったと位置づけられる(前掲の経過から導かれる本稿の整理であり、出典が直接この因果を述べるものではない)。

現代の視点

「もっと重しを」という一句は、今日でもコーリーを紹介する記事で、出典を示されないまま「最期の言葉」として繰り返されている[SRC-00200][SRC-00202]。確認できる最古の文献(アプハム、1867年)自身が、これを処刑地跡に伝わる童歌・俗信として——史実の記録としてではなく伝承として——紹介していたにもかかわらずである[SRC-00198]。ある一句が語り継がれるうちに「伝承」から「史実」へと姿を変えていく過程を、この事件は具体的にたどれる一例といえる(本稿の見立て)。

出典一覧

  1. [SRC-00196] Diary of Samuel Sewall, 1674–1729 (Collections of the Massachusetts Historical Society, Fifth Series, Vol. 5)/Massachusetts Historical Society(ランクA)
  2. [SRC-00197] Robert Calef, More Wonders of the Invisible World, or The Wonders of the Invisible World Displayed(初版ロンドン1700年/セイラム再版1823年)/初版: 発行者記載なし(ロンドン、1700年)/再版: John D. and T. C. Cushing, Jr.(セイラム、1823年)(ランクB)
  3. [SRC-00198] Charles W. Upham, Salem Witchcraft; with an Account of Salem Village, and a History of Opinions on Witchcraft and Kindred Subjects, Vol. II(ボストン、Wiggin and Lunt、1867年)/Wiggin and Lunt(ランクB)
  4. [SRC-00199] Julian/Gregorian Calendars(Dating Documents research guidance)/University of Nottingham, Manuscripts and Special Collections(ランクA)
  5. [SRC-00200] Giles Corey, pressed to death(The Beehive: マサチューセッツ歴史協会公式ブログ)/Massachusetts Historical Society(ランクB)
  6. [SRC-00201] SWP No. 037: Giles Corey Pressed to Death, September 16, 1692(Salem Witch Trials: Documentary Archive and Transcription Project)/University of Virginia(Salem Witch Trials: Documentary Archive and Transcription Project/Project Director: Benjamin Ray)(ランクA)(複数の資料を収載)
  7. [SRC-00202] Giles Corey(人物ページ、バージニア大学「Salem Witch Trials in History and Literature」学部授業ページ内)/Heather Snyder(バージニア大学 学部授業「Salem Witch Trials in History and Literature」2001年春学期の受講生)(ランクC)
  8. [SRC-00203] セーレムの魔女裁判(コトバンク)/コトバンク(ランクB)(複数の資料を収載)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-08-28
22026-08-29あり
32026-08-29あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。