1927年世界 20世紀
1927年5月21日、チャールズ・リンドバーグがニューヨーク—パリ間を単独・無着陸で飛行してパリ近郊のル・ブルジェ飛行場に到着した——大西洋の無着陸横断自体は1919年のアルコックとブラウンに、大西洋横断自体は同年のNC-4に先例がある
日付と暦
- 原典表記
- 1927年5月21日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1927-05-21(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 5月21日のページ
暦の注記: この出来事はグレゴリオ暦の1927年5月21日に起きた[SRC-02234][SRC-02235]。1927年当時のアメリカ・フランスはいずれもグレゴリオ暦を用いていたため、暦法上の換算は不要である。本記事は出発(1927年5月20日・ニューヨーク近郊のルーズベルト飛行場)と到着(同5月21日・パリ近郊ル・ブルジェ飛行場)の二日付構造を持ち、本サイトでは到着日である 05-21 のページに掲載している。到着時刻についてFAIは「5月21日土曜日午後10時22分」と記すが、タイムゾーンの指定はなく本記事はこれを独自に換算しない[SRC-02234]。
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概要
1927年5月20日早朝、チャールズ・A・リンドバーグは、ニューヨーク近郊のルーズベルト飛行場から単発単葉機「スピリット・オブ・セントルイス」号で単独で出発した[SRC-02234][SRC-02235]。33時間30分の飛行を経て、翌21日、パリ近郊のル・ブルジェ飛行場に着陸した[SRC-02234][SRC-02235]。国際航空連盟(FAI)はこの飛行を「ニューヨークからパリへ単独で飛行した最初の操縦者」と記し、スミソニアン国立航空宇宙博物館は「大西洋を渡る単独・無着陸の飛行として史上初」と位置づけている[SRC-02234][SRC-02235]。ただし、大西洋そのものの無着陸横断には1919年のジョン・アルコックとアーサー・ブラウンによる先例があり(単独ではない2名搭乗)、大西洋横断そのものにも同年のNC-4による先例がある(複数回の着水を伴う5区間飛行)[SRC-02237][SRC-02236]。本記事は、出典が明記する限定句の範囲を超えずに「史上初」を記述する。
本文
1927年2月、リンドバーグはサンディエゴのライアン・エアラインズ社に飛行機を発注した。これは、1919年にレイモンド・オルティーグが提示した、ニューヨーク市とパリ間の最初の無着陸飛行に対する25,000ドルの賞金への挑戦のためだった[SRC-02235]。機体は標準型のライアンM-2をもとに、主任設計者ドナルド・A・ホールのもとで開発され、翼幅を10フィート延長し、燃料搭載量の増加に対応するため胴体・翼の構造材を再設計する改造が加えられた[SRC-02235]。前方視界を遮る位置に燃料タンクを置く設計のため、操縦士は前方をペリスコープ越しか機体を傾けて側面窓から見る必要があった[SRC-02235]。
1927年4月末に機体が完成し、登録番号N-X-211を付けて銀色に塗装された。リンドバーグは試験飛行を重ねた後、5月10〜12日にサンディエゴからニューヨークまで(セントルイスで1回の中継のみ)を飛行し、21時間40分という大陸横断の新記録を作った[SRC-02235]。
ニューヨークで好天を待った後、リンドバーグは1927年5月20日朝、ルーズベルト飛行場から単独でパリへ向けて出発した[SRC-02234][SRC-02235]。FAIの記録によれば、機体には1,704リットルの燃料が積まれ、離陸直後には飛行場端の電話線をわずか6メートルの余裕でかわしたという[SRC-02234]。飛行中は、嵐の雲を避けるため高度3,000メートルまで上昇する一方、波頭をかすめる高度3メートルまで降下する場面もあり、数時間にわたり視界のきかない濃霧の中を飛行したとFAIは記している[SRC-02234]。航法はコンパス・星・推測航法のみによるものだった[SRC-02234]。
33時間30分、FAIの記録では5,809km(スミソニアンの記録では3,610マイル)の飛行を経て、リンドバーグは1927年5月21日、パリ近郊ル・ブルジェ飛行場に着陸した[SRC-02234][SRC-02235]。FAIは出迎えた群衆を15万人と記し、スミソニアンは10万人と記している(出典間で数値に差がある)[SRC-02234][SRC-02235]。この飛行により、リンドバーグは一夜にして国際的な有名人となり、フランスのレジオンドヌール勲章、アメリカの殊勲飛行十字章を受けた[SRC-02234]。FAIはこの飛行を正式な世界記録(直線距離・無着陸)として批准した[SRC-02234]。
歴史的背景
ニューヨーク—パリ間の無着陸飛行という目標は、1919年にレイモンド・オルティーグが提示した25,000ドルの賞金によって生まれた[SRC-02235]。同じ1919年には、大西洋を越える飛行そのものに関して2つの先例があった。ひとつは、米海軍のカーチス飛行艇3機(NC-1・NC-3・NC-4)が5月にニューヨークを出発し、ノバスコシア・ニューファンドランド・アゾレス諸島・リスボンを経てポーツマスへ向かった5区間の飛行であり、NC-4(乗員6名、指揮官アルバート・C・リード)のみが全行程を完遂した。複数回の着水を伴う飛行であり、総所要日数は24日だった[SRC-02236]。もうひとつは、同年6月にジョン・アルコックとアーサー・ブラウンが、改造ヴィッカース・ヴィミー機でニューファンドランドからアイルランドまで16時間強で大西洋を無着陸横断し、6月15日早朝にアイルランドへ着陸した飛行であり、デイリー・メール紙が提示した1万ポンドの懸賞(最初の大西洋無着陸横断が条件)の条件を最初に満たした。ただしこれは操縦士と航法士の2名が搭乗した飛行であり、単独ではない[SRC-02237]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1919年(グレゴリオ暦) | ニューヨーク市とパリ間の最初の無着陸飛行に25,000ドルの賞金が提示される(オルティーグ賞) | [SRC-02235] |
