1955年世界 20世紀

ウィンストン・チャーチルが、1955年4月5日、女王エリザベス2世に辞表を提出し、第2次政権の英首相を退任した——後任イーデンは翌6日に就任した

日付と暦

原典表記
1955年4月5日(グレゴリオ暦)
換算
1955-04-05(グレゴリオ暦)
掲載日
4月5日のページ

この記事の主張は出典に紐づけて検証しています。検証記録を見る

概要

1955年4月5日、ウィンストン・チャーチルはバッキンガム宮殿で女王エリザベス2世に謁見し、正式に辞表を提出した[SRC-01855][SRC-01852]。これにより、1951年10月の総選挙勝利以来務めてきた第2次政権の英首相を退任した[SRC-01854][SRC-01858]。前夜の4月4日夜には、ダウニング街10番地で女王とエディンバラ公を招いた送別の晩餐会が開かれ、女王は慣例を破ってチャーチルに個人的な乾杯を贈ったという[SRC-01856][SRC-01855]。翌6日、外相アンソニー・イーデンが正式に後任の首相に任命された[SRC-01853][SRC-01859]。本記事が扱うのは、1940年から1945年7月まで務めた大戦期の首相在任とは別の、1951年から1955年までの第2次政権の終了である[SRC-01854][SRC-01858]。

本文

1951年10月の総選挙で保守党が勝利し、チャーチルは再び首相に就任した[SRC-01854][SRC-01858]。1940年12月から1945年7月までチャーチルの外相を務め、その間チャーチルの最も近い政治的盟友だったアンソニー・イーデンが、外相に再任された[SRC-01856]。当時は、チャーチルが遠からずイーデンに道を譲るだろうという想定があったが、そうはならなかった[SRC-01856]。

1953年6月23日夜、ロンドンで催された訪英中のイタリア首相のための晩餐会の後、チャーチルは椅子から立ち上がるのに困難をきたし、言語が不明瞭になり、歩行が不安定になった[SRC-01857]。主治医モラン卿の診察記録に基づく医学史研究者マザー医師の分析によれば、これはチャーチルにとって「2度目の大きな脳卒中」だった[SRC-01857]。ブリタニカ百科事典も、この6月の突然の脳卒中が部分的な麻痺を引き起こし、アイゼンハワー米大統領との計画されていたバミューダでの首脳会談の中止を余儀なくさせたと記す[SRC-01858]。病状の報道統制にはビーバーブルック卿・ロザミア卿が関わり、チャーチルは同年秋までチャートウェルで療養にあたった[SRC-01856]。10月までに著しい回復を見せたと、ブリタニカ百科事典は記す[SRC-01858]。

イーデン自身も、当時の健康状態への懸念があり、国際チャーチル協会の専門伝記研究は、これがチャーチルの後継移譲の遅れの一因になったとする見方を紹介する[SRC-01856]。同研究は、1953年6月の戴冠式の頃、イーデンが死にかけた胆嚢手術を受けていたことも記す[SRC-01856]。1954年11月30日の80歳の誕生日には、ウェストミンスター・ホールで超党派の祝賀式典が催されたが、この祝賀そのものが、チャーチルが間もなく引退するという広範な前提を伴っていたと、ブリタニカ百科事典は記す[SRC-01858]。

最終的に、1955年4月5日が辞表提出の日と定められた[SRC-01856]。前夜、チャーチルはダウニング街10番地で女王とエディンバラ公を招いた送別の晩餐会を主催した[SRC-01856][SRC-01855]。女王は慣例を破り、チャーチルに個人的な乾杯——「私の首相の健康を祝して」——を贈った[SRC-01855]。

当日、チャーチルは感情を制御できないことを懸念して庶民院への出席を取りやめ、閣僚らと私的な送別の会合を持った[SRC-01855]。80歳のチャーチルは、公邸のダウニング街10番地から一人で車に乗り、晴れた春の日差しの中をバッキンガム宮殿へ向かった[SRC-01855]。宮殿の門前には多くの市民が詰めかけ、ダウニング街も見物人で埋まったため、警察官が黒塗りの車の通行のために道を開いたという[SRC-01855]。宮殿に到着したチャーチルは、女王に謁見し、自身と閣僚の辞任を願い出るとともに、後任としてイーデンを召喚するよう推薦した[SRC-01855]。宮殿は「チャーチルが女王に謁見し、首相および大蔵卿としての辞表を提出し、女王は喜んでこれを受理した」と正式に発表した[SRC-01855]。UPIの報道は、チャーチルの目に涙が浮かんでいたと伝える[SRC-01855]。

