太政官が改暦の詔書を布告し、明治5年の暦は12月2日で終わった

日付と暦

原典表記
明治5年11月9日(和暦・太陰太陽暦)
換算
1872-12-09(グレゴリオ暦)
掲載日
11月9日のページ

暦の注記: この出来事は和暦(旧暦)の明治5年11月9日に起きた(グレゴリオ暦換算: 1872年12月9日)[SRC-00035]。本サイトでは 11-09 のページに掲載している。換算値は国立天文台「日本の暦日データベース」による[SRC-00035]。

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概要

明治5年(1872年)11月9日、太陰暦を廃し太陽暦を採用する旨の詔書が発せられ、太政官はこれを別紙として添えた布告(太政官布告第337号)で公布した[SRC-00605][SRC-00604]。布告は、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすることを定め、旧暦(太陰太陽暦)で数えた明治5年の12月は、この規定の帰結としてわずか2日で終わることになった[SRC-00605][SRC-00603]。布告の日(1872年12月9日)から施行日(1873年1月1日)までの日数を数えると、グレゴリオ暦でわずか23日である(本サイトの計算。前述の2つの日付を単純に差し引いたもの)。詔書は改暦の理由として太陽暦の精密さを挙げたが[SRC-00605]、『大隈伯昔日譚』には財政の問題も改暦断行の理由にあったと記されていると、国立天文台暦計算室は解説する[SRC-00606]。

本文

公布された文書は、太政官自身の言葉による相達文、別紙として添えられた「詔書寫」、そして布告本体という三つの部分から成る[SRC-00605]。相達文は「今般改暦ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候條此旨相達候事」という短い一文である[SRC-00605]。別紙「詔書寫」は、「朕」の一人称で語る詔書そのものの写しであり、改暦の理由と結びの宣言を記す[SRC-00605]。詔書寫に続けて、布告本体として旧暦12月3日を明治6年1月1日と定める条をはじめとする箇条書き五箇条と太陽暦月別大小表が置かれている[SRC-00605]。国立国会図書館の日本法令索引は、この法令全体を「改暦ノ詔書並太陽暦頒布」として一体で登録している[SRC-00604]。

詔書は「朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス」と書き起こし、太陰暦は置閏の前後で季候にずれが生じ、ついには推歩の差を生むと述べる[SRC-00605]。そのうえで太陽暦は季候の変化が少なく「最モ精密ニシテ」その便不便を論じるまでもないとし、「自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン」と結んでいる[SRC-00605]。

布告本体は、来る12月3日をもって明治6年1月1日と定めること、1年を365日・12か月とし4年ごとに1日のうるう日を置くこと、そして時刻についても昼夜の長短で変わる従来の制度を改め1日を24等分する定時法を採用することを定めた[SRC-00605]。国立天文台暦計算室はこの時刻制度を「東京時刻」の採用と位置づける[SRC-00606]。

歴史的背景

太陰太陽暦(天保暦)のままであれば、明治六年にはうるう月が置かれる予定であり、明治4年に月給制を採用していた新政府には1か月分余計な俸給負担が生じるはずだった[SRC-00606]。国立天文台暦計算室は、改暦断行の理由に財政の問題もあったと『大隈伯昔日譚』に記されていると解説する(詳細は異説・論争を参照)[SRC-00606]。詔書自身は、この俸給に関する事情には触れていない[SRC-00605]。太陰太陽暦による正式な明治六年暦はこの布告の時点ですでに販売されており、同暦計算室は、国民はもちろん頒暦を独占していた弘暦者にとっても、これを「突然の事態」だったと記す[SRC-00606]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
明治5年11月9日(旧暦・グレゴリオ暦換算1872年12月9日) 太陰暦を廃し太陽暦を採用する詔書が発せられ、太政官がこれを太政官布告第337号として公布 [SRC-00605][SRC-00604]
明治5年12月2日(旧暦・グレゴリオ暦換算1872年12月31日) 太陰太陽暦(天保暦)で数えた最後の日 [SRC-00035][SRC-00605]
明治6年1月1日(グレゴリオ暦1873年1月1日) 太陽暦が施行され、この日から新暦が使われるようになる [SRC-00605][SRC-00606]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

