1431年世界 15世紀

1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクはルーアンのヴィユー・マルシェ広場で火刑に処された——異端の判決を受け、棄教から6日後に執行された処刑

日付と暦

原典表記
1431年5月30日(ユリウス暦)
換算
1431-05-30(ユリウス暦)
掲載日
5月30日のページ

暦の注記: この出来事はユリウス暦の1431年5月30日に起きた(ユリウス暦のまま換算: 1431-05-30)[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。グレゴリオ暦の導入は1582年10月であり、この日付はそれより151年前にあたるため、換算先の暦種別もユリウス暦のままとなる(機械決定)。当時のフランスの一部地域には年始を復活祭(移動祝日)とする慣行があったが、本記事の対象日(5月30日)はユリウス暦における復活祭の可動範囲(3月22日〜4月25日)よりも後にあたるため、年始慣行の違いによって年表記が分かれることはない(本サイトの整理)。裁判記録自身は、世俗当局への引き渡しを宣告した最終判決の日を「水曜日、5月の終わりから2日目」というラテン語の相対表現で記録している(記録はこの判決で終わり、火刑の執行そのものは記録しない。執行が判決と同日であったことはBritannica・Larousseが記す)[SRC-02306]。本サイトでは 05-30 のページに掲載している。換算は独自に行っておらず、原典の日付をそのまま転記したものである[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。

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概要

1431年5月30日(ユリウス暦・水曜日)、フランスのルーアンにあるヴィユー・マルシェ広場で、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。前年5月にコンピエーニュでブルゴーニュ軍の捕虜となったジャンヌは、1431年1月までにボーヴェ司教ピエール・コーションの手に引き渡され、ルーアンで異端審問裁判を受けていた[SRC-02250][SRC-02251]。5月24日、ジャンヌはサン=トゥーアン修道院の墓地で公の棄教を行ったが、その後男性の服を再び身につけ、声が戻ったと述べたことが異端の再発の自認とみなされ、5月29日、裁判官と陪席者39名が彼女を世俗当局へ引き渡すべきであると全員一致で決定した[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。翌30日朝、ジャンヌは告解と聖体拝領を許された後、ヴィユー・マルシェ広場へ連行され、火刑に処された[SRC-02250][SRC-02251]。この判決は、25年後の1456年、復権裁判によって取り消され無効とされている[SRC-02250][SRC-02251]。

本文

1430年5月23日にコンピエーニュでブルゴーニュ軍の捕虜となったジャンヌ・ダルクは、イギリス側の要求を受け、対価の支払いを経て、1431年1月3日までにボーヴェ司教ピエール・コーションの手に引き渡された[SRC-02250][SRC-02251]。コーションは、ジャンヌが捕らえられた地を含む教区の司教であることを理由に裁判の管轄権を主張し、特例でルーアンに法廷を移した[SRC-02251]。裁判官はコーションとフランス副審問官ジャン・ルメートルの2名とされ、促進官(訴追担当)ジャン・デスティヴェ、公証人2名、聖職者の中から選ばれた旧知の約60名の顧問・陪席者(うちイギリス国籍は2名のみ)によって法廷が構成された[SRC-02250][SRC-02251]。

非公開の訊問(instruction)は、Larousseによれば1431年1月9日から3月26日まで行われた[SRC-02251]。Britannicaは、1月13日にロレーヌ等で得られた証言が司教と陪席者の前で読み上げられて訊問の枠組みとなり、2月21日から3月24日の間に12回近く訊問が行われ、3月24日にその記録が本人へ示されたと記す[SRC-02250]。その1日ほど後に正式な審理が始まり、ジャンヌは70条にわたる起訴状に2日間で答え、この起訴は後に12条へ圧縮されたが、その内容はジャンヌ本人には示されなかった[SRC-02250][SRC-02251]。戦闘のためにも、看守たちの暴力から身を守るためにも、男性の服が自分にとって唯一の防御であるとジャンヌは主張した[SRC-02251]。5月9日、コーションはジャンヌを拷問具の前に立たせたが、裁判記録自身は、拷問を不採用とする結論を5月12日(土曜日)の項に置いている[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。

