モンゴルフィエ兄弟、アノネーで熱気球の公開無人飛行——アカデミーの公式報告書が記す日付は、広く知られる「6月4日」ではなく「6月5日」だった — 検証記録

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中核となる主張と、その根拠

記事の骨格をなす主張について、確からしさの程度と、それを支える資料を示します。

1783年6月、フランスのアノネーの市場で、モンゴルフィエ兄弟は無人の熱気球を公開で飛ばした。ヴィヴァレ地方三部会の議員とアノネーの町全体がこれを目撃し、その手続き記録がフランス王立科学アカデミーへ送付されたと、アカデミー報告書は記す。

確からしさ: 確実

  • アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、6月5日にアノネーでヴィヴァレ地方三部会の面前で行われたモンゴルフィエ兄弟の実験のプロセ・ヴェルバルをアカデミーへ送付したと記す。実験では直径35ピエの布・紙製の中空球体(重量450リーヴル)が1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇したとする(具体的な高度数値は記載なし)。アカデミーはティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ・デマレおよび報告者自身を委員に任命した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • 『そしてついに6月5日、ヴィヴァレ地方三部会の議員とアノネーの町全体の面前でこの実験を行った』と明記。アカデミーは、(1)兄弟が偶然ではなく着実な歩みで発見に至ったこと、(2)パリにニュースが届いた時点で発見は完成していたこと、(3)これが単なる未実現のアイデアではなく実際に発明され町全体がその効果を目撃したものであること、の3点を示すために実験の経緯を詳述したと記す。これらの記述の根拠は、弟モンゴルフィエが委員デマレへ宛てた書簡(一部1782年付)にあるとする。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • Encyclopédie Universalisは、1782年当時モンゴルフィエ兄弟がまず水素(キャヴェンディッシュが同定した『可燃性ガス』)を用いた実験を試みたが外皮から漏れて長続きしなかったこと、その後1782年11月、ジョゼフ・モンゴルフィエがアヴィニョンの自宅でタフタ製の箱(1.5立方メートル)に熱気を入れ天井まで上昇させたことを記す。続くアノネーでの一連の予備実験(25立方メートルの直方体が300メートルまで上昇、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇)に続き、『1783年6月5日、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験が、ヴィヴァレ地方三部会議員の面前でアノネーにて行われた』と明記する。気球は直径11.70m・重量245kg、紙で裏打ちした布地を1,800個のボタンで組み立て紐網に縫い付け、円形の枠に固定し、800立方メートルの熱気を含む外皮をわら・羊毛の火で加熱した構造だったとし、高度約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5km先のぶどう畑に着地したと記す。 — Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)(公的機関の解説)
  • 米国連邦委員会(U.S. Centennial of Flight Commission)の航空史エッセイは『史上初の軽航空機の公開実証は1783年6月4日、フランス・アノネーで行われた』とし、直径10メートルの布・紙製気球を同日アノネーの市場で試験し、気球は約2000メートル(6,562フィート)まで上昇したと記す。 — Early Balloon Flight in Europe(公的機関の解説)
  • ブリタニカ百科事典『Montgolfier brothers』項目は『モンゴルフィエ兄弟はこの発見の最初の公開実証を1783年6月4日、アノネーの市場で行った』とし、気球は約3,000フィート(1,000メートル)まで上昇し約10分間とどまったのち、上昇地点から1.5マイル超先に着地したと記す。 — Montgolfier brothers(事典・概説)

ジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエは、弟ジャック=エティエンヌとともに、直径35ピエ・重量450リーヴルの熱気球を製作し、アノネーでの公開実験を実施した。

