1977年世界 20世紀
テネリフェ空港衝突事故——ボーイング747二機が滑走路上で衝突、583名が死亡
日付と暦
- 原典表記
- 1977年3月27日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1977-03-27(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 3月27日のページ
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概要
1977年3月27日、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島のロス・ロデオス空港(現テネリフェ・ノルテ空港)で、KLM機(フライト4805、ボーイング747-206B、登録記号PH-BUF)とPan Am機(フライト1736、ボーイング747-121、登録記号N736PA)が滑走路上で衝突した[SRC-01780][SRC-01782]。両機を合わせて583名が死亡し、KLM機の搭乗者248名は全員が死亡、Pan Am機の搭乗者396名のうち335名が死亡し61名が生存した[SRC-01780][SRC-01782]。両機は、最終目的地であるグラン・カナリア空港(ラス・パルマス空港)で発生した爆弾テロにより空港が閉鎖されたため、テネリフェへ迂回していた[SRC-01780][SRC-01784]。スペインの事故調査当局は、事故の根本原因(fundamental cause)を、離陸許可のないまま滑走路上で離陸を開始したKLM機長の一連の行為にあるとした[SRC-01781][SRC-01780][SRC-01782]。一方、事故直後にはスペイン・オランダ・米国の3か国がそれぞれ自国側への責任転嫁を避けようとする傾向があり、オランダ政府は当初、Pan Am機が指定された誘導路を外れて滑走路上に留まっていたことを指摘していた[SRC-01783]。
本文
事故当日の朝、KLM機はアムステルダム・スキポール空港を出発し、ラスパルマス(グラン・カナリア島)へ向かっていた[SRC-01780]。ところが飛行中、ラスパルマス空港の旅客ターミナルビルで爆弾が爆発し、第二の爆弾の危険が懸念されたことから空港が閉鎖された[SRC-01780]。ラスパルマスへ向かっていた多数の便がテネリフェのロス・ロデオス空港へ迂回し、KLM機・Pan Am機もその中に含まれていた[SRC-01780][SRC-01784]。空港のエプロンは混雑し、両機を含む5機が滑走路12への誘導路上に駐機せざるを得ない状態になった[SRC-01782]。
ラスパルマス空港が再開されると、Pan Am機は乗客を機内に残したままだったため、すぐに出発できる状態にあった[SRC-01784]。しかし誘導路は他の航空機で混雑しており、Pan Am機は滑走路12をバックトラック(逆走行)して滑走路30の出発地点へ向かう必要があった[SRC-01780][SRC-01784]。その滑走路12の入口は、乗客を一旦降機させていたKLM機によって塞がれていた[SRC-01780][SRC-01784]。KLM機の機長は給油を決断し、これにより出発はおよそ30分延び、Pan Am機はKLM機の後ろでおよそ2時間待たされることになった[SRC-01780][SRC-01782][SRC-01784]。
KLM機の給油が終わるころには視程が悪化しはじめていた。管制塔からは、層状の低い雲のために、滑走路上を走行中の両機がいずれも視認できず、駐機区域の一部も見えない状態になっていた[SRC-01782]。滑走路への進入時、管制はKLM機に滑走路12へ入り、途中の誘導路で滑走路を離れて平行誘導路を進むよう指示したが、この指示がKLM乗務員に誤解されたため、管制は指示を改め、滑走路の端まで完全にバックトラックし180度旋回するよう伝え直した[SRC-01782]。滑走路の端で離陸方向へ180度旋回を終えたのち、KLM機は出発(デパーチャー)許可を要求した[SRC-01780][SRC-01782]。管制はパパ・ビーコンへの経路・上昇高度等を伝える出発許可を発出し、副操縦士がこれを復唱した[SRC-01780]。この復唱に続けて、副操縦士は「われわれはいま離陸する(原文 "We are now at take-off.")」と付け加えた[SRC-01780]。これを受けて管制は「了解、離陸を待て……追って連絡する(原文 "OK, stand by for take-off... I will call you")」と応答した[SRC-01782]。だがこの管制の応答が終わった時点で、KLM機はすでに滑走路上を離陸出力で走行し始めていた[SRC-01782]。