5月23日、ジャンヌは、持論を撤回しなければ世俗当局に引き渡されるとのパリ大学の決定を告げられた——異端と断罪された者への死刑執行は、教会自身ではなく世俗当局のみが行えるためである[SRC-02250]。翌5月24日、ジャンヌは4か月ぶりに獄外へ出され、サン=トゥーアン修道院の墓地に設けられた足場の上で、説教を受けたのち棄教の宣誓文に署名した[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。この棄教により、判決は終身禁固に軽減された[SRC-02250][SRC-02251]。

その後ジャンヌが男性の服を再び身につけていることが確認された[SRC-02250][SRC-02251]。裁判記録によれば、裁判官らは5月28日(月曜日)に獄舎を訪れ、ジャンヌが男性の服——チュニック・頭巾・胴着など——を身につけていることを確認し、いつ、なぜ再び身につけたのかを尋ねた[SRC-02306]。翌5月29日(火曜日)、裁判官と陪席者39名がルーアン大司教館の礼拝堂に集まった[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。ジャンヌが男性の服を再び身につけ、声が戻ったと述べたことを自認(admission)として、裁判官らは全員一致でジャンヌを世俗当局へ引き渡すべきであると決定した[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]。裁判記録自身は、この場でなお彼女を再発者として手続きを進めるべきであると結論したと記す[SRC-02306]。

翌5月30日(水曜日)の朝、ジャンヌはコーションから、再発した異端者には前例のない許可として、告解と聖体拝領を受けることを許された[SRC-02250]。その後、2名のドミニコ会修道士に伴われてヴィユー・マルシェ広場へ連行され、裁判官らと大群衆の前で、世俗の手へ引き渡す判決が読み上げられた[SRC-02250]。処刑人はジャンヌを捕らえ、火刑台へ連れて行き、火を放った[SRC-02250]。一人のドミニコ会士が、ジャンヌから、炎の音に負けぬ大声で救いの確約を叫ぶことを頼まれた[SRC-02250]。ジャンヌは最後まで、自らの声は神から送られたものであり自分を欺いていなかったと言い続けたと伝えられる[SRC-02250]。

