1673年世界 17世紀

モリエールは、『病は気から』第4回公演の日に死去した——近接時代の記録は『帰宅後』で一致するが、現代の紹介は『舞台上で倒れた』と伝える

日付と暦

原典表記
1673年2月17日(グレゴリオ暦)
換算
1673-02-17(グレゴリオ暦)
掲載日
2月17日のページ

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概要

1673年2月17日、フランスの劇作家・俳優モリエール(本名ジャン=バティスト・ポクラン)は、自作の戯曲『病は気から』の第4回公演の日に、パリのリシュリュー通りの自宅で死去した[SRC-01474][SRC-01476][SRC-01477]。彼はこの芝居で主役(題名役)を演じていた[SRC-01473][SRC-01477]。「上演中に倒れ、その夜死去した」という筋書き自体は広く知られているが、死去に近い時期に記された記録(同僚俳優ラ・グランジュ自身の台帳・1682年版序文・グリマレの伝記)は「演じ終えて帰宅したのちに容体が急変した」という点でおおむね一致しており、「舞台上で倒れた」という描写はComédie-Française公式サイトやBritannicaなど現代の紹介記事に由来する[SRC-01474][SRC-01475][SRC-01477][SRC-01478][SRC-01479]。さらに、モリエールは当時の慣行により俳優として教会からの埋葬を一度は拒まれ、妻アルマンド・ベジャール[SRC-01473](パリ大司教への請願書では「エリザベート=クレール=グラサンド・ベジャール」と記載[SRC-01476])の請願とパリ大司教の許可を経て、夜間に簡素な形で埋葬された[SRC-01476]。本稿は、これらの経緯を史料ごとに区別して整理する。

本文

『病は気から』は、モリエールが手がけた最後の戯曲で[SRC-01478]、音楽はマルク=アントワーヌ・シャルパンティエが担当した[SRC-01474]。1673年2月10日に初演され[SRC-01474][SRC-01477]、モリエール自身が主役(題名役)を演じた[SRC-01473][SRC-01477]。2月17日は、初演から数えて4回目の公演の日にあたる。この日付は、Comédie-Française公式サイトの略歴・年表の双方[SRC-01473][SRC-01474]、モリエールの同僚俳優ラ・グランジュ自身の興行台帳(初演からの上演日が2月10日・12日・14日・17日と続く記載)[SRC-01477]、そして死去の9年後(1682年)に刊行された『モリエール全集』の序文[SRC-01478]という独立した複数の記録で一致する。ただし、モリエールに関する最初の伝記(死去の32年後、1705年刊)を著したグリマレのみは、これを「第3回公演」の日と記している[SRC-01479]。

その日、モリエールは持病の胸の炎症にひどく苦しみながら役を演じたと、複数の記録が伝える[SRC-01477][SRC-01478][SRC-01479]。グリマレの伝記は、劇中の『儀式』の場で「Juro(誓う)」と発声する際に痙攣が起き、モリエールは無理に笑ってこれを隠し、演じ終えたと記す[SRC-01479]。他方、Comédie-Française公式サイトの年表は「舞台上で発作(malaise)に襲われ」たと記し[SRC-01474]、英語圏の百科事典(Encyclopaedia Britannica)も「舞台上で倒れ、家へ運ばれて死去した」と記す[SRC-01475]。これに対し、モリエールと同座のラ・グランジュ自身の台帳は「芝居のあと」に死去したと記し、上演時の体調(風邪と胸の炎症によるひどい咳)には触れているものの、舞台上で生じた発症・転倒といった事案そのものへの言及はない[SRC-01477]。致命的な出血(血管の破裂)がどこで起きたかについては、次節「異説・論争」で史料ごとに整理する。

歴史的背景

モリエールは、数年来、胸の慢性的な炎症・激しい咳に悩まされていたと伝えられる[SRC-01478][SRC-01479]。当時のフランスでは、俳優という職業はカトリック教会から公然と職業として認められておらず、死の床で信仰を証し(改悛・告解)を行わない限り、教会による埋葬(聖別された墓地への埋葬)を拒まれる慣行があった[SRC-01476]。モリエールは死去に際し司祭を求めたが、教区(サン・ウスタッシュ)の在俗司祭2名が来訪を拒み、3人目が駆けつけた時には既に息を引き取っていたため、告解の秘跡を受けられないまま死去した[SRC-01476]。この結果、教区の主任司祭は当初、教会による埋葬を拒否した(本サイトの整理。詳細は次節)。