確からしさ: 確実

  • アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、6月5日にアノネーでヴィヴァレ地方三部会の面前で行われたモンゴルフィエ兄弟の実験のプロセ・ヴェルバルをアカデミーへ送付したと記す。実験では直径35ピエの布・紙製の中空球体(重量450リーヴル)が1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇したとする(具体的な高度数値は記載なし)。アカデミーはティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ・デマレおよび報告者自身を委員に任命した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • 1782年11月頃、アヴィニョンで兄ジョゼフ=ミシェルが約40立方ピエのタフタ製小箱を紙で内部加熱し天井まで急上昇させたのが最初の実験。アノネーへ戻った後、弟とともに屋外で再試し70ピエの高さまで上昇。次に約650立方ピエのより大きな機体を試したところ、係留の綱を切って100〜150トワーズの高さまで上昇し近隣の丘へ落下。その後、直径35ピエ・重量450リーヴル(400リーヴル超の浮揚力)の最終的な機体を製作し、4月3日に強風のため断念、4月25日に係留者の手を離れ200トワーズ超・約10分間滞空ののち四半リュー先へ落下した。この同じ機体が6月5日の公開実験に使われた。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • Encyclopédie Universalisは、1782年当時モンゴルフィエ兄弟がまず水素(キャヴェンディッシュが同定した『可燃性ガス』)を用いた実験を試みたが外皮から漏れて長続きしなかったこと、その後1782年11月、ジョゼフ・モンゴルフィエがアヴィニョンの自宅でタフタ製の箱(1.5立方メートル)に熱気を入れ天井まで上昇させたことを記す。続くアノネーでの一連の予備実験(25立方メートルの直方体が300メートルまで上昇、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇)に続き、『1783年6月5日、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験が、ヴィヴァレ地方三部会議員の面前でアノネーにて行われた』と明記する。気球は直径11.70m・重量245kg、紙で裏打ちした布地を1,800個のボタンで組み立て紐網に縫い付け、円形の枠に固定し、800立方メートルの熱気を含む外皮をわら・羊毛の火で加熱した構造だったとし、高度約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5km先のぶどう畑に着地したと記す。 — Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)(公的機関の解説)

ジャック=エティエンヌ・モンゴルフィエは、兄ジョゼフ=ミシェルとともに、アノネー公開実験に用いた熱気球を製作した。アカデミー報告書は、この実験の経緯に関する記述の根拠がエティエンヌ自身の書簡にあると明記している。

確からしさ: 確実

  • アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、6月5日にアノネーでヴィヴァレ地方三部会の面前で行われたモンゴルフィエ兄弟の実験のプロセ・ヴェルバルをアカデミーへ送付したと記す。実験では直径35ピエの布・紙製の中空球体(重量450リーヴル)が1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇したとする(具体的な高度数値は記載なし)。アカデミーはティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ・デマレおよび報告者自身を委員に任命した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • 1782年11月頃、アヴィニョンで兄ジョゼフ=ミシェルが約40立方ピエのタフタ製小箱を紙で内部加熱し天井まで急上昇させたのが最初の実験。アノネーへ戻った後、弟とともに屋外で再試し70ピエの高さまで上昇。次に約650立方ピエのより大きな機体を試したところ、係留の綱を切って100〜150トワーズの高さまで上昇し近隣の丘へ落下。その後、直径35ピエ・重量450リーヴル(400リーヴル超の浮揚力)の最終的な機体を製作し、4月3日に強風のため断念、4月25日に係留者の手を離れ200トワーズ超・約10分間滞空ののち四半リュー先へ落下した。この同じ機体が6月5日の公開実験に使われた。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • 『そしてついに6月5日、ヴィヴァレ地方三部会の議員とアノネーの町全体の面前でこの実験を行った』と明記。アカデミーは、(1)兄弟が偶然ではなく着実な歩みで発見に至ったこと、(2)パリにニュースが届いた時点で発見は完成していたこと、(3)これが単なる未実現のアイデアではなく実際に発明され町全体がその効果を目撃したものであること、の3点を示すために実験の経緯を詳述したと記す。これらの記述の根拠は、弟モンゴルフィエが委員デマレへ宛てた書簡(一部1782年付)にあるとする。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • Encyclopédie Universalisは、1782年当時モンゴルフィエ兄弟がまず水素(キャヴェンディッシュが同定した『可燃性ガス』)を用いた実験を試みたが外皮から漏れて長続きしなかったこと、その後1782年11月、ジョゼフ・モンゴルフィエがアヴィニョンの自宅でタフタ製の箱(1.5立方メートル)に熱気を入れ天井まで上昇させたことを記す。続くアノネーでの一連の予備実験(25立方メートルの直方体が300メートルまで上昇、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇)に続き、『1783年6月5日、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験が、ヴィヴァレ地方三部会議員の面前でアノネーにて行われた』と明記する。気球は直径11.70m・重量245kg、紙で裏打ちした布地を1,800個のボタンで組み立て紐網に縫い付け、円形の枠に固定し、800立方メートルの熱気を含む外皮をわら・羊毛の火で加熱した構造だったとし、高度約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5km先のぶどう畑に着地したと記す。 — Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)(公的機関の解説)