歴史的背景

ジャンヌの裁判は、教会裁判として行われたが、その背景には政治的な動機があったと出典は分析する。パリ大学の神学者たちは、信仰に関わる問題の裁定者として、ジャンヌを異端として裁くべきだと主張した[SRC-02250]。ジャンヌの信仰は当時の多くの神学者が定める正統性の基準に厳密には適合せず、神から直接啓示を受けたという彼女の主張は教会の権威を脅かすものと見なされた[SRC-02250]。さらに、この裁判によってシャルル7世が魔女ないし異端者によって戴冠したことを示せれば、彼の王位の正統性を失わせる効果も見込まれていたと、出典は指摘する——これは出典自身の歴史分析であり、本サイト独自の評価ではない[SRC-02250]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1430年5月23日(ユリウス暦) ジャンヌ・ダルク、コンピエーニュでブルゴーニュ軍の捕虜となる(本記事の前提事実) [SRC-02250][SRC-02251]
1431年1月3日まで(ユリウス暦) ジャンヌの身柄が、ボーヴェ司教ピエール・コーションの手に引き渡される [SRC-02250]
1431年1月9日(ユリウス暦。Larousseの区分) 非公開の訊問(instruction)が始まる [SRC-02251]
1431年1月13日(ユリウス暦) ロレーヌ等で得られた証言が司教・陪席者の前で読み上げられ、訊問の枠組みとなる [SRC-02250]
1431年2月21日〜3月24日(ユリウス暦) ジャンヌが12回近く訊問される [SRC-02250]
1431年3月24日(ユリウス暦) 予備訊問の記録が本人に示される [SRC-02250]
1431年3月26日(ユリウス暦。Larousseの区分) 非公開の訊問(instruction)が終わる [SRC-02251]
1431年3月下旬(ユリウス暦・3月24日の1日ほど後) 正式な審理が始まる [SRC-02250]
1431年3月28日(ユリウス暦) 70条の起訴状が法廷に提示される [SRC-02251]
1431年4月2日(ユリウス暦) 起訴の内容が12条へ圧縮される [SRC-02251]
1431年5月9日(ユリウス暦) 裁判官らがジャンヌを拷問具の前に立たせる [SRC-02250][SRC-02251]
1431年5月12日(ユリウス暦・土曜日) 裁判記録自身が自己日付づけする項で、拷問を不採用とする結論(Britannicaの記す10対3の多数)が記される [SRC-02250][SRC-02306]
1431年5月23日(ユリウス暦) ジャンヌ、持論を撤回しなければ世俗当局に引き渡されるとの決定を告げられる [SRC-02250]
1431年5月24日(ユリウス暦・木曜日) ジャンヌ、サン=トゥーアン修道院の墓地で公の棄教を行う(本記事の主題の一部) [SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]
1431年5月28日(ユリウス暦・月曜日) ジャンヌが男性の服を再び身につけていることを、裁判官らが獄舎で確認する [SRC-02306]
1431年5月29日(ユリウス暦・火曜日) 裁判官と陪席者39名、ジャンヌを異端の再発者と判定し、世俗当局への引き渡しを全員一致で決定する(本記事の主題の一部) [SRC-02250][SRC-02251]
1431年5月30日(ユリウス暦・水曜日) ジャンヌ、ルーアンのヴィユー・マルシェ広場で火刑に処される(本記事の主題) [SRC-02250][SRC-02251][SRC-02306]
1456年7月7日(ユリウス暦) 復権裁判の判決が宣告され、1431年の判決が取り消される [SRC-02251]
1920年(出典は日付まで記すが、本記事では年のみ記載) ジャンヌ・ダルク、カトリック教会により聖人の列に加えられる [SRC-02126][SRC-02250]
異説・論争定説のない論点があります

男性の服を再び身につけた時点の表現: ジャンヌが異端の再発の自認とみなされる行為(男性の服の再着用)を行った時点について、出典間で表現の精度が異なる。裁判記録そのものは、裁判官らが獄舎を訪れてジャンヌが男性の服を身につけていることを確認したのは5月28日(月曜日)であったと自己日付づけする[SRC-02306]。Britannicaは「2〜3日後(two or three days later)、裁判官らが訪れて彼女が再び男性の服を着ているのを見つけた」と記し、これは裁判記録の5月28日の確認と同じ出来事を指すと考えられる[SRC-02250]。一方、Larousse百科事典は「ジャンヌは5月27日に撤回した(Jeanne se rétracte le 27 mai)」と記す[SRC-02251]——これは服装の変化そのものの時点を指す可能性があるが、本サイトの調査範囲では、撤回(Larousse)と確認(裁判記録・Britannica)のどちらが先行したかを独自に判定する材料がなく、3者を出典名とともに併記する。

確認された異説(学界的な位置づけの明示): 上記1点に限って確認(調査範囲: 本記事の登録出典6件〔Britannica2頁分・Larousse百科事典・Quicherat版裁判記録2巻・Historial Jeanne d'Arc公式サイト〕)。 処刑という出来事そのものの発生・日付・場所について、学説上の対立は確認されなかった。訊問(instruction)期間についてのBritannica・Larousseの記述は、対象の粒度が異なるため(Larousseは訊問全体の期間、Britannicaはそのうちの訊問実施回数の期間)、本サイトは対立としては扱わない(本文・タイムライン参照)。

関連する出来事

この処刑の前年、1430年5月23日にはジャンヌがコンピエーニュでブルゴーニュ軍の捕虜となっていた[SRC-02250][SRC-02251]。処刑から25年後の1456年7月7日、ジャンヌの母の請願に始まった復権裁判の判決がルーアン大司教館の大広間で宣告され、1431年の判決は取り消され無効とされた[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02308]。さらにその後、1920年にジャンヌはカトリック教会により聖人の列に加えられている[SRC-02126][SRC-02250]。本サイトは、この出来事の宗教的な意義については評価を行わず、列聖の事実のみを記録する。

