1919年世界 20世紀
休戦から7か月、ロイター少将は演習に出た英艦隊を見て『拿捕される』と判断した——スカパ・フローでドイツ艦隊74隻に自沈が命じられ、52隻が沈没した
日付と暦
- 原典表記
- 1919年6月21日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1919-06-21(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 6月21日のページ
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概要
1919年6月21日、英スコットランド・オークニー諸島のスカパ・フローに抑留されていた旧ドイツ公海艦隊74隻に、指揮官ルートヴィヒ・フォン・ロイター少将の命令で自沈が命じられ、52隻が沈没した[SRC-02504][SRC-02509][SRC-02511]。この日の朝、監視に当たる英第一戦艦戦隊が対魚雷演習のためスカパ・フローを離れており、ロイターは艦隊が戻ってきて自艦を拿捕するものと考え、連合国の手に渡ることを避けるため自沈を決断したと複数の資料は記す[SRC-02510][SRC-02511]。武器を持たず逃げるドイツ人水兵に対し、英側の小型船の乗員が発砲を命じられたとBBCは記す[SRC-02510]。この日の行動による死者数について、英国立陸軍博物館とBBCは9名、ロイター自身の回想録は10名死亡・約16名負傷と記す[SRC-02508][SRC-02510][SRC-02528]。
本文
第一次世界大戦の戦闘を1918年11月11日に終結させた休戦協定(本サイトの別記事の主題)は、ドイツ海軍の潜水艦隊全体に加え、公海艦隊の軍艦74隻を、連合国の海軍基地での当初の抑留のため連合国側へ移管することを求めた[SRC-00628][SRC-02509]。これらの艦は、1918年11月18日の艦隊出航後、最小限の乗員とともにスカパ・フローに抑留された[SRC-02509]。艦の最終的な処分は、正式な講和条約の交渉(パリ講和会議。本サイトの別記事の主題)の結果に委ねられた[SRC-02510]。この交渉は長期化した[SRC-02504]。
1919年6月、交渉が決裂に近づきつつあり、戦闘再開の現実的な見込みが生じていたとHistoric Environment Scotlandは記す[SRC-02504]。講和交渉は当初6月21日に終結する予定だったが、期限は延長された[SRC-02510]。ロイターの知る限りでは交渉は決裂しており、彼は自艦が英海軍に乗船・拿捕されるものと十分に予期していたとBBCは記す[SRC-02510]。ロイターはすでに各艦長へ、自らの信号で艦隊を自沈させる計画を手紙で伝えていた(この手紙を他艦の士官へ運んだのは、皮肉にも英側の小型船だった)[SRC-02510]。
6月21日の朝は晴れた心地よい日だった。この日、英第一戦艦戦隊の監視艦は、2度延期されていた対魚雷演習のため、スカパ・フローから出航した[SRC-02511]。ロイター少将はこれを見て不穏なものと感じ、艦隊が急いで戻り自艦を拿捕するだろうと考え、これ以上自沈を延期できないと判断したとOrkney Museumsは記す[SRC-02511]。自沈当時、スカパ・フロー港内に残っていた英艦は監視駆逐艦2隻・駆逐艦母艦1隻・母艦に横付けの故障中の駆逐艦1隻にとどまり、海上では第一戦艦戦隊司令官の指揮下、戦艦5隻・水雷戦隊旗艦2隻・駆逐艦6隻が演習中だったと、自沈から間もない英国議会での質疑に対し海軍大臣は答弁した[SRC-02506]。英国政府は、海軍省に自沈の事前警告は一切なかったと明確に答弁している[SRC-02506]。
午前10時30分、ロイターの旗艦エムデンから、一見無害な「パラグラフ11、確認せよ」という信号が発せられたとBBCは記す[SRC-02510]。信号が発せられた正確な時刻は不明で、午前10時から11時の間だったとOrkney Museumsは記す[SRC-02511]。信号旗によるこの合図は、全指揮官・水雷艇隊指揮官へ向けて「全指揮官及び水雷艇隊指揮官へ。パラグラフ11。確認せよ」と送られ、各艦から「抑留部隊指揮官へ。パラグラフ11、確認した」という返信があったとOrkney Museumsは記す[SRC-02511]。正午ごろ、旧旗艦フリードリヒ・デア・グローセから鐘の音が聞こえ、これが退艦の信号となった。午後12時16分、同艦は転覆して沈み、その日沈んだ52隻のうち最初の1隻となった[SRC-02511]。巡洋戦艦ヒンデンブルクは、その日最後に沈んだ艦であり、横転せず直立したまま沈んだ唯一の艦だったと記録される[SRC-02511]。