アノネー公開実験で用いられた気球の寸法・重量は出典により異なる数値が記されている: フランス王立科学アカデミー報告書「直径35ピエ・重量450リーヴル」(単位換算は行わない)、Encyclopédie Universalis「直径11.70m・重量245kg」、米国連邦委員会「直径10m」。

確からしさ: 諸説あり

  • アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、6月5日にアノネーでヴィヴァレ地方三部会の面前で行われたモンゴルフィエ兄弟の実験のプロセ・ヴェルバルをアカデミーへ送付したと記す。実験では直径35ピエの布・紙製の中空球体(重量450リーヴル)が1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇したとする(具体的な高度数値は記載なし)。アカデミーはティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ・デマレおよび報告者自身を委員に任命した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • Encyclopédie Universalisは、1782年当時モンゴルフィエ兄弟がまず水素(キャヴェンディッシュが同定した『可燃性ガス』)を用いた実験を試みたが外皮から漏れて長続きしなかったこと、その後1782年11月、ジョゼフ・モンゴルフィエがアヴィニョンの自宅でタフタ製の箱(1.5立方メートル)に熱気を入れ天井まで上昇させたことを記す。続くアノネーでの一連の予備実験(25立方メートルの直方体が300メートルまで上昇、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇)に続き、『1783年6月5日、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験が、ヴィヴァレ地方三部会議員の面前でアノネーにて行われた』と明記する。気球は直径11.70m・重量245kg、紙で裏打ちした布地を1,800個のボタンで組み立て紐網に縫い付け、円形の枠に固定し、800立方メートルの熱気を含む外皮をわら・羊毛の火で加熱した構造だったとし、高度約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5km先のぶどう畑に着地したと記す。 — Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)(公的機関の解説)
  • 米国連邦委員会(U.S. Centennial of Flight Commission)の航空史エッセイは『史上初の軽航空機の公開実証は1783年6月4日、フランス・アノネーで行われた』とし、直径10メートルの布・紙製気球を同日アノネーの市場で試験し、気球は約2000メートル(6,562フィート)まで上昇したと記す。 — Early Balloon Flight in Europe(公的機関の解説)

アノネー公開実験の上昇高度・滞空時間・飛行距離は出典により異なる: フランス王立科学アカデミー報告書は「1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇した」とのみ記し具体的な高度・時間は示さない。米国連邦委員会は「約2000メートルまで上昇した」とし滞空時間は記さない。ブリタニカは「約1000メートル(3000フィート)まで上昇し約10分間とどまり、1.5マイル超先に着地した」とする。Encyclopédie Universalisは「約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、2.5km先に着地した」とする。

確からしさ: 諸説あり

  • アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、6月5日にアノネーでヴィヴァレ地方三部会の面前で行われたモンゴルフィエ兄弟の実験のプロセ・ヴェルバルをアカデミーへ送付したと記す。実験では直径35ピエの布・紙製の中空球体(重量450リーヴル)が1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇したとする(具体的な高度数値は記載なし)。アカデミーはティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ・デマレおよび報告者自身を委員に任命した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • Encyclopédie Universalisは、1782年当時モンゴルフィエ兄弟がまず水素(キャヴェンディッシュが同定した『可燃性ガス』)を用いた実験を試みたが外皮から漏れて長続きしなかったこと、その後1782年11月、ジョゼフ・モンゴルフィエがアヴィニョンの自宅でタフタ製の箱(1.5立方メートル)に熱気を入れ天井まで上昇させたことを記す。続くアノネーでの一連の予備実験(25立方メートルの直方体が300メートルまで上昇、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇)に続き、『1783年6月5日、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験が、ヴィヴァレ地方三部会議員の面前でアノネーにて行われた』と明記する。気球は直径11.70m・重量245kg、紙で裏打ちした布地を1,800個のボタンで組み立て紐網に縫い付け、円形の枠に固定し、800立方メートルの熱気を含む外皮をわら・羊毛の火で加熱した構造だったとし、高度約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5km先のぶどう畑に着地したと記す。 — Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)(公的機関の解説)
  • 米国連邦委員会(U.S. Centennial of Flight Commission)の航空史エッセイは『史上初の軽航空機の公開実証は1783年6月4日、フランス・アノネーで行われた』とし、直径10メートルの布・紙製気球を同日アノネーの市場で試験し、気球は約2000メートル(6,562フィート)まで上昇したと記す。 — Early Balloon Flight in Europe(公的機関の解説)
  • ブリタニカ百科事典『Montgolfier brothers』項目は『モンゴルフィエ兄弟はこの発見の最初の公開実証を1783年6月4日、アノネーの市場で行った』とし、気球は約3,000フィート(1,000メートル)まで上昇し約10分間とどまったのち、上昇地点から1.5マイル超先に着地したと記す。 — Montgolfier brothers(事典・概説)

