1898年世界 19世紀

エミール・ゾラ、大統領宛公開書簡『私は弾劾する…!』を発表

日付と暦

原典表記
1898年1月13日(グレゴリオ暦)
換算
1898-01-13(グレゴリオ暦)
掲載日
1月13日のページ

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概要

1898年1月13日、フランスの小説家エミール・ゾラは、パリの日刊紙『オーロール』の一面に、共和国大統領フェリックス・フォール宛の公開書簡『J'accuse…!(私は弾劾する…!)』を発表した[SRC-01192][SRC-01193][SRC-01195]。表題は同紙の共同創刊者ジョルジュ・クレマンソーが選んだとされ、大きな文字で紙面に掲げられた[SRC-01195][SRC-01023]。2日前の1月11日、真の裏切り者とされた陸軍少佐フェルディナン・ヴァルサン=エステラジが軍法会議で無罪となったことへの抗議として書かれ、10人の軍人・鑑定人を名指しで告発する結論部で結ばれる[SRC-01193][SRC-01192][SRC-01020]。ゾラはこの書簡により自ら名誉毀損の訴追を招き、同年2月23日に有罪となり禁錮1年・罰金3,000フランを言い渡され、収監を逃れるため英国へ亡命した[SRC-01194][SRC-01195][SRC-01021]。

本文

『オーロール』紙は、クレマンソーとヴォーンが前年(1897年)に創刊したとされる日刊紙である[SRC-01195]。1898年1月11日、ドレフュス派の圧力を受けて出頭した軍法会議は、エステラジ少佐を無罪とした[SRC-01193][SRC-01020]。この評決の不正義に対する抗議として、ゾラは同紙一面に大統領フォール宛の公開書簡を発表した[SRC-01193]。RetroNewsは「Le texte s'étale sur six colonnes. Son titre apparaît en lettres énormes, visibles de loin」(本文は6段にわたり、表題は遠くからも見える巨大な文字で掲げられた)と伝える[SRC-01193]。histoire-image.orgも、紙面の最初の2ページ・6段を占める長大な弁論だったと記す[SRC-01195]。表題「J'accuse…!」は、ゾラ自身ではなくクレマンソーが選んだとされる[SRC-01195]。反響は大きく、『オーロール』はこの機会のために30万部が刷られた[SRC-01195]。RetroNewsは、その日のうちに20万〜30万部がパリで売り切れたと伝える[SRC-01193]。

書簡は「Me permettez-vous, dans ma gratitude pour le bienveillant accueil que vous m'avez fait un jour, d'avoir le souci de votre juste gloire et de vous dire que votre étoile, si heureuse jusqu'ici, est menacée de la plus honteuse, de la plus ineffaçable des taches」(あなたが私にかつて示された好意ある歓迎に対する感謝から、あなたの正当な栄光を気遣い、これまで幸運だったあなたの星が、最も恥ずべき、最も消し去りがたい汚点に脅かされていると申し上げてよいでしょうか)という一文で始まり、ドレフュスの1894年の逮捕・有罪判決の経緯を、デュ・パティ・ド・クラム司令官の役割や秘密文書の存在を中心に振り返る[SRC-01192]。続けてゾラは、1896年以降の中佐マリー=ジョルジュ・ピカールによるエステラジ捜査とその隠蔽の経緯を詳述する[SRC-01192][SRC-01017]。書簡はやがて結論部に入り、「J’accuse le lieutenant-colonel du Paty de Clam d’avoir été l’ouvrier diabolique de l’erreur judiciaire」(私はデュ・パティ・ド・クラム中佐を、誤判の悪魔的な仕掛け人であったとして弾劾する)で始まる一連の段落で、同中佐、メルシエ将軍、ビヨー将軍、ボワデッフル将軍とゴンス将軍、ペリュー将軍とラヴァリ少佐、筆跡鑑定人3名(ベロム・ヴァリナール・クアール)、陸軍省の各部局、そして第一・第二の両軍法会議を、それぞれ名指しで告発する[SRC-01192][SRC-01193]。この結論部で名指しされた者は、大臣を含め10人にのぼったと伝えられる[SRC-01193]。ゾラは告発の末尾で「En portant ces accusations, je n’ignore pas que je me mets sous le coup des articles 30 et 31 de la loi sur la presse du 29 juillet 1881, qui punit les délits de diffamation. Et c’est volontairement que je m’expose」(これらの告発を行うにあたり、名誉毀損を罰する1881年7月29日の出版法第30条・第31条の適用対象となることを私は承知しており、私は意図的に自らをその対象としています)と記し、みずから訴追を招くことを承知のうえで書簡を発表したことを明らかにした[SRC-01192]。

書簡発表後、ゾラは名誉毀損で告発された[SRC-01194]。ブリタニカ百科事典は、ゾラが1898年2月7日に裁判にかけられ、有罪となり禁錮1年・罰金3,000フランを言い渡されたと記す[SRC-01194]。同裁判の有罪判決は2月23日だったと伝えられる[SRC-01195]。ゾラは収監を逃れるため英国へ亡命を余儀なくされた[SRC-01193]。CNRSの記事は、ゾラが1898年7月18日から1899年6月5日まで英国に亡命していたと記す[SRC-01021]。

