リュミエール兄弟、グラン・カフェでシネマトグラフの有料公開上映を実施——「世界初」の物語に英国映画協会は異を唱える

日付と暦

原典表記
1895年12月28日(グレゴリオ暦)
換算
1895-12-28(グレゴリオ暦)
掲載日
12月28日のページ

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概要

1895年12月28日、パリのグラン・カフェ地下の一室「サロン・アンディアン」で、リュミエール兄弟のシネマトグラフによる上映が行われた[SRC-01065][SRC-01066][SRC-01069]。10本の短い映画から成るプログラムがスクリーンに投影され[SRC-01065]、この日をもってシネマトグラフの商業的な運用が公式に始まったと位置づけられている[SRC-01064][SRC-01066]。この装置を保存・研究するInstitut Lumièreは、この日の上映を「最初の有料公開上映」と呼んでいる[SRC-01065]。だが、この位置づけの言葉づかいはフランス側の機関の中でも一様ではなく、英国映画協会(BFI)は「リュミエール兄弟が映画を生んだ」という通説そのものを「事実ではない」として、これより早い時期にニューヨークとベルリンで行われた2件の先行する上映を挙げている[SRC-01067]。

本文

シネマトグラフの特許は1895年2月13日、オーギュストとルイのリュミエール兄弟の連名で出願された。Institut Lumièreは、装置の原理を見出したのは弟のルイだったと記している[SRC-01064]。この装置が最初に人前で使われたのは、12月28日ではない。1895年3月22日、パリの産業奨励協会において、限られたパリの観客を前に、ルイ・リュミエールが自作の映画『工場の出口』を投影する実演が行われた[SRC-01064]。Institut Lumièreは、この3月22日の実演をもって「初めてフィルムが集団全体に見えるものになった」と記している[SRC-01064]。同年6月11日には、リヨンの写真会議でも非公開の実演が行われた[SRC-01070]。その後、フランス各地(パリ・リヨン・ラ・シオタ・グルノーブル)とベルギー(ブリュッセル・ルーヴァン)で、より充実したプログラムを伴う11回の上映が重ねられ、いずれも好評だったとされる[SRC-01064]。

12月28日の上映は、これらの実演とは異なり、一般に入場料を払えば誰でも見られる公開の興行だった[SRC-01064][SRC-01066]。会場となったグラン・カフェ地下のサロン・アンディアンでは、10本のプログラムが上映された。実際に上映された10本は、『リヨンのリュミエール工場の出口』『曲馬』『金魚釣り』『リヨンでの写真会議参加者の到着』『鍛冶屋』『庭師』『赤ん坊の食事』『毛布の上での跳躍』『コルドリエ広場』『海(海水浴)』である[SRC-01070]。各回の上映は約15分間だったとされる[SRC-01069]。本サイトが確認できた出典の範囲では、Institut Lumièreの博物館展示解説のみが、この日の観客数を「33人」と明記している[SRC-01065]。また、National Science and Media Museumの記事のみが、入場料を「1フラン」と明記している[SRC-01069]。いずれも本記事が確保できた登録出典の中では単独の記述であり、他の機関による裏付けは確認できていない。

National Science and Media Museumによれば、この公開興行の実現には父アントワーヌ・リュミエールの決断があった。息子たちは時期尚早だと考えていたが、アントワーヌはこれに反してシネマトグラフの公開を決めたとされる[SRC-01069]。本サイトが確保できた出典の範囲では、この経緯を裏付ける他の機関の記述は確認できていない。

歴史的背景

シネマトグラフに先立ち、1890年代前半には複数の技術者・企業が「動く映像」の商業化に取り組んでいた。もっとも先行していたのはエジソン社の「キネトスコープ」で、1894年にはすでに商業運用されていた[SRC-01067]。ただしキネトスコープは、客が箱を覗き込み1人ずつ見る方式の装置であり、当時の客は身をかがめて穴から覗き込み、料金を払って約17秒間の場面を見た[SRC-01067]。Institut Lumière自身も、キネトスコープを「動く映像を個人にではなく公衆に見えるようにしよう」という自分たちの発想の出発点として位置づけている[SRC-01064]。すなわち、キネトスコープの個人視聴方式と、スクリーンに投影して集団で見るシネマトグラフの方式との違いが、当時の技術的な焦点の一つだった[SRC-01064][SRC-01067]。