タイムライン

日付(グレゴリオ暦) 出来事 出典
1673年2月10日 『病は気から』初演(モリエール自ら主役〔題名役〕を演じる) [SRC-01473][SRC-01474][SRC-01477]
1673年2月12日・14日 同演目の第2回・第3回公演 [SRC-01477]
1673年2月17日 第4回公演(グリマレの記述では『第3回』)。この日の夜、モリエールは自宅で死去した [SRC-01474][SRC-01476][SRC-01477][SRC-01478][SRC-01479]
1673年2月18日頃 妻アルマンド・ベジャールが、パリ大司教へ夫の教会葬を求める請願書を提出 [SRC-01476]
1673年2月20日 パリ大司教が、簡素な形式・夜間実施の条件付きで埋葬を許可 [SRC-01476]
1673年2月21日(火) モリエール、サン・ジョゼフ墓地に埋葬される [SRC-01476][SRC-01479]
異説・論争定説のない論点があります

「上演中に倒れ、その夜死去した」という広く知られた筋書きは、要素ごとに史料の詳しさ・具体性が異なり、単純に一つの場面へまとめることはできない。本稿が確認した6系統——死去に近い時期に記された4系統(パリ大司教文書〔1673年〕、ラ・グランジュ台帳〔1673年〕、1682年版序文〔1682年〕、グリマレの伝記〔1705年〕)と、現代の紹介2系統(Comédie-Française公式サイト2ページ、Encyclopaedia Britannica)——の間で、以下のとおり記述の粒度・具体性が異なる。

論点 各史料の記述 出典
上演回数 「第4回公演」 Comédie-Française公式サイト2ページ・ラ・グランジュ台帳の興行記録・1682年版序文の4系統が一致 [SRC-01473][SRC-01474][SRC-01477][SRC-01478]
上演回数 「第3回公演」 グリマレの伝記(1705年)のみがこう記す。単独の食い違い
上演中の出来事 「Juro」発声時に痙攣が起きたが、笑って隠し演じ終えた(出血への言及なし) グリマレの伝記
上演中の出来事 「舞台上で発作(malaise)に襲われ」た Comédie-Française公式サイト(年表ページ)
上演中の出来事 「舞台上で倒れ(collapsed onstage)」た Encyclopaedia Britannica
上演中の出来事 「終演に際し(à l'issue de)」死去した、とのみ記し上演中の出来事に触れない Comédie-Française公式サイト(略歴ページ)
上演中の出来事 「芝居のあと」死去したと記す。上演時の体調(風邪・胸の炎症によるひどい咳)には触れるが、舞台上で生じた発症・転倒の事案には言及しない ラ・グランジュ自身の台帳
致命的な出血の場所 帰宅後(劇場の外)で血管が破れた(舞台上での出血には言及なし) ラ・グランジュ台帳・1682年版序文・グリマレの伝記の3系統が一致
致命的な出血の場所 うち2系統はさらに「寝床に就いてから」と具体的に記す(ラ・グランジュ台帳には寝床への言及がなく、自宅で死去したことのみを記す) 1682年版序文・グリマレの伝記
致命的な出血の場所 「舞台上で倒れ、家へ運ばれて死去した(carried home to die)」という圧縮された記述 Encyclopaedia Britannica
死去までの時間 帰宅後、血管が破れてから「30分〜45分で死去」 ラ・グランジュ台帳
死去までの時間 気分が悪くなってから(夜9時頃)「約1時間後に死去」 パリ大司教への請願書(アルマンド・ベジャール)

同一運営主体(Comédie-Française)が公開する2ページの間でも、年表ページは「舞台上で発作」という踏み込んだ表現を用い、略歴ページはより婉曲な「終演に際し」という表現にとどめており、記述の具体性に差がある(R6-4)。本稿は、いずれの記述が舞台上での出来事の実態をより正確に伝えているかを独自に裁定せず、各史料の記述を出典ごとに併記した。ただし、致命的な出血が生じた場所については、死去に最も近い時期に記された独立した3系統(ラ・グランジュ自身の台帳・1682年版序文・グリマレの伝記)が「帰宅後(劇場の外)」という点で一致しており、うち2系統(1682年版序文・グリマレの伝記)はさらに「寝床に就いてから」と具体的に記す一方、ラ・グランジュ台帳には寝床への言及がなく自宅で死去したことのみが記される。この3系統に対し、より簡潔な記述であるBritannicaの圧縮表現が実質的にどこまで異なる主張をしているのかは、一文のみからは判断できない。

埋葬の実現に至る経緯についても、記述に差がある。Comédie-Française公式サイトの年表は「モリエール夫人が国王の介入を求め、ルイ14世自身の介入により埋葬が実現した」と記す[SRC-01474]。他方、本稿が確認したパリ大司教自身の許可文書(1673年2月20日付)は、大司教が「自らの命による調査」を経て許可を与えたとするのみで、国王への言及は一切ない[SRC-01476]。この点について、SRC-01476を編纂した20世紀の学術編纂者(フランス国立公文書館)自身は、死去の翌日から寡婦アルマンド・ベジャールが大司教への請願とあわせてヴェルサイユの国王へも埋葬の許しを嘆願しに行かねばならず、その結果、埋葬は俳優としてではなく国王付き寝室係としての身分に対して認められたのだと叙述している[SRC-01476]。この編纂者による叙述は、大司教許可文書そのもの(同時代の一次文書)ではなく、20世紀の学術編纂者による要約・評言である点に注意が必要である。グリマレの伝記は、モリエールの死去直後、俳優バロンが国王のもとへ赴き死去を知らせ、国王がこれに心を動かされたと記すが[SRC-01479]、これは死去の報告についての記述であり、埋葬許可そのものへの国王の関与を直接裏付けるものではない。本稿は、国王が何らかの形で影響を及ぼした可能性を否定はしないが、本稿が確認した同時代の一次文書の範囲では、埋葬許可の決定過程そのものを国王の介入によるものと直接記す記録には到達できなかった。

