1675年世界 17世紀

イングランド国王チャールズ2世は1675年6月22日、グリニッジに天文台を建てるよう命じた——その費用は、古く傷んだ火薬を売った代金でまかなうことになっていた

日付と暦

原典表記
1675年6月22日(ユリウス暦)
換算
1675-06-22(ユリウス暦)
掲載日
6月22日のページ

暦の注記: この出来事は当時のイングランドで用いられていたユリウス暦の1675年6月22日に起きた(ユリウス暦換算: 1675-06-22)[SRC-02087]。イングランドは大陸諸国が1582年にグレゴリオ暦へ改暦した後も、1752年9月14日まで旧暦(ユリウス暦)を用い続けた。本記事の対象日付はグレゴリオ暦導入後だが、当時イングランドで実際に用いられていた暦はユリウス暦であるため、原典暦・換算暦の双方にユリウス暦を採用する恒等変換である。本サイトでは06-22のページに掲載している。換算値は勅許状原文自身の日付表記による[SRC-02087]。

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概要

1675年6月22日、イングランド国王チャールズ2世は、ホワイトホールの宮廷で一通の勅許状を発した[SRC-02087]。グリニッジの王室公園内、かつて城があった場所の付近の最も高い地に、小さな天文台を建てよという命令だった[SRC-02087]。目的は「諸地点の経度を見出し、航海術と天文学を完成させること」だった[SRC-02087]。この命令が王立グリニッジ天文台の設立につながり、350年を経た今もその敷地は世界有数の重要な科学の拠点として残る[SRC-02086]。

本文

勅許状は設計を、「our surveyor-general of the place and scite of the said observatory(当該天文台の敷地の監督官)」と記されたクリストファー・レンの図面に委ね、助手ロバート・フックが協力した[SRC-02086][SRC-02087]。レンはかつてオックスフォード大学の天文学教授であり、後にセント・ポール大聖堂の設計者として名を知られることになる人物だった[SRC-02086]。建設地には、王室の所有地であり、廃墟となっていた旧グリニッジ城の土台を再利用できる高台が選ばれた[SRC-02086]。

費用の出し方も勅許状に明記されていた。国王が以前の命令で売却を定めていた「古く劣化した火薬」の代金から支払い、総額は500ポンドを超えてはならないとされた[SRC-02087]。

この3か月半ほど前の同年3月4日、チャールズ2世はジョン・フラムスティードへの給与支払を定める勅許状を発した——当該勅許状は彼を「天文観測官」としてすでに任命済みの人物として記す[SRC-02088][SRC-02091]。天文台を運営するRoyal Museums Greenwichは、この3月4日をフラムスティードが「天文観測官」に任命された日と位置づけている[SRC-02086]。この職は後にAstronomer Royal(王室天文官)と呼ばれるようになり、フラムスティードがその初代となった[SRC-02086][SRC-02090]。国王はフラムスティードに、天球の運動表と恒星の位置を正確に修正し、航海術完成のために切望される経度を見出すことに専心するよう命じた[SRC-02090]。なお、この給与支払勅許状の原文は日付を「the 4th day of March, 1674-5」と二重年で記す[SRC-02091]。当時のイングランドは3月25日を新年の始まりとする慣行(旧年始)があり、現代の1月1日起算では1675年にあたる。

天文台の礎石は、1675年8月10日午後3時14分、フラムスティード自身の手で据えられた[SRC-02086]。1676年7月10日、フラムスティードはこの建物に移り住んだ[SRC-02086]。建物は初代居住者にちなみ、「フラムスティード・ハウス」と呼ばれるようになった[SRC-02086][SRC-02090]。

歴史的背景

17世紀のイギリスをはじめとする海洋国家にとって、船の位置を知ることは航海の安全を左右する問題だった。緯度は太陽や星の高さから比較的容易に求められたが、経度を正確に知る方法はまだ確立していなかった[SRC-02086]。Royal Museums Greenwichによれば、チャールズ2世は国内の有力な科学者の一部から、イギリスが他の海洋国家と競っていくには国立の天文台が必要だと説かれていたという[SRC-02086]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1675年3月4日(ユリウス暦) チャールズ2世がジョン・フラムスティードに関する勅許状を発する(性格の記述は資料により任命・職創設・給与手当と異なる。本文・異説欄参照) [SRC-02086][SRC-02089]
1675年6月22日(ユリウス暦) チャールズ2世がグリニッジ天文台の建設を命じる勅許状を発する(本記事の主題) [SRC-02086][SRC-02087][SRC-02089]
1675年8月10日(ユリウス暦) フラムスティードが天文台の礎石を据える(午後3時14分) [SRC-02086]
1676年7月10日(ユリウス暦) フラムスティードが天文台(フラムスティード・ハウス)に入居 [SRC-02086]
異説・論争定説のない論点があります

