1873年明治
渋沢栄一、第一国立銀行の創立総会に出席——自ら起草した規則を株主に説き、取締役への推薦は辞退した
日付と暦
- 原典表記
- 明治6年6月11日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1873-06-11(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 6月11日のページ
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概要
渋沢栄一は、1873年(明治6年)6月11日、東京・兜町(海運橋)の第一国立銀行本店で開かれた創立総会に、株式400株を持つ第12号株主として出席した[SRC-02402]。発起人はその11日前(5月31日付)に「来ル六月十一日東京海運橋兜町第一国立銀行ニ於テ株主一同集会致候」と布達し、株主に第一入金(株高の4割)と実印の持参を求めていた[SRC-02402]。総会で渋沢は、三井組・小野組という二つの商業組織が協同で創立した事情を説明し、銀行運営の方法・役員の選任・監督役(総監役)の設置に関する三つの案を提議し、自ら起草した規則を読み上げて株主の賛同を得た[SRC-02402]。株主からは渋沢自身も取締役に推す声が上がったが、渋沢は大蔵省を辞した後もなお太政官から御用滞在の命を受けていたことを理由にこれを辞退し、翌日、監督役である総監役への就任契約を結んだ[SRC-02402]。本記事は、この創立総会で何が決まり、渋沢が何を提議し、なぜ取締役を辞退したのかを、渋沢栄一記念財団が公開する伝記資料(原史料の翻刻)に基づいて整理する。
本文
創立総会は、株主71人(本人出席34人・名代(代理人)を委任した37人、合計株数24,408株)の参加のもとで開かれた[SRC-02402]。出席者には、第1号株主の三井八郎右衛門(7,000株)、名代を委任した第2号株主の小野善助(7,000株)、第12号株主の渋沢栄一(400株)などが含まれていた[SRC-02402]。
発起人の一人である三野村利左衛門は、開会にあたり「今日ノ集会ハ取締役撰挙ノ儀ヲ第一トシ、向後銀行営業見込ノ儀ヲ第二トシタル会同」であると述べた[SRC-02402]。これに対し株主たちは、銀行条例の規定どおりに確実な営業を望む旨を答えた[SRC-02402]。
ここで渋沢栄一は、銀行創立の経緯——政府の意向と、発起人である三井組・小野組の事情——を説明したうえで、三つの案を提議した[SRC-02402]。第一に、株主となった者の多くは、両替商として長年の経験と信用を持つ三井組・小野組による協同創立という事情から参加しているため、名目上の余栄を保ちつつ、銀行条例の規定に精確に従って運営を整えていくこと。第二に、取締役はあらためて株主の中から選ぶのではなく、これまで両組に属していた者の中から、旧来の立場を離れて公正に職務にあたれる適任者を選ぶこと。第三に、両組自身の商売も銀行業務と似た性質を持つため、両組出身の役員が自他の利害を混同したり、利益を奪い合う弊害が生じる恐れがあること(たとえそこまで至らなくても、互いに遠慮し合って業務が停滞する恐れがあること)から、取締役の選任に加えて別途の規則を設け、業務を監督・正す役を株主の中から選んで置くこと、である[SRC-02402]。
渋沢はこの三案に基づき、自らあらかじめ起草していた規則とその増補(合わせて「申合規則」)を約2時間にわたって読み上げ、株主に意見を求めた[SRC-02402]。株主からは特に異論がなく、全員がこの三案と規則案を適切なものと認める旨の返答があった[SRC-02402]。この規則は、取締役選挙の手続き(毎年1月11日に実施すること)や、頭取・支配人・勘定方といった役職の職責を定めるものだった[SRC-02402]。
議論の中で、第21号株主の岡田平蔵が発言し、取締役を三井組・小野組の中から選ぶことに異論はないが、渋沢自身もその一人に加えてはどうかと株主たちに諮った。これに株主一同は同意した[SRC-02402]。しかし渋沢は、大蔵省を辞した後もなお太政官から御用滞在の命を受けていたことを理由に、この推薦を辞退した[SRC-02402]。
取締役選任の件が終わると、三井組・小野組以外の株主たちは創立証書・定款の浄書に調印して退出し、渋沢と三井組・小野組の株主たちはあらためて議席を開いて取締役9人を選定した——三井八郎右衛門・小野善助・三野村利左衛門・小野善右衛門・三井三郎助・小野助次郎・斎藤純造・永田甚七・行岡庄兵衛である[SRC-02402]。この9人の取締役は協議のうえ、頭取(三井八郎右衛門・小野善助)、副頭取(三野村利左衛門・小野善右衛門)、撿査役(斎藤純造)、為替掛(永田甚七)をはじめ、本店・大阪・横浜・神戸の各支配人を含む役員(本店支配人以下19人、総計28人)を選んだ[SRC-02402]。申合規則とその増補の議定を終えたあと、会は午後10時に散会した[SRC-02402]。
翌6月12日、渋沢栄一は総監役への就任に関する契約を結んだ[SRC-02402]。総監役は、前日の三案のうち第三案で提議された、業務を監正する役員にあたり、三井組・小野組双方から選ばれた取締役の上に立って業務全体を監督する立場だった[SRC-02402]。
