1452年世界 15世紀

レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生、祖父アントニオ自身の記録に「1452年4月15日、土曜日の夜3時」と記される

日付と暦

原典表記
1452年4月15日(ユリウス暦)
換算
1452-04-15(ユリウス暦)
掲載日
4月15日のページ

暦の注記: この出来事はユリウス暦の1452年4月15日(祖父アントニオ自身の記録によれば土曜日の夜3時)に起きた(ユリウス暦換算: 1452-04-15)[SRC-01932][SRC-01933][SRC-01935]。1452年はグレゴリオ暦の導入(1582年10月15日)より130年前であり、換算先の暦種別は本サイトの暦運用規則(グレゴリオ暦導入前の日付はユリウス暦のまま扱う)によりユリウス暦となる(原典日付と換算値は月日で数値上同一の恒等変換であり、実質的な暦計算は発生していない。独自換算は行っていない)。当時のフィレンツェ共和国は3月25日を年始とする暦(受肉紀元)を用いていた[SRC-01614]が、誕生日(4月15日)はこの年始より後にあたるため、フィレンツェ式の年表記と現代の年表記との間に年のずれは生じない。本サイトでは04-15のページに掲載している。

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概要

1452年4月15日、レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリアのヴィンチで、フィレンツェの公証人セル・ピエロ・ダ・ヴィンチと、カテリーナという名の女性との非嫡出子として生まれた[SRC-01932][SRC-01933][SRC-01935]。誕生の様子を書き残したのは父ではなく、祖父アントニオ・ダ・ヴィンチである。アントニオは、自身の父(レオナルドの曾祖父)セル・ピエロ・ディ・セル・グイドの公証人登記簿の最終葉に、「4月15日、土曜日、夜の3時」に孫が生まれ「リオナルド」と名付けたと自筆で記した[SRC-01933]。この記録は1939年、エミール・メラーによるフィレンツェ国立文書館での調査で発見・公表された[SRC-01934]。記録は誕生が「ヴィンチで」あったことを示すが、伝承で語られる具体的な生誕地(ヴィンチ近郊アンキアーノの農家)をめぐっては、学術的な論争がある[SRC-01934][SRC-01935]。

本文

祖父アントニオ・ダ・ヴィンチが記した記録は、次のように伝わる(原文はイタリア語)。「1452年。私の息子セル・ピエロの息子である私の孫が、4月15日、土曜日、夜の3時に生まれた。名をリオナルドと付けた。洗礼を授けたのはヴィンチのバルトロメオの息子ピエロ司祭である」[SRC-01933]。この記録は、アントニオが自身の父(レオナルドの曾祖父)であるセル・ピエロ・ディ・セル・グイドの、既に子どもたちの誕生記録に使われていた公証人登記簿の最終葉に書き加えたものである[SRC-01933]。記録の原本は、フィレンツェ国立文書館に、請求記号「Notarile antecosimiano 16912, f. 105v」として現存する[SRC-01933]。

父セル・ピエロは、この記録を紹介するMuseo Galileoの解説では「セル・ピエロ・ダントニオ(アントニオの息子ピエロ)」と呼ばれ、フィレンツェの公証人であった[SRC-01932][SRC-01933][SRC-01935]。曾祖父セル・ピエロ・ディ・セル・グイドも公証人登記簿を残しており、この一族には複数世代にわたり公証人を輩出してきたという側面があったことがうかがえる[SRC-01933]。母カテリーナについては、本記事が確認した出典の範囲では、若い農民の娘であったとする記述が2系統に見られるが[SRC-01932][SRC-01936]、姓や出自の詳細は特定されていない。ブリタニカ百科事典は、カテリーナが誕生後まもなく職人と結婚したと記す[SRC-01932]。

レオナルドの両親は、誕生当時、正式な婚姻関係になかった[SRC-01932][SRC-01933][SRC-01935][SRC-01936]。ブリタニカ百科事典は、レオナルドが父方の一族の邸宅で育ち「嫡出子」として扱われ、当時の通常の初等教育(読み・書き・算術)を受けたと記す[SRC-01932]。一方、アリゾナ州立大学のEmbryo Project Encyclopediaは、レオナルドが「出生の身分によりほとんどすべての職業から社会的に排除され、正規の大学への進学も禁じられていた」と評価する[SRC-01936]。