この「スクリーンへの投影」という点では、リュミエール兄弟だけが取り組んでいたわけではない。英国映画協会(BFI)によれば、ニューヨークではランブダ社が開発した「アイドロスコープ」という装置が、1895年5月20日、ブロードウェイ156番地で12分間のボクシングの試合を連続して投影する興行を行った[SRC-01067]。ドイツでは、スクラダノフスキー兄弟が自作の映写機「ビオスコープ」を用い、1895年11月1日、ベルリンのヴァリエテ劇場ヴィンターガルテンで「生きた写真」の上映を行った[SRC-01068]。この装置の実機を保存するポツダム映画博物館は、この上映を「ドイツにおける映画の誕生の瞬間」と位置づけている[SRC-01068]。BFIによれば、スクラダノフスキー兄弟のパリでの次回興行の予定は、シネマトグラフ・リュミエールの報道が広まるとすぐに立ち消えになったという[SRC-01067]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1895年2月13日(グレゴリオ暦) オーギュスト・ルイのリュミエール兄弟が、シネマトグラフの特許を連名で出願 [SRC-01064]
1895年3月22日(グレゴリオ暦) パリの産業奨励協会で、限られた観客を前に『工場の出口』を投影する実演 [SRC-01064][SRC-01066][SRC-01070]
1895年5月20日(グレゴリオ暦) ニューヨークで、アイドロスコープが有料の観客にボクシングの試合を投影 [SRC-01067][SRC-01069]
1895年6月11日(グレゴリオ暦) リヨンの写真会議で非公開の実演 [SRC-01070]
1895年11月1日(グレゴリオ暦) ベルリンのヴィンターガルテンで、スクラダノフスキー兄弟が「ビオスコープ」による上映 [SRC-01067][SRC-01068]
1895年12月28日(グレゴリオ暦) パリのグラン・カフェ(サロン・アンディアン)で、シネマトグラフによる有料公開上映を実施[SRC-01064][SRC-01065][SRC-01066][SRC-01069]。10本のプログラム [SRC-01065][SRC-01069]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

「最初」の限定語は機関によって異なる: 本サイトが確認した出典の範囲では、フランス側の機関自身、12月28日の上映を無限定の「世界初」としては述べていない。リュミエール兄弟の資料を保存するInstitut Lumièreは、博物館の展示解説でこの日を「première séance publique payante(最初の有料公開上映)」と呼ぶが、「世界」「mondiale」に相当する語はこの一文に含まれない[SRC-01065]。同研究所は別のページで、12月28日を「première commerciale(最初の商業上映)」と呼び、これとは別に3月22日の実演を「première démonstration(最初の実演)」——「初めてフィルムが集団全体に見えるものになった」瞬間——として区別している[SRC-01064]。フランス文化省傘下の国立美術館連合(Réunion des musées nationaux – Grand Palais)が運営する解説サイトは、12月28日の上映を「première séance publique payante à Paris(パリでの最初の有料公開上映)」と、地理的範囲を「パリ」に限定した表現で記す[SRC-01066]。すなわち、同じ「最初の有料公開上映」という言葉づかいでも、機関によって「世界」「パリ」といった限定の有無・範囲が異なり、本サイトはこれらを合成せず、それぞれの機関の言葉のまま個別に示す。

BFIは通説そのものに異を唱える: 英国映画協会(BFI)が発行する専門誌Sight and Soundの署名記事は、「1895年12月28日にリュミエール兄弟がパリで最初の有料上映を行ったときに映画が生まれた」という通説を「映画史に定着したバージョンではあるが、事実ではない」と明記する[SRC-01067]。同記事は、この通説より早い時期の2件の先行する上映——1895年5月20日のニューヨークでの、有料の観客を前にしたアイドロスコープによる上映、および1895年11月のベルリンでのスクラダノフスキー兄弟による上映——を挙げ、これらがシネマトグラフのパリでの開始に先立っていたとする[SRC-01067]。スクラダノフスキー兄弟の上映については、実機を保存するドイツのポツダム映画博物館も、1895年11月1日という日付とともにこれを裏付けている[SRC-01068]。ニューヨークのアイドロスコープについても、National Science and Media Museumが「おそらく最初ではない(probably not the first)」と留保しつつ、ラタム兄弟が1895年5月20日からアイドロスコープを用いて有料の観客にボクシング映画を上映していたと独立に記しており、日付・装置・興行内容・観客の有料性の点でBFIの記述と符合する[SRC-01069]。ただし両者の言い方の強さは異なり、BFIは通説を「事実ではない」と断定するのに対し、National Science and Media Museumは「おそらく(probably)」という留保つきで述べるにとどまる。本サイトは、どちらが優先権を持つかという評価そのものを裁定しない。