創立総会からほどなく、第一国立銀行は大蔵省と官金(政府資金)の取扱に関する約定を結んだ(1873年6月)[SRC-02403]。国立公文書館が公開する太政類典(太政官の記録)には、「第一国立銀行ヘ官金取扱方ヲ命シ規則ヲ定ム」という件名の文書が同年7月2日付で収録されており、関連事項として布告第二百三十六号(大蔵省関係)が記されている[SRC-02409]。
歴史的背景
渋沢栄一は、この創立総会に先立つ1871年(明治4年)7月(旧暦)、三井組の家宰・三野村利左衛門に勧めて、「三井組バンク」の設立を大蔵省に出願させていた。政府は同年8月(旧暦)に一度これを許可したが、間もなく方針を変えて許可を取り消した。これは、大蔵省内で大蔵大輔・井上馨と渋沢自身が、より体系的な銀行制度の創設案を編纂中だったためである[SRC-02404]。渋沢はまた、同年8月4日(旧暦)の時点で、それまで監督に関わっていた「為替会社」という制度について、その健全な発展が見込めないとの判断を在米の通商正・中島信行らに書簡で伝えていた[SRC-02404]。
その後、大蔵省は銀行制度の整備を進め、渋沢が調査・立案にあたった国立銀行条例の草案は1872年(明治5年)6月17日(旧暦)に完成して太政官に上呈され、同年8月5日(旧暦)に認可を受け、11月15日(旧暦)に公布された[SRC-02404]。同年9月1日(旧暦)には、三野村利左衛門・斎藤純造が渋沢を訪れ、三井組・小野組による協同経営が決定し、第一国立銀行に関する大体の方針が定まった[SRC-02404]。同年11月(旧暦)、第一国立銀行は株主募集に着手した[SRC-02404]。こうした準備を経て、1873年6月11日の創立総会が開かれた[SRC-02402]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1871年(明治4年)7月(旧暦) | 渋沢栄一の勧めで「三井組バンク」設立が出願され、一度許可された後に撤回される | [SRC-02404] |
| 1871年(明治4年)8月4日(旧暦) | 渋沢栄一、為替会社の健全な発展は見込めないとの判断を書簡で伝える | [SRC-02404] |
| 1872年(明治5年)11月15日(旧暦) | 国立銀行条例が公布される | [SRC-02404] |
| 1872年(明治5年)11月(旧暦) | 第一国立銀行、株主募集に着手する | [SRC-02404] |
| 1873年(明治6年)6月11日(グレゴリオ暦) | 第一国立銀行の創立総会が開かれる(本記事の主題) | [SRC-02402] |
| 1873年(明治6年)6月12日(グレゴリオ暦) | 渋沢栄一、総監役就任の契約を結ぶ | [SRC-02402] |
| 1873年(明治6年)6月30日(グレゴリオ暦) | 太政類典に「第一国立銀行株高ヲ定ム」という件名の文書が、この年月日で収録されている(目録情報) | [SRC-02407] |
| 1873年(明治6年)7月2日(グレゴリオ暦) | 太政類典に「第一国立銀行ヘ官金取扱方ヲ命シ規則ヲ定ム」という件名の文書が、この年月日で収録されている(目録情報。関連事項:布告第二百三十六号・大蔵) | [SRC-02409] |
| 1873年(明治6年)7月20日(グレゴリオ暦) | 仮開業免状が下付され、同日営業を開始する | [SRC-02403] |
| 1873年(明治6年)7月31日(グレゴリオ暦) | 本免状が下付され、株主会議が開かれる | [SRC-02403] |
| 1873年(明治6年)8月1日(グレゴリオ暦) | 開業式が行われたとされる(出典の日付見出しによる) | [SRC-02403] |
| 1873年(明治6年)8月2日(グレゴリオ暦) | 5種の銀行紙幣(1円・2円・5円・10円・20円)の発行を開始する | [SRC-02403][SRC-02405] |
| 1874年(明治7年)2月20日(グレゴリオ暦) | 太政類典に「第一国立銀行資本金増減」という件名の文書が、この年月日で収録されている(目録情報) | [SRC-02408] |
| 1874年(明治7年)2月22日(グレゴリオ暦) | 資本金を250万円へ増資することが公許される | [SRC-02403] |
異説・論争定説のない論点があります
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 第一国立銀行の「最初」をどう位置づけるか | A: 日本最初の株式会社である/B: 渋沢栄一自身が関与した1871年の「三井組バンク」設立計画(一度許可され撤回)や、それ以前の「為替会社」のような先行する金融組織も存在した | A=[SRC-02406](日本語版Wikipedia「第一国立銀行」が「日本最初の株式会社である」と記す)/B=[SRC-02404](渋沢栄一記念財団の伝記資料が、1871年の三井組バンク出願・撤回と、渋沢自身が為替会社の限界を認識していたことを記す) | 何を基準に「最初」とするか(株式会社という形態/国立銀行条例に基づく銀行/民間の金融組織一般)によって、先行する事例の有無は変わる。本記事はいずれの優先権の断定も行わず、各出典の表現をそのまま帰属形で示す |