歴史的背景

エステラジの無罪判決に至る背景には、1896年、統計課長に昇進していた中佐ピカールによる再調査で、エステラジの有罪と、ドレフュスを不当に告発する根拠となった書状(偽ボルドロー)の捏造が明らかになっていたが、上官はこれを取り合わなかったという経緯があった[SRC-01017][SRC-01020]。世論の圧力を受けてエステラジは軍法会議にかけられたが、1898年1月に無罪となった[SRC-01020][SRC-01193]。

事件の初期の報道の多くは反ユダヤ主義団体の新聞(『ラ・リーブル・パロール』、編集長エドゥアール・ドリュモン)が担っており、ユダヤ教徒であるドレフュスをフランスのユダヤ人の不忠とされるものの象徴として扱っていたという文脈があった[SRC-01023]。CNRSの取材に対し研究者オリヴィエ・ランブロゾは、19世紀末の極右の反ユダヤ主義が、ドリュモンの著書『ユダヤのフランス』(1886年)を通じて世論に強い影響を及ぼしていたと述べている[SRC-01021]。ゾラ自身のドレフュス擁護は、1896年5月に『フィガロ』紙で反ユダヤ主義を非難する記事を発表した後、記者ベルナール・ラザールや上院副議長オーギュスト・シュレール=ケストネルとの接触を通じて次第に確信を深めた経緯によるものだと、ランブロゾは説明する[SRC-01021]。

タイムライン

日付(グレゴリオ暦) 出来事 出典
1896年3月 情報部の新任部長ピカールがエステラジの正体を突き止める [SRC-01195]
1898-01-11 軍法会議がエステラジ少佐を無罪とする [SRC-01193][SRC-01195][SRC-01020]
1898-01-13 ゾラが『オーロール』紙一面に公開書簡『J'accuse…!』を発表する [SRC-01192][SRC-01193][SRC-01195]
1898-02-07 ゾラの名誉毀損裁判が開かれる [SRC-01194]
1898-02-23 ゾラが名誉毀損で有罪となり、禁錮1年・罰金3,000フランを言い渡される [SRC-01194][SRC-01195]
1898-07-18 ゾラが収監を逃れるため英国へ亡命する [SRC-01021][SRC-01193]
1899-06-05 ゾラの英国亡命が終わる [SRC-01021]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
エステラジ無罪判決の日付 RetroNews・histoire-image.orgは「1898年1月11日」に無罪となったとする [SRC-01193][SRC-01195] 本記事はこの日付を主に採用した
(同上) MAHJ(ユダヤ芸術歴史博物館)は「1898年1月10-11日」の範囲として記す [SRC-01020] 非公開審理の開廷日と評決日の区別に起因する可能性があるが、登録出典はこの点を明示的に説明していない。両表記を併記する
『オーロール』紙のこの機会の刷部数 histoire-image.org(RMN・仏文化省)は「この機会のために30万部刷られた」と記す [SRC-01195] 学術・専門機関による整理。刷部数についての記述であり、下記の売れた部数とは別の計測対象
『オーロール』紙の当日パリで売れた部数 RetroNewsは「20万〜30万部がその日のうちにパリで売り切れた」と記す [SRC-01193] 大手デジタルアーカイブメディアによる整理。刷部数(30万部)と矛盾せず両立しうる別命題であり、対立する異説ではなく計測対象の違いとして併記する

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

histoire-image.org(RMN・仏文化省)は、ゾラの裁判が異例の高い注目を集め、1898年2月23日の有罪判決に至り、事件に大きな知名度をもたらしたと位置づける[SRC-01195]。同サイトは、ゾラの情報の正確さと文体の力がこの記事を文学的な金字塔にしたと評し、同時代の熱心な支持者シャルル・ペギーの言葉を借りて真の「予言」と呼ぶ[SRC-01195]。RetroNewsは、ゾラの裁判が起訴の欠陥を明るみに出すことになり、1899年のドレフュス事件の再審と恩赦につながったと記す[SRC-01193]。

現代の視点

本記事の射程は、1898年1月13日の書簡発表から、同年のゾラ自身の名誉毀損裁判・亡命に至る経緯に限られる。事件がその後のフランス社会・政治に及ぼした長期的な影響、現代における反ユダヤ主義をめぐる論点、現代フランスの政治的文脈への接続には、本サイトは立ち入らない(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-01192] Lisez le « J'Accuse...! » de Zola/RetroNews(フランス国立図書館=BnFのデジタル新聞アーカイブ・メディア)(ランクB)
  2. [SRC-01193] « J'accuse... ! » de Zola : un écrivain seul face à la justice/RetroNews(フランス国立図書館=BnFのデジタル新聞アーカイブ・メディア)(ランクB)
  3. [SRC-01194] J'accuse/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  4. [SRC-01195] « J'accuse... ! » de Zola/Histoire par l'image(レユニオン・デ・ミュゼ・ナシオノー=グラン・パレ〔RMN-Grand Palais〕とフランス文化省の共同運営による歴史教育サイト)(ランクA)
  5. [SRC-01017] 1894-1906 - L'affaire Dreyfus/Assemblée nationale(フランス国民議会)(ランクS)
  6. [SRC-01020] The Dreyfus Affair: key dates/Musée d'art et d'histoire du Judaïsme(ユダヤ芸術歴史博物館、パリ)(ランクA)
  7. [SRC-01021] How the Dreyfus Affair Went Global/CNRS News(フランス国立科学研究センター公式サイエンスメディア)(ランクA)
  8. [SRC-01023] Dreyfus affair/Encyclopaedia Britannica(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-16—
22026-09-16あり
32026-09-16あり

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