通俗的に語られる作品と実際の12月28日プログラムの違い: 『水をかけられた散水夫』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』——後者はDVDなどで広く知られるバージョンがある[SRC-01070]——は、いずれもCatalogue Lumière(フィルモグラフィー研究データベース)が列挙する12月28日の実際の10本のプログラムには含まれていない[SRC-01070]。同データベースは、DVD等で広く知られている『ラ・シオタ駅への列車の到着』のバージョンは実際には1897年夏に撮影されたものであり、映画に映る子供の年齢から研究者がその時期を特定したと記す[SRC-01070]。この訂正は、本サイトが確保できた出典の範囲ではCatalogue Lumière単独の記述である。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
12月28日の上映の限定語 「最初の有料公開上映」(世界規模の限定は明示しない) Institut Lumière [SRC-01065]
(同上) 「パリでの最初の有料公開上映」(地理的に限定) RMN(Réunion des musées nationaux – Grand Palais) [SRC-01066]
(同上) 通説(「12月28日に映画が生まれた」)自体を「事実ではない」と否定 BFI(英国映画協会) [SRC-01067]
12月28日以前の先行する上映の存在 ニューヨークのアイドロスコープ(1895年5月20日、有料の観客)とベルリンのスクラダノフスキー兄弟(1895年11月)が先行 BFI/National Science and Media Museum(アイドロスコープ)・BFI/ポツダム映画博物館(スクラダノフスキー) [SRC-01067][SRC-01069][SRC-01068]

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

Institut Lumièreは、12月28日の上映を「最初の商業上映(première commerciale)」と位置づけ、RMNはこれを「公式に(officiellement)」始まったと記している[SRC-01064][SRC-01066]。また、Institut Lumièreによれば、この上映から数週間後、リュミエール社の「オペレーター」たちが世界各地へ撮影に赴いた[SRC-01065]。一方で、本サイトが確認した出典の範囲でも見たとおり、「映画の始まり」をどの出来事・どの装置に帰するかという問いには、フランス・英国・ドイツの機関の間で単純には一致しない見解が存在する。本サイトが確認できた範囲でいえるのは、Institut LumièreとRMNがそれぞれの言葉で12月28日の上映を商業運用の起点として位置づけていること[SRC-01064][SRC-01066]、そしてこの上映の後、リュミエール社のオペレーターが世界各地へ撮影に赴いたこと[SRC-01065]の2点にとどまる。

現代の視点

「世界初」という言葉は、しばしば単純化されて語られる。しかし本サイトが確認した範囲では、当のリュミエール兄弟の資料を保存するInstitut Lumière自身が、12月28日の上映を無限定の「世界初」としては述べておらず、「最初の商業上映」「最初の有料公開上映」というより限定された言い方をしている[SRC-01064][SRC-01065]。フランスの国立美術館連合も「パリでの」という地理的な限定を添えている[SRC-01066]。そして英国映画協会は、この通説自体を「事実ではない」として、ニューヨークとベルリンでの先行する上映を指摘している[SRC-01067]。「最初」を名乗る機関は複数あり、それぞれの機関が使う限定語も、機関の立場も、一様ではない。本サイトは、これらのどれが正しいかを裁定するのではなく、それぞれの機関がどのような言葉で何を主張しているかを、個別にそのまま示す。

出典一覧

  1. [SRC-01064] Le Cinématographe Lumière/Institut Lumière(ランクA)
  2. [SRC-01065] Musée Lumière/Institut Lumière(ランクA)
  3. [SRC-01066] Le Cinématographe Lumière/Réunion des musées nationaux – Grand Palais(histoire-image.org)(ランクA)
  4. [SRC-01067] In the beginning: cinema's murky origin story/British Film Institute(Sight and Sound誌)(ランクA)
  5. [SRC-01068] Die Gebrüder Skladanowsky/Filmmuseum Potsdam(ランクA)
  6. [SRC-01069] The Lumière brothers: pioneers of cinema and colour photography/National Science and Media Museum(英国、Science Museum Group)(ランクA)
  7. [SRC-01070] FAQ – Movies | Catalogue Lumière/Catalogue Lumière(ランクB)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-07あり
22026-09-07あり

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