UPIは、イーデンが翌6日に宮殿へ召喚される見込みだと伝えていた[SRC-01855]。翌6日、イーデンは正式に首相の任命を受けた[SRC-01853]。同日の庶民院では、野党党首クレメント・アトリーが「首相の交代」に言及し、チャーチルの50年以上に及ぶ議員在職と、その指導者としての足跡を称える発言を行った[SRC-01853][SRC-01854]。新首相となったイーデンも答礼し、16年以上にわたり共に働いた経験からチャーチルの人柄を称えた[SRC-01853]。

歴史的背景

チャーチルの首相在任は、1940年から1945年7月までの大戦期(第一次)政権と、1951年10月から1955年4月5日までの第2次政権の2期に分かれる[SRC-01854][SRC-01858]。前者は第二次世界大戦下でチャーチルが英国を率いた期間であり、1945年の総選挙でクレメント・アトリー率いる労働党に敗れて終わった[SRC-01854]。本記事が扱う1955年4月5日の辞任は、この第2次政権の終了を指す(本サイトの別記事の主題候補)[SRC-01854][SRC-01858]。

辞任当日の1955年4月5日、英庶民院では、議員マーカス・リプトン(ブリクストン選出)が、BBCニュースが同日中の辞任を報じたことを理由に、下院規則第9号に基づく緊急動議での審議を求めたが、議長はこの動議が規則の要件を満たさないとして退けた[SRC-01852]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1951年10月(グレゴリオ暦) チャーチル、総選挙勝利を受け第2次政権の首相に就任 [SRC-01854][SRC-01857]
1953年6月23日(グレゴリオ暦) チャーチル、ロンドンでの訪英中のイタリア首相のための晩餐会後に脳卒中(マザー医師によれば「2度目の大きな脳卒中」) [SRC-01857][SRC-01858]
1954年11月30日(グレゴリオ暦) チャーチル80歳の誕生日、ウェストミンスター・ホールで超党派の祝賀式典 [SRC-01858][SRC-01853]
1955年4月4日夜(グレゴリオ暦) ダウニング街10番地で女王・エディンバラ公を招いた送別の晩餐会 [SRC-01856][SRC-01855]
1955年4月5日(グレゴリオ暦) チャーチル、バッキンガム宮殿で女王に辞表を提出(本記事の主題) [SRC-01855][SRC-01852][SRC-01854]
1955年4月6日(グレゴリオ暦) アンソニー・イーデン、正式に首相へ任命される [SRC-01855][SRC-01853][SRC-01859]

暦の注記: 原典・換算先ともにグレゴリオ暦であり、1955年の本事象に暦法上の複雑さ(改暦境界等)は生じない。換算は不要である。

異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
辞任理由の説明の重点(高齢・健康か、外交上の目標の断念か) 英国政府公式サイト(GOV.UK)は「健康悪化が彼に1955年の辞任を強いた」と、健康要因を直接の原因として記す。ブリタニカ百科事典も、加齢による衰えを辞任の文脈として描く。他方、国際チャーチル協会掲載の医学史研究者マザー医師の分析は、ソ連新指導部との首脳会談・「和解」の実現が自身の在任中には果たせないと最終的に確信したことを、チャーチルが退任した理由として記す [SRC-01854]/[SRC-01858]/[SRC-01857] GOV.UK・ブリタニカが示す高齢・健康要因は公的機関・定評ある事典に確認できる一方、国際チャーチル協会掲載の医学史研究は、チャーチル自身の外交上の目標の断念という異なる角度からの理由づけを提示する。本サイトは、いずれも断定せず、出典ごとの記述の重点として併記する
最終的な引退を遅らせた動機(イーデンへの配慮か、政治への未練か) 国際チャーチル協会掲載のソープの専門伝記研究は、チャーチルが最終的な引退を遅らせた動機として、(a)長年待たされたイーデンへの配慮、(b)イーデン自身の当時の健康状態への懸念、(c)スターリン死後のソ連新指導部との首脳会談実現への期待(チャーチル自身が留任を正当化する理由の一つ)、(d)チャーチル自身が政治の表舞台を去りがたかったこと(娘メアリー・ソームズが認めていたという)という複数の説を紹介し、単一の動機に収斂させていない [SRC-01856] 国立公文書館・王室文書館等の一次史料に基づく専門研究が示す、引退が実際より遅れた背景についての複数の解釈である。上記行の「辞任理由」とは層が異なる論点として区別する
党内の受け止め(イーデン・マクミランの不満) 国際チャーチル協会掲載の専門伝記研究は、外相イーデン・国防相マクミランの双方が「チャーチルは長居しすぎた」と感じており、当のチャーチル自身も、この二人を同僚というよりむしろ好敵手とみなすようになっていたと記す。Politics.co.ukも、イーデンが「チャーチルの続投拒否に不満を募らせていたと伝えられる」と、伝聞形で記す [SRC-01856]/[SRC-01859] 両者は方向性において一致するが、前者は国立公文書館等の一次史料を典拠とする専門研究、後者は著者名の記載のない商業ニュースサイトの解説記事であり、出典の性格が異なる。本サイトはPolitics.co.ukの記述を伝聞形のまま扱い、断定しない