アノネー公開実験の実施日は出典により異なる。米国連邦委員会とブリタニカ百科事典は1783年6月4日と記すが、いずれも典拠を示していない。これに対し、フランス王立科学アカデミーの1784年公式報告書、同時代に刊行されたFaujas de Saint-Fondの著作(1783年刊)、Encyclopédie Universalis(『エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験』と明記)は、いずれも1783年6月5日と記す。Faujas de Saint-Fondは曜日まで『木曜日』と記す。本サイトはいずれが正確かを判定しない。

確からしさ: 諸説あり

  • アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、6月5日にアノネーでヴィヴァレ地方三部会の面前で行われたモンゴルフィエ兄弟の実験のプロセ・ヴェルバルをアカデミーへ送付したと記す。実験では直径35ピエの布・紙製の中空球体(重量450リーヴル)が1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇したとする(具体的な高度数値は記載なし)。アカデミーはティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ・デマレおよび報告者自身を委員に任命した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • 『そしてついに6月5日、ヴィヴァレ地方三部会の議員とアノネーの町全体の面前でこの実験を行った』と明記。アカデミーは、(1)兄弟が偶然ではなく着実な歩みで発見に至ったこと、(2)パリにニュースが届いた時点で発見は完成していたこと、(3)これが単なる未実現のアイデアではなく実際に発明され町全体がその効果を目撃したものであること、の3点を示すために実験の経緯を詳述したと記す。これらの記述の根拠は、弟モンゴルフィエが委員デマレへ宛てた書簡(一部1782年付)にあるとする。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • Encyclopédie Universalisは、1782年当時モンゴルフィエ兄弟がまず水素(キャヴェンディッシュが同定した『可燃性ガス』)を用いた実験を試みたが外皮から漏れて長続きしなかったこと、その後1782年11月、ジョゼフ・モンゴルフィエがアヴィニョンの自宅でタフタ製の箱(1.5立方メートル)に熱気を入れ天井まで上昇させたことを記す。続くアノネーでの一連の予備実験(25立方メートルの直方体が300メートルまで上昇、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇)に続き、『1783年6月5日、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験が、ヴィヴァレ地方三部会議員の面前でアノネーにて行われた』と明記する。気球は直径11.70m・重量245kg、紙で裏打ちした布地を1,800個のボタンで組み立て紐網に縫い付け、円形の枠に固定し、800立方メートルの熱気を含む外皮をわら・羊毛の火で加熱した構造だったとし、高度約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5km先のぶどう畑に着地したと記す。 — Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)(公的機関の解説)
  • 米国連邦委員会(U.S. Centennial of Flight Commission)の航空史エッセイは『史上初の軽航空機の公開実証は1783年6月4日、フランス・アノネーで行われた』とし、直径10メートルの布・紙製気球を同日アノネーの市場で試験し、気球は約2000メートル(6,562フィート)まで上昇したと記す。 — Early Balloon Flight in Europe(公的機関の解説)
  • ブリタニカ百科事典『Montgolfier brothers』項目は『モンゴルフィエ兄弟はこの発見の最初の公開実証を1783年6月4日、アノネーの市場で行った』とし、気球は約3,000フィート(1,000メートル)まで上昇し約10分間とどまったのち、上昇地点から1.5マイル超先に着地したと記す。 — Montgolfier brothers(事典・概説)
  • Faujas de Saint-Fondは、アノネー公開実験の日付を本文冒頭で『Le jeudi 5 Juin 1783, l'Assemblée des États particuliers de Vivarais se trouvant à Annonay, fut invitée par les Auteurs de la Machine aérostatique à assister à l'expérience qu'ils se proposoient de faire en public.』と記す。同じページの脚注は、エティエンヌ・モンゴルフィエから著者へ直接寄せられた通信として『La Machine aérostatique, dont l'expérience fut faite devant Messieurs des Etats particuliers de Vivarais, le jeudi 5 Juin 1783, étoit construite en toile doublée de papier,』と記す。序文は『en commençant par celle d'Annonay du 5 juin 1783, qui fixe la date de cette belle découverte.』と記す。いずれも曜日(jeudi=木曜日)と日付(5 Juin 1783)が一致する。 — Description des expériences de la machine aérostatique de MM. de Montgolfier, et de celles auxquelles cette découverte a donné lieu(同時代の記録)

