1896年世界 19世紀

ゲオルギオス1世が開会を宣言し、近代オリンピック第1回アテネ大会が幕を開けた——現在の暦で1896年4月6日、当時ギリシャで使われていた暦では3月25日

日付と暦

原典表記
1896年3月25日(ユリウス暦)
換算
1896-04-06(グレゴリオ暦)
掲載日
4月6日のページ

暦の注記: この出来事は当時ギリシャで用いられていたユリウス暦の1896年3月25日に起きた(グレゴリオ暦換算: 1896年4月6日、暦差12日)[SRC-01861][SRC-01862]。本サイトでは、原典日付の月日(03-25)ではなく、換算後のグレゴリオ暦の月日にあたる04-06のページに掲載している。これは、大会を主催した国際オリンピック委員会自身の公式記録がグレゴリオ暦の「6 to 15 April 1896」という日付のみでこの大会を記録し、ユリウス暦への言及を含まないこと、また原典日付の03-25枠には別のグレゴリオ暦原典の既刊記事(ローマ条約調印)が既に配置されており日付枠が衝突することを理由とした、例外的な配置である[SRC-01860]。換算値そのもの(3月25日=4月6日)は、いずれもユリウス暦・グレゴリオ暦の双方を直接明記する独立2系統の出典による転記であり、独自の暦計算は行っていない[SRC-01861][SRC-01862]。

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概要

1896年4月6日——当時ギリシャで使われていた暦では3月25日——ギリシャ国王ゲオルギオス1世は「私はここに、第一回国際オリンピック競技大会の開会を宣言する」と告げた[SRC-01860]。1894年のソルボンヌ会議でピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピック大会の再興を提唱し[SRC-01862]、同年6月23日にパリで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)第1回総会でアテネが開催都市に選ばれた[SRC-01860][SRC-01862]。この大会には、記録によって数は異なるものの十数か国から選手たちが集まった[SRC-01860][SRC-01861][SRC-01862][SRC-01863]。大会の目玉であったマラソン競走では、地元ギリシャの21歳の羊飼いスピリドン・ルイスが優勝し、大会最大の注目を集めた[SRC-01860][SRC-01863]。

本文

大会開催都市の選定は1894年6月23日、パリで開かれたIOC第1回総会にさかのぼる。この総会でアテネが第1回大会の開催都市に選ばれ、ギリシャの王太子コンスタンティンが組織委員会の議長に就いた[SRC-01860]。しかしギリシャ政府には大会を賄う財政的余裕がなく、資金の見通しは当初厳しかった[SRC-01860]。最終的には富裕な家系からの寄付・入場券収入に加え、なかでもギリシャ人の篤志家ゲオルギオス・アヴェロフの寄付によって、紀元前4世紀に築かれた古代競技場を18か月かけて白大理石で改修することができた(寄付額はIOC歴史文書館の記録で100万ドラクマ超、Olympediaの記録で920,000ドラクマとされ、出典によって異なる)[SRC-01860][SRC-01862][SRC-01863]。

開会式当日、スタジアムに入場した国王ゲオルギオス1世は「私はここに、第一回国際オリンピック競技大会の開会を宣言する」と宣言し、スピロス・サマラス作曲のオリンピック賛歌が初めてスタジアムに響いた[SRC-01860]。大会では陸上競技・自転車・フェンシング・体操・重量挙げ・レスリング・水泳・テニス・射撃の9競技が実施され、中心となる種目はマラソン競走だった(セーリングとボートは荒天のため中止された)[SRC-01860]。当時のオリンピックに金メダルという制度はなく、優勝者には賞状・銀メダル・オリーブの冠が、準優勝者には賞状・銅メダル・月桂の冠が贈られた[SRC-01860][SRC-01861]。また、この大会には女性選手の公式な参加がなかった[SRC-01861]。

大会の目玉であったマラソン競走は、ペルシャ軍撃退を伝えるためマラトンの地からアテネまで走ったとされる伝令フェイディピデスの伝説の経路にならい、フランス人ミシェル・ブレアルの発案で実施された[SRC-01863]。この競走で優勝したのは、当時21歳のギリシャ人羊飼いスピリドン・ルイスだった。地元選手の勝利は大会最大の注目を集めた[SRC-01860][SRC-01863]。