ストロムネス校の学童約200人が、曳船フライング・ケストレル号での見物旅行中にこの光景を目撃したとOrkney Museumsは記す[SRC-02511]。学童の一人、12歳のレスリー・ソープは、逃げる兵士を満載したドイツの小型艇の1艇が白旗を掲げておらず、英側がこれを機関銃で撃った、と書き残したとBBCは伝える[SRC-02510]。オークニー博物館の学芸員トム・ミュア氏は、英側の小型船の乗員が、武器を持たない丸腰のドイツ人水兵に対し発砲を命じられたと述べる[SRC-02510]。この日の行動による死者数について、英国立陸軍博物館とBBCは9名、ロイター自身の回想録は10名死亡・約16名負傷と記す[SRC-02508][SRC-02510][SRC-02528]。英国立陸軍博物館は、この9名について「これらが第一次世界大戦における最後の死者である」と記し[SRC-02508]、BBCは、その日死亡した9名のドイツ人水兵を「第一次世界大戦で死亡した最後の人々」と記す[SRC-02510]。
自沈の報を受けた英第一戦艦戦隊は、午後2時ごろから4時にかけて順次スカパ・フローへ帰還した[SRC-02506]。German History in Documents and Images(GHDI)は、抑留されていた74隻のうち52隻がこのようにして沈んだと記す[SRC-02509]。この自沈は休戦協定の条件に違反していたため、ロイターと部下は捕虜として抑留され、ヴェルサイユ条約批准後の1920年1月まで抑留が続いたとGHDIは記す[SRC-02509]。この自沈のおよそ1週間後、第一次世界大戦の最終的な講和条約(ヴェルサイユ条約)が調印されたとBBCは記す[SRC-02510]。
歴史的背景
ドイツ艦隊の運命について「引き渡し(surrender)」ではなく「抑留(internment)」という扱いとする決定をパリの連合国会議が下したと海軍大臣は説明している[SRC-02507]。オークニー博物館の学芸員トム・ミュア氏は、艦が実際には引き渡されていなかったため、英側の部隊が艦上に乗って自沈を防ぐことができなかったと説明する。艦はドイツ政府の所有物であり、抑留期間中も常にそうだったという[SRC-02510]。この抑留という決定は、パリの連合国会議によるものであり、英海軍当局独自の方針ではなかったと、自沈後の英国議会での質疑で海軍大臣は繰り返し説明している[SRC-02505][SRC-02507]。
ロイター少将は、艦隊の指揮官として、外部からの情報を英側の説明と古いタイムズ紙に頼るほかなかったとBBCは記す[SRC-02510]。ロイターが休戦の期限(当初は6月21日)[SRC-02511]が過ぎたと認識していたこと自体は、自沈から4日後の英国議会での質疑でも、海軍大臣が「休戦が終了したと自ら公言していたとおりに信じていた〔ドイツ側の〕提督」という表現で言及している[SRC-02505]。この答弁は「この背信行為(treachery)」という語を用いており、これは当時の英国政府側の評価的な表現であって、本サイトの評価ではないことを付言する。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1918-11-11(グレゴリオ暦) | 休戦協定が成立し、ドイツ公海艦隊の抑留が定められる(本サイトの別記事の主題) | [SRC-00628][SRC-02509] |
| 1918-11-18(グレゴリオ暦) | ドイツ艦隊がヴィルヘルムスハーフェンを出航し、英国へ向かった | [SRC-02509] |
| 1919-06-21(グレゴリオ暦。本記事の主題) | ロイターの命令で艦隊74隻に自沈が命じられ、52隻が沈没。死者数は英国立陸軍博物館・BBCが9名、ロイター自身の回想録が10名と記す | [SRC-02509][SRC-02508][SRC-02510][SRC-02528] |
| 1920-01(グレゴリオ暦) | ヴェルサイユ条約批准後、ロイターと部下の抑留(捕虜としての)が終わる | [SRC-02509] |
異説・論争定説のない論点があります
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 死者数 | 説1: 英国立陸軍博物館・BBCは、この日の行動による死者を9名と記す。説2: 自沈を命じた当事者ロイター少将自身の回想録(1921年。英訳1940年)は、死者10名(マルクグラーフ艦長シューマン中佐を含む)・負傷者約16名と記す | 説1=[SRC-02508][SRC-02510]、説2=[SRC-02528] | 説1は英国立陸軍博物館、および2019年の報道機関(BBC)による整理、説2は自沈直後ではないが当事者本人による回想(英側の発砲を「無責任」と評する当事者の弁明を含む)であり、立場も記述の性格も異なる。本記事はいずれの数値も断定せず、出典ごとに帰属形で示す |