フランス王立科学アカデミーの調査委員会は、報告書の中で、モンゴルフィエ兄弟以前にも人を飛ばす装置の理論的な提案(ロジャー・ベーコンの構想、ラナ・デ・テルツィ神父が考案した真空の銅球による飛行船の構想、ガリアン神父が1755年に刊行した飛行船の提案)があったことを述べ、それらはいずれも実現されなかった考案にとどまったことを紹介した。また別の箇所では、一部の不勉強な人々が言うような、実験によって実現される必要のある考えにすぎないものではなく、モンゴルフィエ兄弟の熱気球は実際に発明され、町全体がその効果を目撃したものだと位置づけた。

確からしさ: 確実

  • 『そしてついに6月5日、ヴィヴァレ地方三部会の議員とアノネーの町全体の面前でこの実験を行った』と明記。アカデミーは、(1)兄弟が偶然ではなく着実な歩みで発見に至ったこと、(2)パリにニュースが届いた時点で発見は完成していたこと、(3)これが単なる未実現のアイデアではなく実際に発明され町全体がその効果を目撃したものであること、の3点を示すために実験の経緯を詳述したと記す。これらの記述の根拠は、弟モンゴルフィエが委員デマレへ宛てた書簡(一部1782年付)にあるとする。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)

アノネー公開実験に先立ち、モンゴルフィエ兄弟は複数回の予備実験を行った: 1782年11月頃アヴィニョンでの室内小型実験(約40立方ピエのタフタ製小箱、天井まで急上昇)、アノネーでの屋外再試(70ピエの高さまで上昇)、より大きな約650立方ピエの機体の試験(係留の綱を切り100〜150トワーズまで上昇し近隣の丘へ落下)、そして公開実験と同じ直径35ピエの機体による1783年4月3日(強風のため断念)・4月25日(係留者の手を離れ200トワーズ超・約10分滞空ののち落下)の2回の試験である。

確からしさ: 有力

  • 1782年11月頃、アヴィニョンで兄ジョゼフ=ミシェルが約40立方ピエのタフタ製小箱を紙で内部加熱し天井まで急上昇させたのが最初の実験。アノネーへ戻った後、弟とともに屋外で再試し70ピエの高さまで上昇。次に約650立方ピエのより大きな機体を試したところ、係留の綱を切って100〜150トワーズの高さまで上昇し近隣の丘へ落下。その後、直径35ピエ・重量450リーヴル(400リーヴル超の浮揚力)の最終的な機体を製作し、4月3日に強風のため断念、4月25日に係留者の手を離れ200トワーズ超・約10分間滞空ののち四半リュー先へ落下した。この同じ機体が6月5日の公開実験に使われた。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • Encyclopédie Universalisは、1782年当時モンゴルフィエ兄弟がまず水素(キャヴェンディッシュが同定した『可燃性ガス』)を用いた実験を試みたが外皮から漏れて長続きしなかったこと、その後1782年11月、ジョゼフ・モンゴルフィエがアヴィニョンの自宅でタフタ製の箱(1.5立方メートル)に熱気を入れ天井まで上昇させたことを記す。続くアノネーでの一連の予備実験(25立方メートルの直方体が300メートルまで上昇、220キログラムの球体が400メートル超まで上昇)に続き、『1783年6月5日、エティエンヌ・モンゴルフィエが記述した公開実験が、ヴィヴァレ地方三部会議員の面前でアノネーにて行われた』と明記する。気球は直径11.70m・重量245kg、紙で裏打ちした布地を1,800個のボタンで組み立て紐網に縫い付け、円形の枠に固定し、800立方メートルの熱気を含む外皮をわら・羊毛の火で加熱した構造だったとし、高度約2000メートルまで上昇し約10分間滞空、アノネーから2.5km先のぶどう畑に着地したと記す。 — Montgolfier Joseph (1740-1810) & Étienne (1745-1799)(公的機関の解説)