王立グリニッジ天文台の「設立」をどの勅許状に帰属させるか、また1675年3月4日に発せられた文書の性格をどう捉えるかについて、資料によって記述が異なる。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
天文台の「設立」はどの勅許状によるか 説1: 1675年6月22日の建設命令勅許状をもって設立とする(他の勅許状との帰属論点自体には触れていない) 天文台を運営するRoyal Museums Greenwichは、この命令が「1675年の王立天文台の設立につながった」と明記する[SRC-02086] 天文台を運営する機関自身による位置づけ
同上 説2: 1675年3月4日と同年6月22日の両方の勅許状をもって設立とする 王立天文台の歴史を専門に扱うサイト(royalobservatorygreenwich.org)は「王立天文台は、チャールズ2世の名で発せられた2つの勅許状にその設立を由来する」と明記する[SRC-02088] 設立を2文書に帰属させる立場として説1と対比される
1675年3月4日の文書の性格 説A: フラムスティードを天文観測官に任命する行為そのものの日とする Royal Museums Greenwichは「On 4 March 1675 Charles appointed John Flamsteed as his 'astronomical observator'」と明記する[SRC-02086]。19世紀の一次史料翻刻(Francis Baily, 1835)の序文も、同じ3月4日をフラムスティードが「Astronomer Royal」に任命された日と記す[SRC-02091] 天文台を運営する機関自身による位置づけ。ただしroyalobservatorygreenwich.org内の別ページ(SRC-02088)はこの理解を明示的に否定する(本節末尾の注参照)
同上 説B: Astronomer Royal職を創設する勅許状とする Flamsteed Astronomy Society発表資料は「issued a Royal Warrant, creating the position of Astronomer Royal」と記す[SRC-02089] 特定の学界的な位置づけは確認できない。royalobservatorygreenwich.org内の別ページ(SRC-02088)は、職の創設という性格づけ自体を否定する(本節末尾の注参照)
同上 説C: フラムスティードへの給与支払を取り決める勅許状であり、任命はすでに行われていたとする royalobservatorygreenwich.orgは「set out the arrangements for the payment of John Flamsteed who had been appointed」と記す[SRC-02088]。19世紀の一次史料翻刻(Francis Baily, 1835)の勅許状本文(付録No.5)も、標題を「Warrant for the payment of Mr. Flamsteed's Salary」(OCR由来の綴り崩れを正した読み)とし、本文で「we have appointed」(すでに任命した)と記す[SRC-02091]——ただし同書の序文は説Aと同じ立場を取る(本節末尾の注参照) 勅許状原文の翻刻に基づく整理

いずれの説も、6月22日の建設命令勅許状が実在すること自体については一致している。対立するのは、(1) 「設立」をどちらの(あるいは両方の)勅許状に帰属させるかという呼称・位置づけの水準、(2) 3月4日の文書が任命そのものを行ったのか、職の創設を行ったのか、それとも既了の任命を前提とする給与文書なのか、という文書の性格づけの水準という、2つの異なる論点である。本サイトは6月22日の建設命令を本記事の主題として扱うが、これは説1の立場を断定的に採用するものではなく、「建設を命じた」という行為そのものに記事の対象を絞ったことによる(タイトル・概要参照)。3月4日の文書については、本記事は説Cの一次史料翻刻に基づく記述を本文で採用する。

論点(2)についてはさらに、登録出典間に次の割れがある。royalobservatorygreenwich.orgの別ページ(SRC-02088)は「Although Flamsteed is regarded as the first Astronomer Royal, he was not appointed as such. He was appointed instead as 'Our Astronomical Observator'. The popular conception is that Flamsteed was appointed by the Royal Warrant of 4 March 1675. He was not. By the time the warrant was issued, he had already been appointed and the warrant simply set out the terms under which his salary was to be paid.」と記し、フラムスティードが1675年3月4日の勅許状によって任命されたという通説(説Aが述べる理解)を「popular conception」と呼んで明示的に否定し("He was not.")、Astronomer Royalという職の創設(説Bが前提とする性格づけ)についても「he was not appointed as such」と否定する。他方、説Cの根拠であるBaily 1835翻刻(SRC-02091)自身も一枚岩ではない——付録No.5の勅許状本文は任命を既了として記すのみだが、同書の序文は「Flamsteed was, through his interest, appointed Astronomer Royal, on March 4, 1674-5*.」と述べ、説Aと同じ立場を取る。本サイトは、この対立を一方の正しさの確定としてではなく、登録出典間で解釈が分かれている論争として開示する。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

天文台を運営するRoyal Museums Greenwichは、グリニッジ天文台を「イギリス最古の目的建築の科学機関」であり「近代天文学の発祥地」、グリニッジ平均時と本初子午線の本拠地と位置づけている[SRC-02086]。同機関は、この天文台が経度問題の解決を目指して設立されたと記す[SRC-02086]。

現代の視点

現代ではGPSなど全く異なる技術で経度を測るが、350年前の勅許状が目的を「諸地点の経度を見出すこと」と明記していたことを思えば、現代の衛星航法にもつながる探求は、すでにこの日に始まっていたと言えるかもしれない(本稿の見立て)。

出典一覧

  1. [SRC-02086] History of the Royal Observatory | Royal Museums Greenwich/Royal Museums Greenwich(ランクA)
  2. [SRC-02087] Text of the Warrant for building the Observatory/The Royal Observatory Greenwich (royalobservatorygreenwich.org)(ランクC)
  3. [SRC-02088] Royal Warrants | The Royal Observatory Greenwich/The Royal Observatory Greenwich (royalobservatorygreenwich.org)(ランクC)
  4. [SRC-02089] History of the Royal Observatory Greenwich (presentation slides, PDF)/British Astronomical Association(掲載) / Mike Meynell, Flamsteed Astronomy Society(発表者)(ランクC)
  5. [SRC-02090] Royal Observatory History: a research guide | Royal Museums Greenwich/Royal Museums Greenwich(ランクA)
  6. [SRC-02091] An account of the Revd. John Flamsteed, the first astronomer-royal; compiled from his own manuscripts, and other authentic documents, never before published/Francis Baily(著者。1835年刊。Internet Archive経由でGoogleがデジタル化した版を全文公開)(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-03—
22026-10-03あり
32026-10-03あり
42026-10-03あり
52026-10-03なし

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