1616年世界 17世紀
ウィリアム・シェイクスピア、1616年4月23日に死去——セルバンテスとの『同日死』は、暦の違いと記録の慣行という二つの要因による
日付と暦
- 原典表記
- 1616年4月23日(ユリウス暦)
- 換算
- 1616-04-23(ユリウス暦)
- 掲載日
- 4月23日のページ
暦の注記: この出来事はユリウス暦の1616年4月23日に起きたと、ストラトフォード・アポン・エイヴォンのホーリー・トリニティ教会に現存する記念碑は記す(ユリウス暦換算: 1616-04-23)[SRC-01997][SRC-01998]。当時のイングランドは1752年の改暦まで一貫してユリウス暦を用いていたため(英国政府法令データベースが公開する制定法『Calendar (New Style) Act 1750』により確認できる[SRC-00044])、換算値は暦法上の計算を伴わない恒等変換である。当時のイングランドは3月25日を年始とする慣行(Old Style)も用いていたが、本記事の対象日(4月23日)はこの年始より後にあたるため、原典の年表記と現代の年表記に割れは生じない。本サイトでは04-23のページに掲載している。なお、同年に死去したとされる作家ミゲル・デ・セルバンテスの死去日(1616年4月22日。ただし4月23日を死去日とする伝統的な理解も存在した[SRC-02013])は、当時すでにグレゴリオ暦を採用していたスペインによる日付である[SRC-02001][SRC-02002]。両者は暦種別の異なる日付であり、この点は「異説・論争」欄で詳述する。
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概要
ストラトフォード・アポン・エイヴォンのホーリー・トリニティ教会に現存する記念碑は、劇作家ウィリアム・シェイクスピアが1616年4月23日に52歳で死去したと記す(いずれもシェイクスピア生誕地トラストの公式解説による)[SRC-01997][SRC-01998][SRC-01999]。一方、同教会の教区記録簿は、彼の埋葬を2日後の4月25日と記録している[SRC-01997][SRC-01998][SRC-02000]。死因は記録されておらず不明である[SRC-01997]。シェイクスピアは死去の約1か月前にあたる3月25日に遺言書を作成し、自らを「完全な健康と記憶の中にある」と記していた[SRC-01997]。命日とされる4月23日は、洗礼記録から逆算した出生日の推定とも重なることから、「生まれた日と死んだ日が同じ」という語り草も生んでいる[SRC-01999][SRC-02000]。さらに、同じ1616年に死去したとされるスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスとの「同日死」という理解は、国際連合の公式解説に示されており[SRC-02003]、UNESCO(旧版ページ)の公式解説にも同様に示されていた[SRC-02004]。しかし、当時のイングランドはユリウス暦、スペインはすでにグレゴリオ暦を用いていたうえ、セルバンテスの死去日自体にも記録上の慣行による揺れがあり、両者の「4月23日」「4月22日」は単純に同一の暦法による同一の日付とは言えない[SRC-02001][SRC-02002][SRC-00044][SRC-02013]。
本文
ストラトフォード・アポン・エイヴォンの教区記録簿は、ホーリー・トリニティ教会で行われた洗礼・結婚・埋葬を1558年から1776年にわたり記録した手書きの帳簿である[SRC-02000]。1538年に教区への記録簿の保管が命じられたが、初期の記録簿の多くは紙製で保存状態が悪く、1598年により耐久性のある帳簿に置き換えられ、1558年以降の全記載が転写された[SRC-02000]。シェイクスピアの洗礼の記載も1600年に書記によって転写されたもので、各ページには当時の牧師と教会委員が署名し、正確な写しであることを証明している[SRC-02000]。この記録簿によれば、シェイクスピアは1564年4月26日水曜日に洗礼を受けた(記載はラテン語で「Gulielmus filius Johannes Shakspere〔ヨハネス・シェイクスピアの息子ウィリアム〕」と読める)[SRC-01999][SRC-02000]。52年後、同じ記録簿は英語で、ウィリアムの埋葬を1616年4月25日と記録している[SRC-02000](同ページの地の文は英語で「death」の語を用いているが、ページ題名・画像キャプションは「Burial Record」と記しており、同一資料内で表現が割れている。他の出典〔SRC-01997・SRC-01998〕は一貫して「埋葬」として記録している)。