この管制応答と同時刻、まだ滑走路上をバックトラック中だったPan Am機の乗務員も「われわれはまだ滑走路上を走行中だ(原文 "we are still taxiing down the runway")」と送信していた[SRC-01780][SRC-01782]。二つの送信が重なったことで、KLM機のコックピット内には甲高い雑音が生じ、続く交信が聞き取りにくくなった。この雑音が続いた時間について、出典は約3秒(スペイン公式報告書)・約3.74秒(ASN)・4秒弱(FAA)と、3秒台からおよそ4秒の範囲で値が分かれている[SRC-01780][SRC-01781][SRC-01784]。管制はPan Am機に「滑走路が空いたら報告せよ(原文 "report runway clear")」と求め、Pan Am機は「了解、空いたら報告する(原文 "OK, will report when we're clear")」と応答した[SRC-01782][SRC-01784]。これを聞いたKLM機の航空機関士は「あの機はまだ空いていないのでは?(原文 "Is he not clear, then?")」と機長に尋ねた[SRC-01780]。機長は「何だって?」と問い返し、機関士が「あのPan Am機は空いていないのでは?」と繰り返すと、機長は「いや、空いている」と明確に肯定した[SRC-01780][SRC-01784]。事故調査報告書は、機関士のこの問いかけの後、それ以上の異議は副操縦士からも機関士からも出なかったと記している[SRC-01780][SRC-01781]。
機長が「いや、空いている」と明確に肯定してからおよそ8秒後、KLM機の副操縦士が離陸決心速度(V1)を告げ、機首を上げる回転操作の開始がCVR(コックピットボイスレコーダー)記録上示されている[SRC-01782]。衝突の9.5秒ほど前、Pan Am機の乗務員は霧の中からKLM機が迫ってくるのを視認した[SRC-01780]。Pan Am機は左へ全力で操舵し加速を試みたが、間に合わなかった[SRC-01780][SRC-01784]。調査は、衝突時KLM機は「ほぼ完全に浮揚していた(almost entirely airborne)」状態にあり、その機体がPan Am機の後部胴体上を滑るように通過して破壊し尾部を切断したと結論づけている[SRC-01782][SRC-01784]。KLM機はその後さらに150メートル飛行を続けたのち、滑走路上を300メートル滑走して停止し、調査の表現によれば「突然かつ激しく(suddenly and violently)」炎上した[SRC-01782]。
歴史的背景
事故の背景には、いくつもの偶発的事情が重なっていた。ラスパルマス空港での爆弾テロがなければ、両機はそもそもテネリフェの同じ滑走路に居合わせることはなかった[SRC-01780][SRC-01783]。テネリフェのロス・ロデオス空港には当時、地上レーダーがなく、霧に覆われた滑走路の様子を管制塔から直接視認することもできなかった[SRC-01783]。
事故調査は、KLM機長の心理状態にも一因を求めている。1976年12月に改正されたオランダの乗務時間規則により、機長が独自の裁量で乗務時間を延長する余地は失われ、超過した場合は罰金・禁錮・免許取消の対象となり得た[SRC-01780][SRC-01781]。調査は、機長がこの規則の制約と悪化する天候の板挟みになり、緊張が高まっていた可能性を指摘している[SRC-01780][SRC-01781]。またKLM機長は同社のチーフフライトインストラクターであり、この立場がコックピット内の副操縦士・機関士との間に「権威勾配」を生み、機長の判断に公然と異議を唱えることへのためらいにつながった可能性が調査で指摘されている[SRC-01782]。
テネリフェ特有の気象も要因として挙げられている。事故調査報告書によれば、同地の視程不良は霧そのものというより、風に流される層状の低い雲によって引き起こされることが多く、視程が数百メートル単位で急激に変化しうる[SRC-01781]。衝突の4分前、滑走路30進入端の視程計は、小雨と霧の中で300メートルという値を示していた[SRC-01782]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1977年3月27日(グレゴリオ暦)午前(現地時間) | KLM機がアムステルダムを出発。のちラスパルマス空港の爆弾テロにより両機がテネリフェへ迂回 | [SRC-01780][SRC-01784] |
| 同日 16:56ごろ(現地時間) | KLM機が給油後、管制塔に滑走路への地上走行許可を要求 | [SRC-01780] |
| 同日 17:02ごろ(現地時間) | Pan Am機が滑走路12のバックトラックを許可される | [SRC-01784] |