| 「第一次世界大戦最後の戦死者」という評価の射程 | 説1: 英国立陸軍博物館は、このタイムライン項目の文中で「9名が死亡した。これらが第一次世界大戦における最後の死者である」と、限定を付けずに記す。説2: BBCは「その日死亡した9名のドイツ人水兵が、第一次世界大戦で死亡した最後の人々だった」と、死者をドイツ人水兵に明示して記す | 説1=[SRC-02508]、説2=[SRC-02510] | いずれも「最後の死者」という同一の評価を示すが、対象を一般化する説1と、ドイツ人水兵に限定する説2とでは記述の厳密さに差がある。本記事はこの評価そのものを両出典への帰属形で示し、本サイトの声としては断定しない |
| 自沈当日に英側がスカパ・フローを離れていた理由の評価 | 説1: 海軍大臣は英国議会で、その日にドイツが自沈させるとは誰も予見できなかったとし、フリーマントル提督の出動は通常の演習任務の遂行だったと弁明した。説2: Orkney Museumsは、フリーマントル中将が1919年6月21日という「繊細な日」(休戦協定の当初の期限日)に艦隊を出動させたことへの批判があったとし、その批判は「不当である」と評している | 説1=[SRC-02505]、説2=[SRC-02511] | 説1は自沈直後の英国政府の公式弁明、説2は2019年の博物館企画展(公式の歴史解説)によるより後年の評価であり、いずれも英側の過失を否定する立場で一致するが、評価の立場(政府の弁明/博物館の歴史的評価)が異なる。本記事はいずれの評価も断定せず、出典ごとに帰属形で示す |
| 艦隊自沈の責任の所在 | 説1: 英国政府は議会で、旧ドイツ艦隊の自沈について政府としての責任を認めていないと公式に答弁した。説2: 複数の資料は、抑留(引き渡しではない)という決定自体がパリの連合国会議によるものであり、ドイツ艦隊の運命を単独の英海軍の意向で決められなかったことを、自沈を可能にした構造的な背景として記す | 説1=[SRC-02507]、説2=[SRC-02505][SRC-02507] | いずれの出典も、特定個人・特定国への断罪を行っておらず、本記事もこれに従い、自沈の原因を一方的に帰責しない。責任の所在そのものについての学界的な決着は、本記事が確認した出典の範囲では見当たらない |
関連する出来事
- 1918年11月11日、西部戦線で休戦協定が成立した(本サイトの別記事の主題)[SRC-00628]。この協定により、ドイツ公海艦隊の軍艦74隻が最小限の乗員とともにスカパ・フローへ抑留された[SRC-02509]。
- 1919年1月18日、パリ講和会議が開幕した(本サイトの別記事の主題)[SRC-01233]。ドイツ艦隊の最終的な処分は、この会議での交渉結果に委ねられていた[SRC-02510]。
- 1919年6月21日、自沈の当日、英第一戦艦戦隊はスカパ・フローを離れ対魚雷演習を行っていた[SRC-02511][SRC-02506]。
- 自沈のおよそ1週間後、ヴェルサイユ条約が調印されたとBBCは記す(本サイトとは別の主題)[SRC-02510]。この調印と自沈との因果関係は、本記事の調査範囲では確認していない。
- 1920年1月、ヴェルサイユ条約批准後、ロイターと部下の捕虜としての抑留が終わった[SRC-02509]。
関連人物
- ルートヴィヒ・フォン・ロイター(ろいたー): スカパ・フローに抑留された旧ドイツ公海艦隊の指揮官(少将)。1919年6月21日、信号「パラグラフ11」により部下に自沈を命じた[SRC-02509][SRC-02511]。
- シドニー・フリーマントル(ふりーまんとる): 英第一戦艦戦隊を指揮した中将。自沈当日、上官チャールズ・マッデン提督の命令に従い対魚雷演習のためスカパ・フローを離れており、自沈の報を受けて艦隊を率いて帰還した[SRC-02511]。
歴史的意義
ドイツ公海艦隊の自沈は、休戦協定下で抑留された艦が講和交渉の「取引材料」となる事態を終わらせたが、英側からは敵対行為とみなされ、ドイツでは艦隊が敵の手に渡らなかったという点で、ある種の名誉回復の手段とみなされたと、オークニー博物館の学芸員トム・ミュア氏はBBCで述べている[SRC-02510]。これとは別に、当時、あるドイツ海軍の高級将校が、この行動によってドイツ艦隊の「降伏の汚点」が払拭されたと宣言したとBBCは記す[SRC-02510]。この評価の分かれ方自体が、自沈という同じ事実に対する英独両国の立場の違いを示している。
自沈した艦のうち3隻の戦艦(ケーニヒ・クロンプリンツ・ヴィルヘルム・マルクグラーフ)の残骸は、抑留艦隊の中で海底に現存する唯一の主力艦の遺構として、Historic Environment Scotlandにより国家的に重要な指定記念物とされている[SRC-02504]。
現代の視点