シェイクスピアの正確な出生日は記録されていない[SRC-01999]。当時、洗礼は通常出生から3日以内に行われ、祈祷書(Prayer Book)は両親に対し出生後最初の日曜日までに洗礼を済ませるよう指示していた[SRC-01999]。1564年4月26日水曜日の洗礼から逆算すると、出生はその前の日曜日である4月23日より早くはなかった可能性が高く、出生から洗礼まで3日という間隔が妥当であることから、4月23日が誕生日として祝われるようになったという[SRC-01999]。シェイクスピア生誕地トラスト自身が「多くの人が、シェイクスピアは死んだのと同じ日に生まれたと推測している――1564年4月23日と1616年4月23日である」と記しており[SRC-02000]、この対称性自体があくまで推定に基づく語り草であることを機関自身が明示している。
ホーリー・トリニティ教会内には今もシェイクスピアの記念碑が立っており、そこには彼の死去日が4月23日と記されている[SRC-01997][SRC-01998]。記念碑の下にある墓石には名前が刻まれていないが、少なくとも1656年からシェイクスピアのものと信じられてきた。この墓は、一族の墓を記念する列の最初に位置し、1623年に死去した妻アンもその列に含まれる[SRC-01998]。墓石には「友よ、イエスのために乞い願う、ここに閉じ込められし塵を掘り起こすなかれ。この石を残す者は祝福され、我が骨を動かす者は呪われよ」という趣旨の銘文が刻まれている[SRC-01997][SRC-01998]。シェイクスピアの家系は、1670年の孫娘エリザベスの死去をもって絶えたという[SRC-01998]。
シェイクスピアは、死去の約1か月前にあたる3月25日に遺言書を作成した。そこで彼は自らを「完全な健康と記憶の中にあり、神に感謝する」と記している[SRC-01997]。シェイクスピア生誕地トラストによれば、この版の遺言はどうやらその直前の1月(原文 "the January before")に作成されていた版の改訂であるという。これは長期にわたる病の兆候を示す可能性がある一方、テューダー朝の人々は死への備えを重視していたため、単に当時の慣習に従って身辺を整理していただけの可能性もあるとされる[SRC-01997]。シェイクスピアの死因そのものは記録されておらず、本記事が確認した出典の範囲では不明である[SRC-01997]。
歴史的背景
暦法の面では、シェイクスピアが死去した1616年当時、イングランドはユリウス暦を用いていた。英国政府法令データベースが公開する制定法『Calendar (New Style) Act 1750』は、1752年9月2日の翌日を9月14日と呼称することで英国がグレゴリオ暦へ切り替えたと定めており、裏を返せばこの法律が施行されるまで英国はユリウス暦を用いていたことを示している[SRC-00044]。一方、グレゴリオ暦は1582年、教皇グレゴリウス13世により布告された、ユリウス暦を修正する太陽暦であり、その1年以内にイタリア諸邦・ポルトガル・スペイン・ローマカトリックのドイツ諸邦が採用した[SRC-02002]。したがって1616年当時、スペインはすでにグレゴリオ暦を、イングランドはなおユリウス暦を用いていた。
同じ1616年、スペインの小説家・劇作家・詩人ミゲル・デ・セルバンテスが、マドリードで死去した[SRC-02001]。ブリタニカ百科事典は、その死去日を1616年4月22日と記す(生年〔1547年9月29日〕には疑問符が付されているが、死去年月日には付されていない)[SRC-02001]。ただし、当時のスペインの記録には死去日欄に埋葬日を書く慣行があり、Folger Shakespeare Libraryの公式解説によれば、セルバンテスの死去日として伝統的に伝えられてきた4月23日は実際には埋葬日であり、死去自体はその前日(4月22日)だったと、留保付きで考えられている[SRC-02013]。国際連合の公式サイトは「4月23日は世界文学にとって象徴的な日である。1616年のこの日に、セルバンテス、シェイクスピア、そしてインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガが皆、死去した」と記す[SRC-02003]。UNESCOの旧公式ページも同様に、この3人の作家が「皆死去した」日として4月23日を挙げ、1995年にパリで開催されたUNESCO総会がこの日を世界図書・著作権デーに選んだ理由の一つとして紹介していた[SRC-02004]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1564-04-26(ユリウス暦・水曜日) | シェイクスピア、ホーリー・トリニティ教会で洗礼を受ける | [SRC-01999][SRC-02000] |