改暦断行の実質的な理由については、性格の異なる二つの説明がある。詔書という一次資料自体が明記する理由は、太陰暦が置閏の前後で季候とずれ、ついには推歩の差を生むのに対し、太陽暦は季候の変化がなく精密であるという暦法上の理由である[SRC-00605]。これに対し、『大隈伯昔日譚』には改暦断行の理由が財政の問題にあると記されている[SRC-00606]。国立天文台暦計算室によれば、明治四年に月給制を採用していた新政府には、旧暦のままなら明治六年に置かれるうるう月の分の俸給を余計に払う必要があり、太陽暦の採用によってこれを避けられたという[SRC-00606]。詔書自身はこの俸給に関する事情には触れておらず[SRC-00605]、両説は対外的に示された公式の理由と、後年の書物が記す内部事情という、性格の異なる史料に基づく説明である(本サイトの整理)。なお、『大隈伯昔日譚』の原本そのものについては、本記事の調査範囲では該当箇所への到達に至っておらず、国立天文台暦計算室による紹介の範囲にとどまる(調査範囲: 『大隈伯昔日譚』の原本については国立国会図書館サーチで書誌を確認したが、本記事のW1予算内では該当箇所への到達・逐語照合には至らなかった)。また、布告から施行までの期間について、国立天文台暦計算室は「わずか20日後」と記すが[SRC-00606]、本サイトが布告日(1872年12月9日)と施行日(1873年1月1日)から算出した日数は23日であり、両者は一致しない。起点や暦の取り方の違いによる可能性があるが、本記事の調査範囲では原因を特定できていない。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
改暦断行の実質的な理由 太陰暦は季候とのずれが生じ推歩の差を生むのに対し、太陽暦は精密であること(詔書が明記する理由) 太政官布告第337号・別紙詔書 [SRC-00605]
同上 月給制のもとで、うるう月のある明治六年の俸給負担を避ける事情もあったこと(『大隈伯昔日譚』に記されている理由と暦計算室が解説する事情) 『大隈伯昔日譚』(国立天文台暦計算室の解説による) [SRC-00606]

関連する出来事

関連人物

詔書の「朕」の呼称について: 詔書は「朕」という一人称で書かれ、「自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン」と結ぶ[SRC-00605]。この「朕」を明治天皇と直接同定する記述は、本記事の登録出典の範囲では確認していない。

大隈重信(おおくましげのぶ): 大隈の名を冠する書『大隈伯昔日譚』には、改暦断行の理由が財政の問題にあると記されている、と国立天文台暦計算室は解説する[SRC-00606]。明治5年当時の政府内での具体的な役職は、本記事の登録出典の範囲では確認していない。

歴史的意義

太陽暦の採用は、日本の行政・経済活動を国際的に共通の暦へ接続する制度改革だったといえる(本サイトの整理)。時刻制度についても、昼夜の長短で変わる不定時法から1日24等分の定時法への転換を伴った[SRC-00605][SRC-00606]。国立天文台暦計算室は、旧暦の併記が明治42年暦まで続けられたと記しており、太陰太陽暦から太陽暦への移行は一度の布告で完結したのではなく、その後も一定期間続く移行過程だったことがうかがえる[SRC-00606]。

現代の視点

今日「新暦」「旧暦」と呼び分けられる暦の区分は、この布告によって生まれたものである[SRC-00606]。本サイトが日付ページで旧暦とグレゴリオ暦の双方を扱う際の換算方針(明治5年12月2日以前は旧暦、明治6年1月1日以降はグレゴリオ暦という区分)も、この改暦がもたらした境界線を基準にしている(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-00605] 『法令全書』明治5年(内閣官報局)― 太政官第三百三十七号(改暦ノ詔書並太陽暦頒布)原本画像/内閣官報局(国立国会図書館デジタルコレクション収載)(ランクS)
  2. [SRC-00604] 改暦ノ詔書並太陽暦頒布(明治5年11月9日太政官布告第337号)|日本法令索引(国立国会図書館)/国立国会図書館(ランクA)
  3. [SRC-00603] 明治5年(1872)11月|太陽暦が採用される:日本のあゆみ(国立公文書館)/国立公文書館(ランクA)
  4. [SRC-00606] 暦Wiki「歴史/日本の暦/6. 明治維新と太陽暦」(国立天文台暦計算室)/国立天文台暦計算室(ランクA)
  5. [SRC-00035] 日本の暦日データベース(国立天文台 暦計算室)— 天正10年6月2日の換算照会結果/国立天文台 暦計算室(ランクA)
  6. [SRC-00045] 暦Wiki「グレゴリオ暦」(国立天文台暦計算室)/国立天文台暦計算室(ランクA)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-04
22026-09-04あり
32026-09-04あり

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