| 同日 17:05:44ごろ(現地時間) | KLM機が離陸準備完了を報告し、副操縦士が出発許可の復唱に「われわれはいま離陸する」と付け加える(本記事の主題) | [SRC-01780][SRC-01782][SRC-01784] |
| 同日 17:06:47ごろ(現地時間) | KLM機とPan Am機が滑走路上で衝突(本記事の主題) | [SRC-01780][SRC-01782] |
| 1978年(発表月は出典間で相違。本サイトの確認範囲では特定しない) | スペイン事故調査当局が公式報告書(英語版)を発表 | [SRC-01780][SRC-01782] |
| 2007年3月27日 | 事故30年に際し、遺族団体の主催による初の公式国際追悼式典がテネリフェで開催される | [SRC-01780] |
異説・論争定説のない論点があります
論点1: 事故の根本原因をどの当事者にどこまで帰責するか。スペイン事故調査当局の公式報告書は、事故の根本原因(fundamental cause)を、KLM機長が(1)許可なく離陸した(2)「離陸を待て」という管制の指示に従わなかった(3)Pan Am機がなお滑走路上にいるとの報告を受けても離陸を中断しなかった(4)機関士の疑問に対し明確に肯定した、の4点であると明記している[SRC-01781][SRC-01780][SRC-01782]。これに対し、Aviation Safety Network(ASN)は事故原因を独自に要約する際、「管制塔とKLM機の間の相互の誤解(misunderstanding)」を前面に出した表現を用いており、KLM機長個人の行為を列挙する構成にはなっていない[SRC-01784]。本サイトが確認した範囲では、この文言がスペイン公式報告書からの逐語なのか、ASN編集者による独自の要約なのかは特定できない。
論点2: 事故直後の各国の姿勢。Smithsonian誌の著者インタビューによれば、公式報告書の発表前、スペイン・オランダ・米国の3か国はそれぞれ自国側への責任転嫁を避けようとする傾向があった。オランダ政府は当初、Pan Am機が管制の指定した誘導路を外れて滑走路上に留まっていたことを指摘しており、これ自体は事実だったという[SRC-01783]。事故調査報告書によれば、Pan Am機には滑走路上の「第3の交差点」からの退出が指定されていたが、それがC-3とC-4のいずれを指すのか、報告書自身が同定を留保している[SRC-01781][SRC-01780]。スペインの航空管制官の指示にも不明瞭な点があったこと自体は事実だったとされる[SRC-01783]。しかし最終的に公式報告書が発表されると、KLM乗務員の一方的な行動を理由に、KLM側が報道でも報告書でも最も大きな責めを負う形となった[SRC-01783]。公式報告書自身も、Pan Am機が第3誘導路を外れたこと自体については「あまり重要ではない」とし、Pan Am機が滑走路が空いたと一度も報告しなかったことを理由に挙げている[SRC-01781][SRC-01780]。
本サイトは、事故原因について複数の要因が複合的に関わっていることを示す調査結果自体は出典間で一致していると確認したが、「誰に・どの程度」帰責するかの強調点は出典によって異なるため、いずれか一方の枠組みのみを断定的に採用しない。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界(専門機関)での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 根本原因の帰責 | KLM機長の4つの具体的行為が根本原因 | [SRC-01781][SRC-01780][SRC-01782] | スペイン事故調査当局の公式報告書の結論。FAA・SKYbraryも同内容を引用 |
| 根本原因の帰責 | 管制塔とKLM機の間の「相互の誤解」を前面に出す要約 | [SRC-01784] | Aviation Safety Networkによる独自要約(公式報告書の逐語かは本サイトでは未確認) |
| 責任の所在(事故直後) | オランダ政府は当初、Pan Am機の誘導路逸脱を指摘(これ自体は事実だったとされる)。3か国はそれぞれ自国への責任転嫁を避ける傾向にあった | [SRC-01783] | Smithsonian誌の著者インタビューが伝える経緯(学術的な決着の記録ではない) |
関連する出来事
事故機の一つであるKLM機は、当初の目的地であったグラン・カナリア空港(ラス・パルマス空港)で発生した爆弾テロにより、テネリフェへ迂回していた[SRC-01780][SRC-01784]。この爆弾テロ自体の実行主体・経緯は本記事の主題の射程外とする。事故後、航空管制の標準用語の整備や、滑走路上の運用を巡る安全対策の見直しが各国で進められた(詳細は「歴史的意義」参照)[SRC-01780][SRC-01783]。
