1961年世界 20世紀
1961年5月28日、ピーター・ベネンソンの論説「忘れられた囚人」が英紙オブザーバーに掲載された——『アムネスティ・インターナショナル』という名称が採択されたのは、翌1962年9月のことだった
日付と暦
- 原典表記
- 1961年5月28日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1961-05-28(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 5月28日のページ
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概要
1961年5月28日(日曜日)、英国の法律家ピーター・ベネンソンが執筆した論説「忘れられた囚人(The Forgotten Prisoners)」が、英紙オブザーバーのウィークエンド・レビュー面に全面記事として掲載された[SRC-02290][SRC-02292]。この論説は、政治的・宗教的信条を理由に投獄された人々を「良心の囚人(Prisoners of Conscience)」と名付けて定義し、彼らの境遇を世界に知らせる運動「アピール・フォー・アムネスティ、1961(Appeal for Amnesty, 1961)」の発足を告知するものだった[SRC-02290][SRC-02292]。この論説は各国の新聞に転載されて大きな反響を呼び、運動はやがて国を超えた恒久的な組織へと育っていく[SRC-02290]。ただし、この運動が正式に「アムネスティ・インターナショナル」という名称を採択したのは、論説掲載から1年4か月近くが経った1962年9月、ベルギーで開かれた国際会議でのことであり、「論説の掲載」と「団体の設立・命名」は厳密には別の出来事である[SRC-02290]。
本文
ベネンソンが2人のポルトガル人学生が「自由への乾杯」をしたことを理由に禁錮刑を宣告されたという新聞記事を読んだことについて、大英図書館は論説執筆につながった契機として記し、アムネスティ・インターナショナル自身も創設の契機として紹介している[SRC-02291][SRC-02293]。もっとも、この経緯をベネンソン自身がいつ読んだかについては、本人の証言の間でも日付が一致しない。学術研究(Buchanan, 2002)によれば、ベネンソンは1983年の回想録で1960年11月19日に地下鉄の車内で『デイリー・テレグラフ』紙を読んだと述べる一方、1962年3月のBBCラジオ放送では同じ出来事の日付を12月19日としており、この学生たちの氏名も、論説やアピール発足時に公表された囚人の一覧には一度も登場しない[SRC-02290]。
ベネンソンは、弁護士ルイ・ブロム=クーパーやクエーカー教徒のエリック・ベイカーら、志を同じくする法律家・知識人のグループを結集した[SRC-02290]。ベネンソンとベイカーの往復書簡では、1961年1月ごろから作業名として「アムネスティ」の語が現れ始め、アピールの目的についての定義の検討は同年4月の書簡まで続いた。ベイカーの提案により「良心の囚人」という語が採用された[SRC-02290]。運動の作業名は当初「アーミスティス(Armistice=休戦)」だったが、英国在郷軍人会(British Legion)の反感を買うことを懸念して「アムネスティ」に改められた[SRC-02290]。1961年1月13日付のベネンソンからベイカーへの書簡では、アピールを「アーミスティスの着想に結びつける」ため11月11日(休戦記念日)に開始する計画が記されているが[SRC-02290]、実際の発足は5月28日となった。運動の到達点としては、世界人権宣言の採択記念日である12月10日が、協力者ピーター・アーチャーの提案により選ばれた[SRC-02290]。
論説は、国連加盟国が採択した世界人権宣言の第18条(思想・良心・宗教の自由)と第19条(意見・表現の自由)を引用した上で、「良心の囚人」を「投獄その他の方法で身体的に拘束され、言葉や象徴のいかなる形であれ、人に対する暴力を唱道も容認もしない、誠実に抱いている意見の表明を妨げられているすべての者」と定義した[SRC-02292]。あわせて、1961年10月にペンギン社から『Persecution 1961』という書籍を刊行し、9名の「良心の囚人」の事例(アンゴラの詩人アゴスティーノ・ネト〔原文表記 "Agostino Neto"〕、ルーマニアの哲学者コンスタンティン・ノイカ、スペインの弁護士アントニオ・アマトらを含む)を紹介する計画を予告した[SRC-02290][SRC-02292]。
論説の掲載から数週間のうちに、複数の国の代表によるルクセンブルクでの小規模な会合が開かれ、国別セクションからなる恒久的な国際任意団体となる可能性があることが明らかになった[SRC-02290]。大英図書館は、1961年7月を指して「アムネスティ・インターナショナルは誕生した」と記している[SRC-02291]。さらに1962年9月、ベルギーでより本格的な第2回国際会議が開かれ、そこで「アムネスティ・インターナショナル」という名称が正式に採択され、規約が議論された[SRC-02290]。それ以前の団体名は「AMNESTY(International Movement for Freedom of Opinion and Religion)」であり、これは団体の第1回年次報告書が発行された際の名称だった[SRC-02290]。