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

チャーチルの辞任は、アトリーが「首相の交代」と呼んだ一つの区切りとなった[SRC-01853]。野党党首アトリーは、この退任を「一つの時代の終わり」と評した[SRC-01853]。後任のイーデンは、チャーチルと16年以上にわたり政治活動で緊密に関わった人物であり[SRC-01853]、チャーチルの退任から9日以内に、5月26日の総選挙を招集した[SRC-01859]。

なお、チャーチルの辞任の背景をめぐっては、健康・加齢を強調する記述と、党内の政治的な力学(イーデン・マクミランの受け止めや、ソ連との首脳会談実現への期待)を含めた複合的な要因を描く専門研究とがあり、本サイトはこれを一つの理由に断定しない(異説・論争欄参照)[SRC-01854][SRC-01856]。

現代の視点

チャーチルは退任後、貴族への叙爵を辞退して庶民院議員にとどまり、1959年の総選挙でも再選された[SRC-01858]。大著『英語諸国民の歴史』の執筆を続けながら、南仏で過ごす時間も多かったという[SRC-01857]。権力の座を退いてもなお公的生活にとどまり続けたこの晩年の姿は、政治指導者の「引き際」をめぐる論点として、今日でもしばしば参照される(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-01852] THE PRIME MINISTER (HC Deb 05 April 1955 vol 539 c1004)/UK Parliament(英議会)/Hansard 1803–2005(庶民院議事録の公式デジタルアーカイブ、api.parliament.uk が公開)(ランクS)
  2. [SRC-01853] Tributes to Sir Winston Churchill and Welcome to Sir Anthony Eden (HC Deb 06 April 1955 vol 539 cc1181-8)/UK Parliament(英議会)/Hansard 1803–2005(庶民院議事録の公式デジタルアーカイブ、api.parliament.uk が公開)(ランクS)
  3. [SRC-01854] History of Sir Winston Churchill (Past Prime Ministers)/GOV.UK(英国政府公式サイト。History of the UK government / Past Prime Ministers)(ランクA)
  4. [SRC-01855] Churchill resigns, Eden to take over/UPI(United Press International)Archives。記者: Gene Patterson(ロンドン発)(ランクB)
  5. [SRC-01856] The Conscience of Politics: Sir Anthony Eden as Heir Apparent (Finest Hour 172)/International Churchill Society(国際チャーチル協会)。機関誌 Finest Hour 172号(2016年春号)。著者: D. R. Thorpe(イーデン・マクミラン・ダグラス=ヒュームの伝記作家)(ランクA)
  6. [SRC-01857] The Reluctant Retiree — Holding Fast: Churchill's Longevity (Finest Hour 150)/International Churchill Society(国際チャーチル協会)。機関誌 Finest Hour 150号(2011年春号)。著者: John H. Mather, MD(チャーチル・センター〔The Churchill Centre〕前理事、チャーチルの医学史を20年以上研究)(ランクA)
  7. [SRC-01858] Sir Winston Churchill (Encyclopaedia Britannica)/Encyclopaedia Britannica。執筆: Herbert G. Nicholas(オックスフォード大学、英米関係史の専門家)(ランクB)
  8. [SRC-01859] Anthony Eden becomes prime minister as Churchill era ends/Politics.co.uk(英国の政治ニュース・解説サイト)History Hubコーナー(ランクC)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-28あり
22026-09-28あり
32026-09-28あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。