関連人物
本記事が確認した出典(公式事故調査記録およびそれに基づく専門機関の整理)は、いずれも両機の乗務員を氏名では特定せず、役職(KLM機機長・副操縦士・航空機関士、Pan Am機機長・副操縦士等)で記述している[SRC-01780][SRC-01782][SRC-01784]。本サイトも出典の表記に従い、個人名を挙げた人物Entityの登録は行っていない(該当なし。氏名の特定・登録は今後の追加取材の対象とする)。
歴史的意義
FAAはこの事故を「the crash remains the deadliest accident in aviation history(民間航空史上最も多くの死者を出した事故である)」と記し、Smithsonian誌も著者インタビューの中で「the worst civil aviation disaster in history(史上最悪の民間航空事故)」と表現している[SRC-01780][SRC-01783]。本サイトはこの評価を両出典への帰属形で扱い、独自の順位付けを行うものではない。
事故調査は、標準的で簡潔・一義的な航空用語の使用と、出発許可の中で「離陸(take-off)」という語を避けることを勧告した[SRC-01780][SRC-01781][SRC-01782]。FAAはこの事故を、脅威区分として「Crew Resource Management」と「Midair / Ground Incursions」の2区分に分類しており、2007年のFAA「Call to Action」構想(滑走路誤進入対策)の一部にも、この事故の教訓が反映されたとされる[SRC-01780]。Smithsonian誌のインタビューでは、著者が事故後の変化として、国際航空管制用語の標準化、滑走路使用状況を知らせる灯火システムの整備、テネリフェの航空当局が地上レーダーを備えた新空港へ主要便を移したことを挙げている[SRC-01783]。
現代の視点
2007年3月27日、事故30周年に際し、遺族団体(Foundation for the Surviving Relatives of the Tenerife Disaster)の主催により、初の公式国際追悼式典がテネリフェで開催された[SRC-01780]。式典ではオランダ人芸術家ルディ・ファン・デ・ウィント氏が手がけた高さ18メートルのらせん階段の記念碑「Stairway to Heaven」が除幕された[SRC-01780]。
出典一覧
- [SRC-01780] Boeing 747-206B and Boeing 747-121 (KLM Flight 4805, PH-BUF) — Lessons Learned from Transport Airplane Accidents/米国連邦航空局(Federal Aviation Administration/米国運輸省)(ランクA)
- [SRC-01781] Secretary of Aviation Report On Tenerife Crash — KLM, B-747, PH-BUF and Pan Am B-747 N736 collision at Tenerife Airport Spain on 27 March 1977(結論部分)/スペイン民間航空担当官房(Secretary of Civil Aviation, Spain)/米国連邦航空局が掲載(ランクS)
- [SRC-01782] B742 / B741, Tenerife Canary Islands Spain, 1977/SKYbrary(Flight Safety Foundation・EUROCONTROL・ICAOが共同運営する航空安全知識ベース)(ランクA)
- [SRC-01783] Crash in the Canary Islands(Jon Ziomek氏『Collision on Tenerife』著者インタビュー)/Smithsonian(Air & Space Magazine/Smithsonian Institution)(ランクB)
- [SRC-01784] Accident Boeing 747-206B PH-BUF, Sunday 27 March 1977/Aviation Safety Network(ASN/Flight Safety Foundationの傘下で運営される航空事故データベース)(ランクB)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-28 | — |
| 2 | 2026-09-28 | あり |
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