歴史的背景
ベネンソンは1958年にカトリックへ改宗し、1959年には後にセリアック病と判明する疾患を患った(当時は熱帯性スプルーと誤診されていた)。弁護士業務を離れ、1960年にはイタリアで長期の療養期間(シチリア島での少なくとも1か月を含む)を過ごした[SRC-02290]。彼は戦前から人権問題に関心を持ち、1930年代末にはナチス・ドイツからのユダヤ系難民の子どもの救出に協力し、1947年には労働組合会議(TUC)の依頼でスペインの政治裁判を傍聴し、1950年代にも同様の訪問を重ね、1956年には政治的立場を問わず公正な裁判を求める団体「ジャスティス」を自ら設立した[SRC-02290]。この「政治的立場を問わず」という発想は、のちのアムネスティの運動方針につながったとされる[SRC-02290]。
一方で、1950年代末の英国左派では、スペイン・ポルトガル・ギリシャなど右派独裁体制下の政治犯に対する恩赦(amnesty)を求める運動がすでに存在しており、1959年には英国共産党系の「スペイン政治犯への恩赦アピール」が立ち上げられ、1961年3月にはパリで60名以上の英国代表が参加する国際会議も開かれていた[SRC-02290]。学術研究は、論説掲載後にオブザーバー紙へ寄せられた、名称がこの既存運動と紛らわしいという同時代の苦情の書簡と、ベネンソン自身が論説で「従来の恩赦運動」が抱えた問題の克服をうたっていたことから、創設者らがこの既存の運動を認識していたとする見方の両方を紹介しており、この既存の運動は、ベネンソンの運動と並行しつつも異なる政治的立場から出発した別の潮流だったと位置づけている[SRC-02290]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1960年11月19日(ベネンソンの1983年の回想)または同年12月19日(ベネンソン自身の1962年のラジオ放送での発言。グレゴリオ暦) | ベネンソンが、ポルトガル人学生の逮捕を報じる記事に接したとされる(本人の証言間で日付が一致しない) | [SRC-02290] |
| 1961年1月13日(グレゴリオ暦) | ベネンソンが書簡でベイカーに、アピールを「アーミスティスの着想に結びつける」ため11月11日(休戦記念日)に開始する計画を伝える | [SRC-02290] |
| 1961年5月28日(日曜日・グレゴリオ暦。本記事の主題) | 論説「忘れられた囚人」がオブザーバー紙のウィークエンド・レビュー面に掲載され、「アピール・フォー・アムネスティ、1961」が発足 | [SRC-02290][SRC-02292] |
| 1961年7月(グレゴリオ暦) | 大英図書館は、この月を指して「アムネスティ・インターナショナルは誕生した」と記す | [SRC-02291] |
| 1961年10月(グレゴリオ暦) | 9名の「良心の囚人」の事例を収めた『Persecution 1961』がペンギン社から刊行される | [SRC-02290][SRC-02292] |
| 1962年9月(グレゴリオ暦) | ベルギーでの国際会議で「アムネスティ・インターナショナル」の名称が正式に採択される | [SRC-02290] |
異説・論争定説のない論点があります
(複数説がある事項を説ごとに出典付きで併記。「確認された異説: なし」の場合は調査範囲を明記)
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 「アムネスティ・インターナショナル」の『誕生』はいつか | (a) 1961年5月28日の論説掲載日をもって団体が「誕生」したとする単純化された説明 | アムネスティ・インターナショナル英国支部の公式サイトは、1961年5月28日を「アムネスティ・インターナショナルが誕生」した日と明記する[SRC-02293] | 団体自身による自己紹介(当事者性あり) |
| 同上 | (b) 5月28日の論説掲載(アピールの発足)と1962年9月の名称の正式採択を、異なる段階として区別する説 | 学術研究(Buchanan, 2002)は「アムネスティ・インターナショナル」の名称が正式に採択されたのは1962年9月のベルギーでの国際会議だったと明記する[SRC-02290]。大英図書館は、名称採択の時期には立ち入らず、1961年7月を「アムネスティ・インターナショナルの誕生」の月とする、単一時点の第3の書き方を示す[SRC-02291] | 一次史料(アムネスティ国際事務局のアーカイブ)に基づく独立した学術研究が、5月28日のアピール発足と1962年9月の名称採択という複数の段階を区別している。著者はこれを「既存の文献すべてに何らかの形で見られる標準的な説明」として紹介しており、自身の新しい知見だとは位置づけていない。大英図書館はこれとは別の第3の時点(1961年7月)を示すのみで、段階の区別は行っていない |
| ポルトガル人学生の逮捕の逸話は、史実として確認できるか | (a) 本人・団体の説明どおり、実際にあった出来事として紹介する説 | 大英図書館・アムネスティ自身の説明は、この逸話をそのまま創設の契機として紹介する[SRC-02291][SRC-02293] | 団体の公式な創設物語として広く流布している |