死の床に付き添った2人の修道女についても、その身元は確定していない。パリ大司教への請願書は「同じ家に住む2人の修道女」とのみ記し[SRC-01476]、グリマレの伝記は「四旬節にパリへ物乞いに訪れる修道女で、モリエールが宿を提供していた」と記す[SRC-01479]。フランス国立公文書館の学術編纂者自身は、この2人がアネシーの聖クララ修道会(クラリス会)に属していたとする伝承と、うち一人がモリエールの妹であった可能性があるとする仮説の両方を、いずれも「伝承」「仮説」と留保付きで紹介しており、断定していない[SRC-01476]。本稿もこれらを断定的事実としては採用しない。

関連する出来事

モリエールの死去ののち、王が彼の劇団(トゥループ・デュ・ロワ)を他の劇団と統合しようとする動きが生じ、1680年、パリの2つの劇団が統合されてComédie-Françaiseが創設された(本サイトの整理。詳細は本記事の射程外)[SRC-01477]。

関連人物

歴史的意義

モリエールは、フランス喜劇の書き手として同時代から高く評価されていた[SRC-01478]。彼の死は、劇団の主宰者であり中心俳優でもあった人物の突然の喪失として同時代人に衝撃を与え、また俳優という職業に対する教会の姿勢という当時の社会制度上の緊張を可視化する出来事ともなった(本サイトの整理)。この死去をめぐる劇的な逸話——上演中に倒れ、その夜のうちに息を引き取ったという筋書き——は、後世に広く語り継がれ、モリエールを含む演劇史上の象徴的な逸話の一つとなっている。もっとも本稿が示したとおり、その細部は近接時代の史料の間でも一致しておらず、後世の語りが史料の具体性を上回って単純化・劇化された可能性がある(本サイトの整理。いずれの記述が史実により近いかを断定するものではない)。

現代の視点

「役者が舞台の上でまさにその役を演じながら息を引き取った」という劇的な逸話は、語りやすさゆえに時代を経るごとに輪郭が明瞭になりやすい。本稿で示したとおり、死去に最も近い時期の記録(同僚俳優自身の台帳・数年後の序文)ほど、出血や死去の場面を劇場の外(帰宅後の自宅)に置いており、「舞台上で完結する死」という筋書きは、むしろ32年後の伝記や現代の簡潔な要約においてより明確な形を取っている(本サイトの整理)。これは、史料の年代・性質による記述の精度の違いを踏まえて読む必要があることを示す一例である。

出典一覧

  1. [SRC-01473] Molière | Comédie-Française — biographie officielle/Comédie-Française(ランクA)
  2. [SRC-01474] Chronologie | Comédie-Française — chronologie officielle/Comédie-Française(ランクA)
  3. [SRC-01475] Molière | French dramatist/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  4. [SRC-01476] Cent ans de recherches sur Molière, sur sa famille et sur les comédiens de sa troupe(Madeleine Jurgens, Elizabeth Maxfield-Miller, 1963)— Document CCLXXXI・CCLXXXII/Archives Nationales(フランス国立公文書館)(ランクS)
  5. [SRC-01477] Archives de la Comédie-française. Registre de La Grange (1658-1685), précédé d'une notice biographique(Comédie-Française刊、1876年)/Comédie-Française(発行)/ Internet Archive(デジタル化・公開)(ランクS)
  6. [SRC-01478] Œuvres de Molière. Nouvelle édition revue sur les plus anciennes impressions...(éd. Paul Mesnard, coll. « Les Grands Écrivains de la France », Hachette)— Préface de l'édition de 1682, tome I/Hachette(刊)/ コレクション「Les Grands Écrivains de la France」(監修: Paul Mesnard)/ Internet Archive(デジタル化・公開)(ランクA)
  7. [SRC-01479] La Vie de M. de Molière(Jean-Léonor Le Gallois de Grimarest著、1705年刊。初版の再録テキスト)/Jacques Le Febvre(1705年原刊)/ Project Gutenberg(電子化テキスト・archive.org経由で取得)(ランクA)
  8. [SRC-01480] 15 octobre 1582 - Naissance du calendrier grégorien | France Pittoresque/La France pittoresque(ランクC)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-18あり
22026-09-18あり

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