1954年11月30日、昼寝中のアン・ホッジズを隕石が直撃した——『隕石で負傷したと分かる唯一の人物』という評価は、出典によって言い回しが違う

日付と暦

原典表記
1954年11月30日(グレゴリオ暦)
換算
1954-11-30(グレゴリオ暦)
掲載日
11月30日のページ

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概要

1954年11月30日、アラバマ州シラカーガ近郊の民家で、居間の長椅子に横たわり昼寝をしていた住民アン・E・ホッジズを、天井を突き破って落下した隕石が直撃した[SRC-00840][SRC-00841][SRC-00843]。この地域は事件当時は未編入で、Encyclopedia of Alabamaによれば後にオークグローブ町として編入された[SRC-00840]。隕石はまずコンソール式のラジオに当たって跳ね返り、彼女の体に命中したと伝えられる(負傷部位の表現は出典によって異なる。詳細は異説・論争欄)[SRC-00840][SRC-00843]。ホッジズは当初、ガス暖房器具が爆発したのだと思ったが、粉塵が収まると床にグレープフルーツ大の岩が転がっていた[SRC-00840][SRC-00843]。翌日には近隣の農夫ジュリアス・K・マッキニーが同じ隕石の別の破片を発見し、後にスミソニアン協会へ売却している[SRC-00840][SRC-00841]。この事件は、隕石で負傷したことが分かる人物として複数の情報源が言及する事例だが、その位置づけの言い回しは出典によって少しずつ異なる(詳細は異説・論争欄)[SRC-00840][SRC-00841][SRC-00842][SRC-00843]。

本文

その日、アラバマ・ジョージア・ミシシシッピの3州にまたがる広い範囲の住民が、真昼の空を横切る光の筋を目撃したとされる[SRC-00840][SRC-00841][SRC-00843]。多くは轟音と白または褐色の雲を報告し、飛行機事故だと思い込んだ者も多かった[SRC-00840]。Smithsonian Magazineは、より大きな隕石が落下の途中で2つに分裂し、一方がホッジズに、もう一方が数マイル離れた場所に落ちたと伝える[SRC-00841]。

ホッジズ本人は、キルトにくるまり長椅子で昼寝をしていたところに衝撃と物音で目を覚ました[SRC-00840][SRC-00843]。当初はガス暖房器具が爆発したのだと思ったが、粉塵が収まると床にグレープフルーツ大の岩が転がっていた[SRC-00840][SRC-00843]。天井の穴と合わせてこれに気づいたホッジズは、子供のいたずらだと思い込んだという(Encyclopedia of Alabamaのみが記す)[SRC-00840]。母イダ・フランクリンが外に出ると、黒い雲が見えるだけだったと伝わる[SRC-00840]。通報を受け、シラカーガ市長・警察署長・消防が現場に駆けつけ、警察署長が岩を押収した[SRC-00840][SRC-00843]。医師ムーディ・ジェイコブスの診察では腰と手の腫れ・痛みはあったが重傷ではないと判定され、興奮を避けるためしばらく入院したと伝わる[SRC-00840]。地質学者ジョージ・スウィンデルが現場でこれを隕石と暫定的に識別し、その夜にはモンゴメリーのマクスウェル空軍基地の将校に引き渡された[SRC-00840]。空軍の分析でも隕石と確認された後、スミソニアン協会の学芸員のもとへ送られたが、学芸員はこの掘り出し物をアラバマへ返そうとせず、アラバマ州選出の連邦下院議員ケネス・ロバーツが介入してようやく州へ戻された[SRC-00840]。

隕石の帰属をめぐっては、ホッジズ夫妻が借家していた家の家主バーディ・ガイが[SRC-00840][SRC-00841]、隕石は土地の所有者に帰属するとの弁護士の助言を受けて所有権を主張し[SRC-00840]、法的紛争に発展した[SRC-00840][SRC-00841][SRC-00842]。世論はホッジズ側に同情的で、法廷に持ち込まれる前に私的な和解が成立し、ガイは権利を放棄した——Smithsonian Magazineはこの和解金を500ドルと具体的に記すが、他の出典に同様の金額の記載はない[SRC-00840][SRC-00841]。ホッジズ本人は「神が私のためにこれを用意したのだと思う。だって私に当たったのだから」と語ったと伝えられる[SRC-00841]。

歴史的背景

事件の翌日である1954年12月1日(Encyclopedia of Alabamaによる)、マッキニーは未舗装路の中央で黒い岩を見つけた[SRC-00840]。Smithsonian Magazineはさらに、ラバに引かせた荷車がその岩の前で立ち止まったこと、その夜ホッジズの一件を聞いて岩を持ち帰り子供たちの遊び道具にしていたことを伝える[SRC-00841]。マッキニーは郵便配達員を介して弁護士を紹介してもらい、隕石をスミソニアン協会へ売却した[SRC-00840][SRC-00841]。得た金額についてEncyclopedia of Alabamaは「小さな農場と中古車を買うのに十分な額」、Smithsonian Magazineは「後の報道によれば家と車を買うのに十分な額」と記し、細部は一致しないが、まとまった利益を得たという点では一致する[SRC-00840][SRC-00841]。マッキニーの破片はスミソニアン国立自然史博物館(NMNH)に寄贈された[SRC-00841]。Encyclopedia of Alabamaは、この破片がスミソニアン協会で展示されていると記す[SRC-00840]。