関連人物

歴史的意義

この処刑は、ジャンヌ・ダルクの生涯における最後の出来事である。ルーアンでの裁判記録と、1456年の復権裁判の記録という「ジャンヌの二つの裁判の記録」は、歴史家にとって一級の史料であると出典は評する[SRC-02251]。復権裁判は、1431年の判決を取り消した[SRC-02250][SRC-02251][SRC-02308]。この処刑から約500年後の1920年、ジャンヌはカトリック教会によって聖人の列に加えられている[SRC-02126][SRC-02250]。本サイトは、処刑の当否や宗教的評価について独自の立場を取らず、裁判記録に基づく事実の経過のみを記録する。

現代の視点

ルーアン大司教館には、史料館「Historial Jeanne d'Arc」(2015年開館)が設置されている。同館は、自らの立地について、1431年の断罪宣告と1456年の復権裁判の双方が行われた「オフィシャリテ」と呼ばれる部屋の遺構を保存する建物内にあると説明する[SRC-02307]。この史料館の説明が指す「断罪宣告」が、本文に記した5月30日のヴィユー・マルシェ広場での最終判決の宣告と同一の場面を指すのか、審理過程の他の場面を指すのかは、本サイトの調査範囲では特定できない(調査の限界として記録する)。この史料館は、処刑そのものが行われたヴィユー・マルシェ広場とは別の場所(大司教館)に位置する——本サイトの調査範囲では、ヴィユー・マルシェ広場における現在の記念施設・標示についての非Wikipedia出典を確保できなかった(調査の限界として記録する)。なお、Britannicaはジャンヌの祝日(feast day)を5月30日としており、これは本記事が対象とする処刑の日付と同じである[SRC-02126]。

出典一覧

  1. [SRC-02126] Joan of Arc | Biography, Painting, Death, Accomplishments, Trial, & Facts/Encyclopædia Britannica, Inc.(ランクB)
  2. [SRC-02250] St. Joan of Arc - French Heroine, Martyr, Trial | Capture, trial, and execution/Encyclopædia Britannica, Inc.(ランクB)
  3. [SRC-02251] Jeanne d'Arc, dite la Pucelle d'Orléans/Éditions Larousse(ランクB)
  4. [SRC-02306] Procès de condamnation et de réhabilitation de Jeanne d'Arc, dite La Pucelle, publiés pour la première fois d'après les manuscrits de la Bibliothèque royale (éd. Jules Quicherat), tome premier/原本(審問・判決記録): ルーアン異端審問法廷(1431年)。収載版: Jules Quicherat(éd.), Procès de condamnation et de réhabilitation de Jeanne d'Arc, dite La Pucelle, tome I(Société de l'Histoire de France、1841年刊)。Internet Archive(アップロード元: University of Toronto Robarts Library)がOCRテキスト付きで公開。(ランクS)(複数の資料を収載)
  5. [SRC-02307] Historial Jeanne d'Arc — site officiel/Historial Jeanne d'Arc(ルーアン大司教館内に設置された公立史料館。運営: Métropole Rouen Normandie)(ランクA)
  6. [SRC-02308] Procès de condamnation et de réhabilitation de Jeanne d'Arc, dite La Pucelle, publiés pour la première fois d'après les manuscrits de la Bibliothèque royale (éd. Jules Quicherat), tome troisième/原本(復権裁判記録): ルーアン大司教館の教会法廷(1456年)。収載版: Jules Quicherat(éd.), Procès de condamnation et de réhabilitation de Jeanne d'Arc, dite La Pucelle, tome III(Société de l'Histoire de France、1845年刊)。Internet Archive(アップロード元: University of Toronto Robarts Library)がOCRテキスト付きで公開。(ランクS)(複数の資料を収載)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-07—
22026-10-07なし
32026-10-07なし
42026-10-07不明
52026-10-07なし

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