| 1564-04-23ごろ(ユリウス暦・推定) | シェイクスピアの伝統的な誕生日(洗礼記録からの逆算) | [SRC-01999][SRC-02000] |
| 1582年(年のみ) | 教皇グレゴリウス13世によりグレゴリオ暦が布告され、1年以内にスペインが採用 | [SRC-02002] |
| 1616-03-25(ユリウス暦) | シェイクスピア、遺言書を作成(原文の当該文自体には年の明記はないが、同一資料内の埋葬記録〔1616年4月25日〕および「死の約1か月前」という記述との文脈から1616年と特定される。その直前の1月に作成されていた版の改訂とみられる) | [SRC-01997] |
| 1616-04-22(グレゴリオ暦・推定) | ミゲル・デ・セルバンテス、スペイン・マドリードで死去(伝統的には4月23日=埋葬日が死去日とされてきた) | [SRC-02001][SRC-02013] |
| 1616-04-23(ユリウス暦) | シェイクスピア死去。ホーリー・トリニティ教会の記念碑が記す日付 | [SRC-01997][SRC-01998][SRC-01999] |
| 1616-04-25(ユリウス暦) | シェイクスピアの埋葬が教区記録簿に記録される | [SRC-01997][SRC-01998][SRC-02000] |
| 1623年(ユリウス暦・年のみ) | 妻アン、死去(同じ墓列に埋葬) | [SRC-01998] |
| 1656年(ユリウス暦・年のみ) | 記念碑下の墓が、少なくともこの時点でシェイクスピアのものと信じられていたことが確認される(起源はより早い可能性がある) | [SRC-01997][SRC-01998] |
| 1670年(ユリウス暦・年のみ) | 孫娘エリザベス、死去。シェイクスピアの家系が絶える | [SRC-01998] |
| 1752-09-14(グレゴリオ暦) | 英国、ユリウス暦からグレゴリオ暦へ切り替え | [SRC-00044] |
| 1995年(グレゴリオ暦・年のみ) | パリで開催のUNESCO総会にとって、4月23日は書籍と作家に世界的な敬意を表す自然な選択となった | [SRC-02004] |
異説・論争定説のない論点があります
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 「同日死」の理解 | 国際連合の公式解説は、セルバンテス・シェイクスピア・インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガの3人が「1616年のこの日」(4月23日)に「皆死去した」と、年を明記して記す。UNESCO(旧版ページ)の公式解説も同じ3人が4月23日に「皆死去した」日として紹介するが、年(1616年)は明記していない。いずれも暦法の相違には触れていない | [SRC-02003][SRC-02004] | 国際機関自身が公式に示す説明である。両機関の記述には違いがある。UNESCO(旧版ページ)は、UNESCO総会にとってこの日が世界図書・著作権デーの由来として自然な選択だったと紹介するにとどまり、「制定」に相当する語は用いていない[SRC-02004]。一方、国際連合の公式解説は、同じ経緯を述べたうえで「これを踏まえ、UNESCOは世界図書・著作権デーを制定した("With this in mind, UNESCO created the World Book and Copyright Day.")」と明記している[SRC-02003] |
| 「同日死」という理解の妥当性 | 当時のイングランドはユリウス暦、スペインは1582年からグレゴリオ暦を採用しており、シェイクスピアの死去日(4月23日)とセルバンテスの死去日(4月22日、推定)は異なる暦種別による日付である。加えて、当時のスペインの記録には死去日欄に埋葬日を書く慣行があり、セルバンテスの死去日として伝統的に伝えられてきた4月23日は実際には埋葬日であり、死去自体はその前日(4月22日)だったと考えられている。「同日死」という通説には、暦の違いとこの記録慣行という二つの要因が関わっている | [SRC-00044][SRC-02001][SRC-02002][SRC-02013] | Folger Shakespeare Library(シェイクスピア研究の専門機関)の公式解説がこの二つの要因を直接論じている〔SRC-02013〕。同解説によれば、シェイクスピアのユリウス暦4月23日はグレゴリオ暦5月3日に相当し、セルバンテスのグレゴリオ暦4月22日との間には実際には11日の隔たりがある("Shakespeare actually died 11 days after Cervantes— May 3 by the Gregorian calendar that Spain adopted in 1582, but April 23 on the Julian calendar that England used until 1752.") |