歴史的背景

誕生当時のヴィンチは、フィレンツェ共和国に属していた[SRC-01932]。ダ・ヴィンチ家は複数世代にわたり公証人を輩出してきた家系であり、祖父アントニオが誕生の記録を書き加えた登記簿自体、曾祖父セル・ピエロ・ディ・セル・グイドが公証人として用いていたものであった[SRC-01933]。父セル・ピエロもフィレンツェの公証人であった[SRC-01932][SRC-01933][SRC-01935]。このような公証人一族にあって、非嫡出子として生まれたレオナルドは、Embryo Project Encyclopediaの評価によれば、出生の身分によりほとんどすべての職業から社会的に排除され、正規の大学への進学も禁じられていた[SRC-01936]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1452-04-15(ユリウス暦・土曜日夜3時) レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴィンチで誕生。祖父アントニオが公証人登記簿に記録 [SRC-01932][SRC-01933][SRC-01935]
1939年(西暦・年のみ) エミール・メラーが、フィレンツェ国立文書館で祖父アントニオの誕生記録を発見・公表 [SRC-01934]
1950年(西暦・年のみ) アンキアーノの家の所有者(ラシーニ・ダ・カステルカンポ伯爵家)が、ヴィンチ市への同家の寄贈を決定 [SRC-01934]
1952-04-15(グレゴリオ暦・生誕500周年) アンキアーノの家が、博物館として正式に開館 [SRC-01934]
1519-05-02(ユリウス暦) レオナルド、フランスのクルー(現クロ・リュセ)で死去 [SRC-01932]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
具体的な生誕地の家屋 伝承では、ヴィンチ近郊アンキアーノの農家で生まれたとされる [SRC-01932][SRC-01934][SRC-01935] Museo Leonardiano自身が「伝承によれば(secondo la tradizione)」と留保付きで記す一方、ブリタニカ百科事典はアンキアーノを留保なしで誕生地として記す[SRC-01932]。19世紀(1845年の歴史家レペッティの記述が早い例)に定着した伝承であり、1939年に発見された一次記録自体はこの具体的な家屋名を確定していない
具体的な生誕地の家屋(対立仮説) アンキアーノの農家か、ヴィンチの町にあったグイーディ城近くのダ・ヴィンチ家の家か、をめぐって論争があった [SRC-01934] エミール・メラーと歴史家レンツォ・チャンキとの間で「長年の激しい論争」が続いたと記録されるが、どちらの説が優勢になったかは本記事が確認した出典の範囲では確定できない
母カテリーナの出自 若い農民の娘であったとされる [SRC-01932][SRC-01936] 2系統([SRC-01932][SRC-01936])が一致して「若い農民の娘」と記すが、姓や具体的な出自を記す出典は本記事が確認した範囲では見当たらない
非嫡出子としての境遇の評価 出生の身分によりほとんどすべての職業から社会的に排除され、正規の大学への進学も禁じられていたと評価される [SRC-01936] 単独の学術機関による評価。ブリタニカ百科事典は対照的に、レオナルドが父方の邸宅で「嫡出子」として扱われ、当時の通常の初等教育を受けたと記しており、排除の具体的な現れ方については出典間で強調点が異なる(両者は必ずしも矛盾しない)

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

レオナルドの誕生の記録は、父の日記ではなく曾祖父の公証人登記簿の最終葉に残された点で異色である[SRC-01933]。1939年のこの記録の公表は、誕生の日付とヴィンチで生まれたことを確定させた一方、具体的な生誕地の家屋をめぐる問いを再燃させた[SRC-01934]。多くの伝記的事実がのちに神話化されやすい人物にあって、誕生そのものの記録は、家業(公証人)の登記簿の一葉に書き留められたものであった[SRC-01933]。

現代の視点

ブリタニカ百科事典は、レオナルドの技量と知性について、おそらく他のどの人物にも増してルネサンス人文主義の理想を体現したと評する[SRC-01932]。もっとも本記事が確認した出典の範囲では、この評価を得るに至る以前のレオナルド自身の出生の身分は、当時のフィレンツェ社会において「ほとんどすべての職業からの社会的排除」という具体的な制約として作用したとも評価されている[SRC-01936]。公証人を複数世代にわたり輩出してきた一族に生まれながら、後年広く知られるようになったのは画家・彫刻家・建築家・技術者としての経歴であり、公証人としての経歴ではなかった[SRC-01932]。出生の身分による制約と、この職業選択との関係を直接述べる出典は本記事が確認した範囲では見当たらない。

出典一覧

  1. [SRC-01932] Leonardo da Vinci | Biography, Art, Paintings, Mona Lisa, Drawings, Inventions, Achievements, & Facts/Encyclopaedia Britannica(執筆: Ludwig Heinrich Heydenreich)(ランクB)
  2. [SRC-01933] Antonio da Vinci — Nota sulla nascita di Leonardo(『ダ・ヴィンチ家 フィレンツェにて』展 「家族の文書」セクション)/Museo Galileo(フィレンツェ)(ランクA)
  3. [SRC-01934] Leonardo's Birthplace — The History(Museo Leonardiano di Vinci)/Museo Leonardiano di Vinci(Comune di Vinci運営)(ランクA)
  4. [SRC-01935] Biografia di Leonardo(Museo Leonardiano di Vinci 公式サイト)/Museo Leonardiano di Vinci(Comune di Vinci運営)(ランクA)
  5. [SRC-01936] Leonardo da Vinci (1452-1519)/Arizona State University, School of Life Sciences, Center for Biology and Society, Embryo Project Encyclopedia(執筆: Hilary Gilson)(ランクA)
  6. [SRC-01614] Michelangelo's uncelebrated birthday and uncertain death/OUPblog(Oxford University Press公式ブログ)(ランクB)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-29あり
22026-09-29あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。