自沈した艦の大半は、1920年代から30年代にかけて商業サルベージ業者により海底から引き揚げられ、解体された[SRC-02510]。現在も海底に残る7隻の残骸は、国家的に重要な考古遺跡として法的保護の対象となっているとBBCは記す[SRC-02510]。
出典一覧
- [SRC-00628] Nov. 11, 1918/National WWI Museum and Memorial(ランクA)
- [SRC-01233] Paris Peace Conference — Negotiating the End of the War/National WWI Museum and Memorial(ランクA)
- [SRC-02504] Scapa Flow, wrecks of 3 battleships of German High Seas Fleet(Historic Environment Scotland、指定記念物 SM9298)/Historic Environment Scotland(スコットランド政府所管の歴史的環境保護公的機関)(ランクS)
- [SRC-02505] SINKING OF GERMAN WAR VESSELS(Hansard, House of Commons, 25 June 1919)/UK Parliament(英国議会公式サイト、Historic Hansard)(ランクS)
- [SRC-02506] GERMAN FLEET (SINKING AT SCAPA FLOW)(Hansard, House of Commons, 9 July 1919)/UK Parliament(英国議会公式サイト、Historic Hansard)(ランクS)
- [SRC-02507] GERMAN FLEET, SCAPA FLOW(Hansard, House of Commons, 6 November 1919)/UK Parliament(英国議会公式サイト、Historic Hansard)(ランクS)
- [SRC-02508] German fleet sunk at Scapa Flow(National Army Museum、First World War in Focus タイムライン)/National Army Museum(英国立陸軍博物館、英国防省所管の公認国立博物館)(ランクA)
- [SRC-02509] Scuttling of the German Fleet in Scapa Flow (June 21, 1919)(German History in Documents and Images, German Historical Institute Washington DC)/German History in Documents and Images(GHDI)、German Historical Institute Washington DC(米国の独立学術研究機関)(ランクA)
- [SRC-02510] Scapa Flow scuttling: The day the German navy sank its own ships(BBC News)/BBC News(英国放送協会、著者Steven Brocklehurst・BBC Scotland News)(ランクB)
- [SRC-02511] The Scuttling of the German Fleet: The Scuttling(Orkney Museum、2019年夏季企画展パネル3)/Orkney Museums(オークニー諸島議会〔Orkney Islands Council〕所管のオークニー博物館・スカパ・フロー博物館公式サイト)(ランクA)
- [SRC-02528] Scapa Flow — The Account of the Greatest Scuttling of All Time(Vice-Admiral Ludwig von Reuter著、I. M. N. Mudie英訳、Hurst & Blackett、1940年刊)/Hurst & Blackett Ltd.(出版、1940年)/著者: Vice-Admiral Ludwig von Reuter(スカパ・フロー自沈を命じた当事者本人)/英訳: Lieut.-Commander I. M. N. Mudie, R.N.(ランクB)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-09 | あり |
| 2 | 2026-10-09 | あり |
| 3 | 2026-10-09 | あり |
| 4 | 2026-10-09 | なし |
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