| 創立時の資本金はいくらだったか | A: 244万0800円(創立証書〔6月11日付〕の文書事実。渋沢栄一伝記資料の綱文はこの額を7月に定めたと記す)/B: 250万円(日本語版Wikipediaの記述) | A=[SRC-02402][SRC-02403]/B=[SRC-02406] | Bの「250万円」は、1874年2月22日に公許された増資後の金額であり、1873年創立時点の資本金ではない。本記事は一次資料に基づき、Aを創立時の資本金として採用する |
関連する出来事
- 1871年(明治4年)7月(旧暦)、渋沢栄一の勧めで「三井組バンク」の設立が大蔵省に出願され、一度許可されたのち撤回された。これが第一国立銀行創立の前段となった[SRC-02404]。
- 1872年(明治5年)11月15日(旧暦)、国立銀行条例が公布された。渋沢栄一がその調査・立案にあたった[SRC-02404]。
- 1873年(明治6年)7月20日に仮開業・営業開始、同年7月31日に本免状が下付され、翌8月1日に開業式が行われたとされる(出典の日付見出しによる。創立総会とは別の日付の出来事)[SRC-02403]。
- 1874年(明治7年)2月22日、資本金を250万円へ増資することが公許された。国立公文書館の太政類典には関連文書が1874年2月20日付で記録されている[SRC-02403][SRC-02408]。
関連人物
- 渋沢栄一(しぶさわえいいち): 大蔵省で国立銀行条例の立案にあたった官僚で、創立総会では第12号株主として出席し、銀行運営方法・役員選任・総監役設置の三案を提議した。取締役への推薦は、大蔵省を辞した後もなお太政官から御用滞在の命を受けていたことを理由に辞退し、翌日、総監役就任に関する契約を結んだ[SRC-02402]。
- 三井組(みついぐみ): 第一国立銀行の発起人の一組。代表の三井八郎右衛門は第1号株主(7,000株)として出席し、取締役・頭取に選ばれた[SRC-02402]。
- 小野組(おのぐみ): 第一国立銀行の発起人の一組。代表の小野善助は第2号株主(7,000株)として名代を委任し、取締役・頭取に選ばれた[SRC-02402]。
歴史的意義
創立総会で渋沢栄一が提議した仕組み——取締役は三井組・小野組双方から選びつつ、両組の利害が混在する懸念に対処するため、別途の規則と、両組の上に立つ監督役(総監役)を置くという構成——は、競合する出資者集団の利害を調整するための組織的な工夫だったと位置づけられる[SRC-02402]。この総監役という役職には、両組いずれにも属さず、国立銀行条例の立案にあたった渋沢栄一自身が就いた[SRC-02402]。
現代の視点
創立総会の議事そのものは、株主名簿や取締役選任の過程まで含めて記録が残り、渋沢栄一記念財団によって原史料の翻刻として公開されている[SRC-02402]。出資者集団の利害調整のために規則と監督役を設けるという渋沢の提議は、出資者間の利害対立に備える組織設計の一例として振り返ることができる(本サイトの整理)。
出典一覧
- [SRC-02402] デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第4巻 第2編第1部第1章第1節第1款「第一国立銀行 株式会社第一銀行」DK040001k 本文(第4巻 p.5-34)/公益財団法人渋沢栄一記念財団(ランクA)
- [SRC-02403] デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第4巻「目次【綱文】」(第1款「第一国立銀行 株式会社第一銀行」DK040002k〜DK040007k、第4巻 p.34-73)/公益財団法人渋沢栄一記念財団(ランクA)
- [SRC-02404] デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第3巻「目次【綱文】」(第一国立銀行創立前史に関する項目群、第3巻 p.213-645)/公益財団法人渋沢栄一記念財団(ランクA)
- [SRC-02405] 日本銀行の歴史年表(沿革 1850年〜)/日本銀行(ランクS)
- [SRC-02406] 第一国立銀行 - Wikipedia/Wikipedia(日本語版)(ランクC)
- [SRC-02407] 太政類典・第二編・第百六十巻・産業九・商業二「第一国立銀行株高ヲ定ム」(件名番号011)/国立公文書館(請求番号 太00382100)(ランクS)
- [SRC-02408] 太政類典・第二編・第百六十巻・産業九・商業二「第一国立銀行資本金増減」(件名番号012)/国立公文書館(請求番号 太00382100)(ランクS)
- [SRC-02409] 太政類典・第二編・第二百八十六巻・理財六・出納順序三「第一国立銀行ヘ官金取扱方ヲ命シ規則ヲ定ム」(件名番号001)/国立公文書館(請求番号 太00509100)(ランクS)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-08 | — |
| 2 | 2026-10-09 | あり |
| 3 | 2026-10-09 | あり |
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