ヴィヴァレ地方三部会の手続き記録を受け取ったフランス王立科学アカデミーは、ティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ侯爵・デマレおよび報告者を委員とする調査委員会を任命し、パリに来ていた弟エティエンヌ・モンゴルフィエに、アカデミー(のちに政府が費用を肩代わり)の負担で新しい気球を製作させて追加実験を行わせた。アカデミーは1783年12月23日にこの報告書を採択し、無名の市民が設立した技芸奨励年間600リーヴル賞を同年分としてモンゴルフィエ兄弟に授与した。

確からしさ: 確実

  • アカデミー報告書は、コントローラー・ジェネラルのドルメッソンが、6月5日にアノネーでヴィヴァレ地方三部会の面前で行われたモンゴルフィエ兄弟の実験のプロセ・ヴェルバルをアカデミーへ送付したと記す。実験では直径35ピエの布・紙製の中空球体(重量450リーヴル)が1200トワーズ超を飛行し、相当な高さまで上昇したとする(具体的な高度数値は記載なし)。アカデミーはティエ・ブリソン・カデ・ラヴォアジエ・ボシュ・コンドルセ・デマレおよび報告者自身を委員に任命した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • アカデミーは、パリに到着していた弟エティエンヌ・モンゴルフィエに、アノネー実験を再現し、さらに複数の追加実験を行うための新しい熱気球をアカデミーの費用で製作させることを決定した。モンゴルフィエは、聖マルタン祭明けの会期再開後にこの経緯を述べた覚書をアカデミーで朗読した。脚注では、当初アカデミーが費用負担を決定したが、政府がこの発見の重要性を認識し、費用が高額になりうることから、関連する全費用を政府が肩代わりしたと記す。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)
  • 報告書は1783年12月23日にアカデミーで作成され、ル・ロワ、ティエ、ブリソン、カデ、ラヴォアジエ、ボシュ、コンドルセ侯爵、デマレが署名した。アカデミーは報告書の朗読を受け、全会一致でこれを承認し、(1)報告書の印刷・公表、(2)匿名の市民が設立した技芸奨励年間600リーヴル賞を1783年分としてモンゴルフィエ兄弟へ授与すること、を決定した。コンドルセ侯爵が1783年12月28日付でこの抄本を認証した。 — Rapport fait à l'Académie des Sciences, sur la Machine Aérostatique, inventée par MM. de Montgolfier(同時代の記録)

アノネー公開実験(無人)は、同年のちの1783年9月19日にヴェルサイユで行われた動物を乗せた気球飛行、および同年11月21日にパリのミュエット城で行われた、ピラートル・ド・ロジエとダルランド侯爵による初の有人自由飛行に先立つ、モンゴルフィエ気球の一連の実験の最初の公開段階である。

確からしさ: 確実

  • 米国連邦委員会(U.S. Centennial of Flight Commission)の航空史エッセイは『史上初の軽航空機の公開実証は1783年6月4日、フランス・アノネーで行われた』とし、直径10メートルの布・紙製気球を同日アノネーの市場で試験し、気球は約2000メートル(6,562フィート)まで上昇したと記す。 — Early Balloon Flight in Europe(公的機関の解説)
  • ブリタニカ百科事典『Montgolfier brothers』項目は『モンゴルフィエ兄弟はこの発見の最初の公開実証を1783年6月4日、アノネーの市場で行った』とし、気球は約3,000フィート(1,000メートル)まで上昇し約10分間とどまったのち、上昇地点から1.5マイル超先に着地したと記す。 — Montgolfier brothers(事典・概説)

そのほかの記述の検証

中核以外の記述についても、61 件を出典と突き合わせ、61 件で一致を確認しました。

訂正の履歴

版日付事実主張への変更再fact-check
12026-10-08あり要
22026-10-08あり済
32026-10-08なし不要

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