歴史的背景

近代オリンピックの創設は、クーベルタンが1894年のソルボンヌ会議で提唱したものである[SRC-01862]。国際オリンピック委員会自身の公式記録は、1896年大会の最初の優勝者(三段跳びのジェームズ・コノリー)を「1500年以上ぶりのオリンピック優勝者」と位置づけている[SRC-01860]。この位置づけは、古代オリンピック競技と1896年の大会との間に長い空白があったことをIOC自身の記録が示すものであり、本記事はこの点をIOC記録の記述として紹介するにとどめ、両者の連続性・非連続性そのものについての史学的な当否には立ち入らない(詳しくは異説・論争欄を参照)。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1894年6月23日(グレゴリオ暦) パリでのIOC第1回総会で、アテネが第1回大会の開催都市に選ばれる [SRC-01860][SRC-01862]
1896年3月25日(ユリウス暦)/1896年4月6日(グレゴリオ暦換算) アテネのパナシナイコ・スタジアムで開会式。国王ゲオルギオス1世が開会を宣言 [SRC-01860][SRC-01861][SRC-01862]
ユリウス暦3月25日〜4月3日/グレゴリオ暦4月6日〜15日 大会期間。陸上・自転車・フェンシング・体操・重量挙げ・レスリング・水泳・テニス・射撃の9競技を実施(セーリング・ボートは荒天中止) [SRC-01860][SRC-01861]
グレゴリオ暦4月15日 IOC公式記録による大会の終期(Olympediaは競技実施期間を4月6日〜13日、閉会式を4月15日と区別して記す) [SRC-01860][SRC-01862]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
参加国数・選手数・実施種目数 出典によって記録された数値が異なる。IOC歴史文書館公式記録=241人・14か国・9競技43種目/Mallon&Widlund(学術専門書)=15か国が参加(選手・種目の総数は本記事が確認した範囲では明記なし)/Olympedia=176人・13か国・メダル種目43(10競技)+その他種目7(1競技)/Encyclopaedia Britannica=最大280人(男性のみ)・12か国・43種目 [SRC-01860][SRC-01861][SRC-01862][SRC-01863] Mallon&Widlundは、大会が十分に宣伝されず多くのトップ選手が出場しなかったことと、予選がギリシャ国内でのみ実施されたことを記録している[SRC-01861]。本サイトはいずれか一つの数値を正としない
大会期間の終了日 IOC公式記録は「4月6日から15日まで開催」と一体的に記す一方、Olympediaは競技実施期間を「4月6日〜13日」、閉会式を「4月15日」と区別して記す [SRC-01860][SRC-01862] 本記事が確認した出典の範囲では、この期間の区別(14日・15日が最終行事に充てられた可能性)を明示的に説明する記述はない
古代オリンピアとの連続性 国際オリンピック委員会自身の公式記録は、1896年大会の最初の優勝者(三段跳びのジェームズ・コノリー)を「1500年以上ぶりのオリンピック優勝者」と位置づけている。他の登録出典はより具体的な年代を記しており、Mallon&Widlundはアテネのゾピュロス(紀元385年の第291回古代オリンピア競技会)以来、Olympediaはアルメニアのヴァラスダテス(紀元369年のボクシング)以来としており、両者の年代は一致しない [SRC-01860][SRC-01861][SRC-01862] 本記事はこれらの位置づけを各出典の記述として紹介するにとどめ、古代オリンピア競技との連続性・非連続性についての史学的評価には立ち入らない。本記事が確認した出典の範囲では、この年代の相違を専門に論じた学術資料への到達はできていない

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

第1回大会以降、オリンピックはIOCが主催する国際大会として続き、IOC自身の記録は1900年パリ大会・1904年セントルイス大会など後続の大会を同じファンド(所蔵記録)の枠組みで扱っている[SRC-01860]。1896年大会自体は、金メダル制度がなく、女性選手が公式には参加せず、参加国・選手数の記録も出典によって異なるなど、今日のオリンピックとは制度・規模の両面で異なる姿を持っていた[SRC-01860][SRC-01861]。

現代の視点

この大会の開幕日が「今の暦で4月6日、当時ギリシャの暦では3月25日」という二つの日付を持つ事実は、暦そのものが国・地域によって当時なお統一されていなかったことを示す一例である(本サイトの解釈)。また、参加国・選手数という一見単純な数字でさえ、大会から100年以上を経た今日、資料によって記録が食い違うという事実は、歴史上の「初めて」を一つの確定した数字で語ることの難しさを示している(本サイトの解釈)。

出典一覧

  1. [SRC-01860] Olympic Games Fonds — Fonds files: 1. The Games of the Olympiad (1896-1984) — 「Athens 1896 – Games of the I Olympiad」節/国際オリンピック委員会(IOC)歴史文書館(IOC Historical Archives)(ランクS)
  2. [SRC-01861] The 1896 Olympic Games: Results for All Competitors in All Events, with Commentary(p.14抜粋)/McFarland & Company(LA84 Foundation Sports Library によるデジタル化)(ランクA)
  3. [SRC-01862] Olympedia — 1896 Summer Olympics Overview/Olympedia(編集: Bill Mallon, Hilary Evans, Arild Gjerde, Jeroen Heijmans ほかOlympic historian統計チーム)(ランクB)
  4. [SRC-01863] Athens 1896 Olympic Games/Encyclopaedia Britannica, Inc.(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-28あり
22026-09-28不明
32026-09-28不明

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