6月6日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1944年
ノルマンディー上陸作戦——連合軍が北フランスの5海岸に上陸(D-デイ)
決断の最終決定も命令の文言も記録に残るが、決断の瞬間の一言一句は出典ごとに異なって伝わる。
この週の出来事
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1628年世界 17世紀6月7日
チャールズ1世は1628年6月7日、『権利の請願』に裁可を与えた——5日前の回答を、議会は『明確でなく満足できるものではない』と突き返していた
1628年6月7日、イングランド王チャールズ1世は議会の『権利の請願』に完全な裁可を与えた。5日前に示した回答を貴族院自身が『明確でなく満足できるものではない』と判断し、国王は議会に出席して裁可し直した。請願は無断課税・強制公債・戒厳令下の軍事裁判・民家への強制宿営の禁止を求めていた。
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1783年世界 18世紀6月5日
モンゴルフィエ兄弟、アノネーで熱気球の公開無人飛行——アカデミーの公式報告書が記す日付は、広く知られる「6月4日」ではなく「6月5日」だった
1783年6月、フランスのアノネーで、モンゴルフィエ兄弟が無人の熱気球を公開で飛ばした。ヴィヴァレ地方三部会と町全体が目撃し、記録はアカデミーへ送られた。米国連邦委員会やブリタニカは実施日を6月4日とするが、アカデミーの公式報告書と、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述したとするUniversalisは6月5日と記す。
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1947年世界 20世紀6月5日
1947年6月5日、米国務長官マーシャルはハーバード大学の卒業式典でヨーロッパ復興への経済援助を提案した——この演説には、録音テープの書き起こしと政府文書集所収版という、冒頭と末尾が異なる2つの記録が残っている
1947年6月5日、米国務長官マーシャルはハーバード大学の卒業式典で、ヨーロッパ経済復興への米国の援助を提案した。この演説は後にマーシャル・プランの起点とされる。演説記録には、録音テープの書き起こしと、1950年刊行の政府文書集に所収された版という、冒頭・末尾が異なる2つの文書が残っている。
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1859年世界 19世紀6月4日
マジェンタの戦い、1859年6月4日——フランス・サルデーニャ連合軍がオーストリア軍を破り、マクマオンは戦場でマジェンタ公に叙された
1859年6月4日、北イタリアのマジェンタで、ナポレオン3世率いるフランス・サルデーニャ連合軍がジュライ伯爵率いるオーストリア軍を破った。フランス軍を指揮したマクマオン将軍は、この日戦場でナポレオン3世からフランス元帥・マジェンタ公に叙された。両軍の損害数は出典によって大きく異なる。