| シェイクスピアの死去日と埋葬日の違い | 記念碑は死去日を4月23日と記す一方、教区記録簿が直接記録しているのは埋葬日(4月25日)のみである | [SRC-01997][SRC-01998][SRC-02000] | シェイクスピア生誕地トラスト自身が、この2つの日付(記念碑の死去日・記録簿の埋葬日)を並べて説明しており、対立する2説ではなく、記録の性質(記念碑の記述/教区記録簿の直接記載)が異なる2つの情報として扱われている。なお、SRC-02000は地の文で「death」の語を用いる一方、同ページの題名・画像キャプションは「Burial Record」と記しており、同一資料内で表現が割れている(本サイトは他2出典〔SRC-01997・SRC-01998〕と一致する「埋葬」の理解を本文で採用した) |
| 生誕日と命日の対称性 | 多くの人が、シェイクスピアは自身が死んだのと同じ日(4月23日)に生まれたと推測している | [SRC-01999][SRC-02000] | シェイクスピア生誕地トラスト自身が「推測している(speculate)」という留保付きの表現を用いており、確定した事実ではなく通俗的な語り草であることを機関自身が明示している。出生日自体が洗礼記録からの逆算による推定であるため、この対称性は二重に推定的である |
| 遺言の改訂とその意味 | 1616年3月の遺言は、その直前の1月の版の改訂とみられ、これは長期にわたる病の兆候である可能性を示唆する | [SRC-01997] | シェイクスピア生誕地トラストは、この改訂が病の兆候である可能性と、単にテューダー朝の慣習(死への備え)に従っただけの可能性の両方を並べて提示しており、いずれかに断定していない |
関連する出来事
- 1564年4月26日、シェイクスピアはホーリー・トリニティ教会で洗礼を受けた(前述タイムライン参照)[SRC-01999][SRC-02000]。
- 1616年4月22日、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスがマドリードで死去した(推定。伝統的には4月23日=埋葬日が死去日とされてきた。前述タイムライン参照)[SRC-02001][SRC-02013]。
- 1752年9月、英国はユリウス暦からグレゴリオ暦へ切り替えた(前述タイムライン参照)[SRC-00044]。
- 1995年、パリで開催されたUNESCO総会にとって、4月23日は書籍と作家に世界的な敬意を表す自然な選択となった(前述「歴史的背景」参照)[SRC-02004]。
関連人物
- ウィリアム・シェイクスピア(本記事の主題): イングランドの劇作家・詩人。1564年4月26日に洗礼を受け、1616年4月23日に52歳で死去したと記念碑は記す[SRC-01997][SRC-01998][SRC-01999]。
- ミゲル・デ・セルバンテス(みげる・で・せるばんてす): スペインの小説家・劇作家・詩人。『ドン・キホーテ』の作者。1616年4月22日、マドリードで死去したとされる(推定。伝統的な4月23日という理解は埋葬日に由来すると考えられている)[SRC-02001][SRC-02013]。
歴史的意義
シェイクスピアの命日をめぐる記録は、公式記念碑が示す日付(4月23日)と、教区の一次記録である記録簿が直接記す日付(埋葬日、4月25日)とが異なるという点で、史料の性質を考える手がかりになる[SRC-01997][SRC-01998][SRC-02000]。加えて、同じ1616年のセルバンテスの死去と重ねて語られる「同日死」は、国際連合やUNESCOという公的機関の公式解説にも採用されている理解である[SRC-02003][SRC-02004]。一方で、当時のイングランドとスペインが異なる暦法を用いていたという事実は、これらの公式解説自体〔SRC-02003・SRC-02004〕には示されていない。この点は英国の改暦時期(SRC-00044)・スペインの改暦時期(SRC-02002)という別の出典によって確認できる[SRC-00044][SRC-02002][SRC-02003][SRC-02004]。世界図書・著作権デーという記念日そのものの意義を損なうものではないが、暦法という一見技術的な要素が、公的機関の公式説明にまで反映される歴史的な「符合」の理解の内容を左右し得ることを示す一例である(以上は本サイトの整理)。