| 同上 | (b) 学術的には未確認とする説 | Buchanan (2002) は、1960年11月・12月の『デイリー・テレグラフ』紙にこの逸話を裏付ける記事を発見できず、この逸話についての最初の文書化された言及は1962年の記録(1962年3月のBBCラジオ放送など)であり、そのBBC放送でベネンソン自身が地下鉄で読んだ日を11月ではなく12月としていること、学生の氏名が一度も公表されていないことを指摘し、逸話を含むベネンソン自身の説明の一部は「必ずしも史学的な精査に耐えない」としている。他方、著者は1960年11月にベネンソンが何らかの「啓示」を経験したこと自体は認めている[SRC-02290] | 査読を経た学術研究による史料批判。著者は、団体のその後の歴史叙述がこの「公式説」を無批判に継承してきたと指摘する |
関連する出来事
- 1961年10月、論説が予告した書籍『Persecution 1961』がペンギン社から刊行された[SRC-02290][SRC-02292]。
- 1962年9月、ベルギーでの国際会議で団体名「アムネスティ・インターナショナル」が正式に採択された[SRC-02290]。
- アムネスティ・インターナショナルは、1977年にノーベル平和賞を受賞した[SRC-02290]。
関連人物
- ピーター・ベネンソン(Peter Benenson、べねんそん) 英国の法律家。論説「忘れられた囚人」の執筆者であり、「アピール・フォー・アムネスティ、1961」の発起人[SRC-02290][SRC-02291]。
- エリック・ベイカー(Eric Baker、べいかー) クエーカー教徒。ベネンソンとの往復書簡を通じて協働者となり、その提案により「良心の囚人」という語が採用された[SRC-02290][SRC-02291]。
歴史的意義
この論説が提示した「良心の囚人」という概念と、暴力を扇動・容認しない限りあらゆる政治的立場の被拘束者を等しく取り上げるという方針は、冷戦下で東西いずれかの陣営に肩入れしがちだった既存の政治犯支援運動とは一線を画すものだった[SRC-02290]。運動はその後、国別セクションを持つ国際組織へと発展し、1962年9月に「アムネスティ・インターナショナル」の名称を得た[SRC-02290]。なお、大英図書館の記述によれば、創設者ベネンソン自身は、1966年までに団体が危機に陥るなかで、英国の情報機関が組織に浸透しているとの疑念を抱き、1967年に団体を去ったとされる。これはベネンソン本人の見解として紹介されているものであり、本記事はその真偽を判定しない[SRC-02291]。
現代の視点
1961年の論説一本から始まった運動は、その後数十年にわたり国際的な人権擁護団体として活動を続け、1977年にはノーベル平和賞を受賞した[SRC-02290]。本稿の整理として付言すれば、同時代の多くの政治犯支援運動が特定の政治的立場に結びついていたのに対し(歴史的背景の節を参照)、この論説が打ち出した「どの政治的立場の被拘束者も同じ基準で取り上げる」という方法論は、当時としては新しい発想だったと言える。これは本稿による解釈であり、団体の現在の活動内容そのものについての評価には立ち入らない。
出典一覧
- [SRC-02290] 'The Truth Will Set You Free': The Making of Amnesty International/Journal of Contemporary History, Vol. 37, No. 4 (Oct., 2002), pp. 575-597(Sage Publications/査読誌。本レコードの取得URLはウォーリック大学歴史学部が講読会向けに公開するPDF再録。正規書誌: JSTOR stable URL https://www.jstor.org/stable/3180761)(ランクA)
- [SRC-02291] Peter Benenson – defender of the forgotten prisoners(Untold Lives ブログ)/大英図書館(The British Library)(ランクA)
- [SRC-02292] The Forgotten Prisoners(オブザーバー紙1961年5月28日掲載記事の、ガーディアン/オブザーバー・アーカイブによる再録・抄録版)/The Observer(The Guardian傘下のアーカイブとして再録。原紙面は2025年4月21日までThe Observerが発行し、以後はTortoise Mediaが運営を引き継いだ旨の注記あり)(ランクA)
- [SRC-02293] Amnesty International UK公式サイト「History」(団体の沿革ページ)/Amnesty International UK(アムネスティ・インターナショナル英国支部)(ランクB)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-07 | — |
| 2 | 2026-10-07 | あり |
| 3 | 2026-10-07 | あり |
| 4 | 2026-10-07 | なし |
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