| 1919年5月8日〜(グレゴリオ暦、総所要24日) | 米海軍のNC-4が複数区間・着水を経て大西洋横断飛行を完遂(単独でも無着陸でもない) | [SRC-02236] |
| 1919年6月(グレゴリオ暦、15日早朝アイルランドへ着陸) | アルコックとブラウンが大西洋を無着陸横断(ニューファンドランド→アイルランド、2名搭乗) | [SRC-02237] |
| 1927年5月20日(グレゴリオ暦) | リンドバーグがニューヨーク・ルーズベルト飛行場を単独で出発 | [SRC-02234][SRC-02235] |
| 1927年5月21日(グレゴリオ暦) | パリ近郊ル・ブルジェ飛行場に着陸 | [SRC-02234][SRC-02235] |
異説・論争定説のない論点があります
(調査の結果、学説上の対立は確認されなかった。ただし出典間で数値表記・単位表記に相違があり、以下に併記する。調査範囲: FAI公式プロフィールページ・スミソニアン国立航空宇宙博物館収蔵品ページの2系統。これに加え、同時代報道1件〔The Sunday Star、1927年5月22日付〕に到達し、数値の相違を参考として併記する)
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 出迎えた群衆の規模 | 15万人 | [SRC-02234](FAI) | 2つの専門機関の公式記述が独立に異なる数値を示しており、どちらかが誤りと確定する根拠はない。本記事は両方を出典別に併記する |
| 出迎えた群衆の規模 | 10万人 | [SRC-02235](スミソニアン国立航空宇宙博物館) | 同上 |
| 飛行距離の単位表記 | 5,809km | [SRC-02234](FAI) | FAIはkm、スミソニアンはマイルで記録しており、本記事は出典の単位表記のまま示し、独自換算はしない |
| 飛行距離の単位表記 | 3,610マイル | [SRC-02235](スミソニアン国立航空宇宙博物館) | 同上 |
| 到着時刻のタイムゾーン | 出典に明記がない | [SRC-02234](FAI「午後10時22分」) | FAIの記述はタイムゾーン(現地時刻かGMTか)を明示していないため、本記事はどちらかに断定せず「指定はない」とのみ記す |
| 飛行時間・群衆規模(同時代報道との比較) | 飛行時間「33時間29分」・群衆「ほぼ10万人」 | [SRC-02238](The Sunday Star、1927年5月22日付、パリからの電送記事) | FAI・スミソニアンの値(33時間30分・15万人/10万人)とは分単位・概数の差があるが、同時代の報道として独立に併記し、本記事はいずれの精度が正しいかを判定しない |
関連する出来事
- オルティーグ賞(1919年提示)が、ニューヨーク—パリ間の無着陸飛行という目標そのものを生んだ[SRC-02235]。
- 1919年のNC-4による大西洋横断(複数区間・着水を伴う)は、大西洋を渡った最初の飛行だが、無着陸でも単独でもない[SRC-02236]。
- 1919年のアルコックとブラウンによる大西洋無着陸横断(ニューファンドランド→アイルランド)は、無着陸横断としての最初の飛行だが、単独ではない[SRC-02237]。
関連人物
- チャールズ・A・リンドバーグ(Charles A. Lindbergh): この飛行にただ一人搭乗した操縦者[SRC-02234][SRC-02235]。1902年2月4日生まれ、1974年8月26日死去[SRC-02234]。
歴史的意義
スミソニアン国立航空宇宙博物館は、クーリッジ大統領の「我々の平和と善意の使者は、時間と空間のもうひとつの壁を打ち破った」という発言を引用しつつ、1969年のアポロ11号の月着陸まで、世界がこれほど熱狂したアビエーション関連の出来事は他になかったと位置づけている[SRC-02235]。同館はまた、この飛行が商業航空の発展への道筋を加速させたと記している[SRC-02235]。
出典一覧
- [SRC-02234] Charles A. Lindbergh (Athletes profile)/Fédération Aéronautique Internationale(FAI・国際航空連盟)(ランクA)
- [SRC-02235] Ryan NYP Spirit of St. Louis (Collection Object)/Smithsonian National Air and Space Museum(スミソニアン国立航空宇宙博物館)(ランクA)
- [SRC-02236] Curtiss Flying Boat, NC-4/Smithsonian National Air and Space Museum「Pioneers of Flight」(ランクA)
- [SRC-02237] Royal Aero Club Gold Medallion awarded to Sir Arthur Whitten Brown (Collection Object)/Royal Air Force Museum(英国空軍博物館)(ランクA)
- [SRC-02238] Paris Wildly Acclaims Lindbergh (The Sunday Star, May 22, 1927, p.1)/The Sunday Star(ワシントンD.C.の新聞。Edwin L. James署名、The Star and New York Timesへの電送記事)— 米国議会図書館 Chronicling America(Library of Congress)経由のデジタル化版(ランクB)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-07 | — |
| 2 | 2026-10-07 | あり |
| 3 | 2026-10-07 | あり |
| 4 | 2026-10-07 | なし |
訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。