現代の視点
以下は本稿の整理である。国際連合は公式サイトで「セルバンテス、シェイクスピア、そしてインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガが皆、死去した」という由来説明を示しており[SRC-02003]、UNESCO(旧版ページ)も同旨で「ウィリアム・シェイクスピア、ミゲル・デ・セルバンテス、そしてインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガが皆死去した」と記していたことが、本記事が確認した各アーカイブページから確認できる[SRC-02004]。本サイトは、この暦法上の不一致を指摘することによって、世界図書・著作権デーという記念日自体の意義や、シェイクスピア・セルバンテスという2人の作家が同じ年に世を去ったという事実そのものを否定する意図はない。むしろ、歴史的な「符合」の由来説明が、暦法という前提条件を明示しないまま公的機関の解説文にも現れうることを示す一例として、本記事はこれを取り上げた。
出典一覧
- [SRC-01997] How did Shakespeare Die? — Shakespeare Birthplace Trust/Shakespeare Birthplace Trust(ランクA)
- [SRC-01998] When did Shakespeare die? — Shakespeare Birthplace Trust/Shakespeare Birthplace Trust(ランクA)
- [SRC-01999] When Was Shakespeare Born? — Shakespeare Birthplace Trust/Shakespeare Birthplace Trust(ランクA)
- [SRC-02000] The Birth and Burial Records of William Shakespeare — Shakespeare Birthplace Trust(ブログ、著者 Robyn Greenwood、2012年4月11日)/Shakespeare Birthplace Trust(ランクA)
- [SRC-02001] Miguel de Cervantes | Biography, Don Quixote, Books, Plays, & Facts | Britannica/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-02002] Gregorian calendar | Origins, Meaning, Julian Calendar, Start Date, & Facts — Encyclopaedia Britannica/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-02003] International Day of Book and Copyright — United Nations/United Nations(ランクA)
- [SRC-02004] World Book and Copyright Day(旧版) — UNESCO/UNESCO(国際連合教育科学文化機関)(ランクA)
- [SRC-00044] Calendar (New Style) Act 1750 (24 Geo 2 c.23) — 英国政府公式法令データベース/legislation.gov.uk(The National Archives、英国政府)(ランクS)
- [SRC-02013] The Wonder of Will, the Marvel of Miguel: 400 years of Shakespeare and Cervantes — Shakespeare & Beyond(Folger Shakespeare Library公式ブログ)/Folger Shakespeare Library(ランクA)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-29 | あり |
| 2 | 2026-09-29 | あり |
| 3 | 2026-09-29 | あり |
| 4 | 2026-09-29 | あり |
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