ホッジズを直撃した本体は、しばらく関係当局の間を行き来した後、ホッジズ夫妻の手元に戻った[SRC-00843]。当時のアラバマ自然史博物館長ウォルター・B・ジョーンズがホッジズに接触し、同館は最終的に隕石を取得した[SRC-00843]。同館収蔵品管理責任者ブルック・ボーガンが大学ニュースセンターの取材に語ったところによれば、館の取引記録上、ホッジズが受け取った金銭は隕石被害で生じた負債の補填分のみで、利益は生じていない[SRC-00843]。Encyclopedia of Alabamaも、ホッジズがメディア対応に不慣れで、最終的に得たのは「せいぜい数百ドル」だったと記す[SRC-00840]。ボーガンは、5000ドルを超える他の申し出を断り博物館への寄贈を選んだ理由について、館に残る書簡類がアラバマの人々のために役立ててほしいというホッジズの意向を強く示唆していると語っている[SRC-00843]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1954年11月30日(グレゴリオ暦) シラカーガ近郊の民家で隕石が屋根を貫通し、昼寝中のアン・ホッジズを直撃 [SRC-00840][SRC-00841][SRC-00843]
1954年11月30日夜(グレゴリオ暦) 隕石はマクスウェル空軍基地の将校に引き渡される。報道陣・見物人約200人がホッジズ宅の庭に集まる [SRC-00840]
1954年12月1日(グレゴリオ暦・Encyclopedia of Alabamaによる) 農夫ジュリアス・K・マッキニーが近隣で同じ隕石の別の破片を発見 [SRC-00840]
1954年12月13日号(グレゴリオ暦) Life誌がホッジズの打撲の写真とともに記事「A Big Bruiser From the Sky」を掲載 [SRC-00841]
(時期不詳。空軍の分析後・連邦議員の介入を経て) 空軍の分析でも隕石と確認された後、スミソニアン協会の学芸員へ送られるが返還されず、ケネス・ロバーツ下院議員の介入でアラバマ州へ返還される [SRC-00840]
1956年まで(グレゴリオ暦) 訴訟をめぐる報道の悪評で金銭的な申し出が途絶える。ホッジズがアラバマ自然史博物館へ隕石を寄贈 [SRC-00840]
1964年(グレゴリオ暦) アン・ホッジズが夫と別居 [SRC-00840]
1972年(グレゴリオ暦) アン・ホッジズが数年間の病弱な期間を経て死去 [SRC-00840]
2010年5月22日(グレゴリオ暦) オークグローブ町が落下現場に史跡標識を設置。記念してアラバマ大学自然史博物館が隕石を1日限定で貸し出す [SRC-00840]
2018年(グレゴリオ暦) 隕石がパリ国立自然史博物館へ貸与される。貸与に先立ち保険評価額が100万ドル超に設定される [SRC-00843]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

もっとも大きな論点は、この事件を「史上唯一」あるいは「史上初」と位置づける際の言い回しが、出典ごとに微妙に異なることである。Encyclopedia of Alabamaは「史上初めて隕石によって負傷した人物」(first person ever to have been injured)と記す。この位置づけには"only"や"confirmed"の語を用いない[SRC-00840]。Smithsonian Magazine(2019年の記事)は「隕石の直撃で負傷したことが分かっている唯一の人間」(the only human known to have been injured)と、限定語つきで記す[SRC-00841]。同誌のSmart News欄(2016年の記事)は「記録に残る歴史上、隕石に直接当たったのは1人だけ」「文書でよく裏付けられた唯一の事例」(the only well-documented case)と記す[SRC-00842]。University of Alabama Newsは「隕石に当たったことが文書で裏付けられている唯一の人間」(the only human documented to have been hit)と記す[SRC-00843]。いずれの出典も、この位置づけそのものに「confirmed」の語を用いていない——Smithsonian Magazine(2019年)は"confirmed"の語を、ホッジズの事例そのものの形容としてではなく、21世紀のSNS上での被弾主張について「確認されたものはない」と否定する文脈で用いる[SRC-00841]。本サイトはこれらを、各情報源が到達した範囲での評価として、出典ごとの言い回しの違いとともに紹介する。

このほか、細部の記述には出典間で食い違いがある。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
ホッジズを直撃した隕石の重さ 約8.5ポンド Encyclopedia of Alabama/Smithsonian Magazine(2019年)/University of Alabama News(3件が一致) [SRC-00840][SRC-00841][SRC-00843]
(同上) 約9ポンド Smithsonian Magazine Smart News(2016年) 単独系統。ただし同一のSmithsonian Magazineが2019年記事では約8.5ポンドと記しており、同一媒体内で値が割れている[SRC-00841][SRC-00842]
事件当時のホッジズの年齢 34歳 Smithsonian Magazine(2件とも) [SRC-00841][SRC-00842]。ただしEncyclopedia of Alabamaが記す生没年(1923年-1972年)から単純計算すると事件当時30〜31歳となり、厳密には整合しない。本サイトはこの食い違いを是正せず両出典の記載をそのまま示す[SRC-00840]
負傷部位の表現 腰(hip) Encyclopedia of Alabama 単独系統[SRC-00840]
(同上) 左脇腹(left side) Smithsonian Magazine(2019年) 単独系統[SRC-00841]
(同上) 脇腹(side) University of Alabama News 単独系統[SRC-00843]
(同上) 太もも(thigh) Smithsonian Magazine Smart News(2016年) 単独系統[SRC-00842]
ホッジズ夫妻の夫の名前 Hewlett Encyclopedia of Alabama 単独系統[SRC-00840]
(同上) Eugene Smithsonian Magazine(2019年) 単独系統[SRC-00841]
ホッジズの晩年(別居後の健康悪化・死去の経緯) 1964年に別居、1972年に病弱な期間を経て死去(死因の記載なし) Encyclopedia of Alabama [SRC-00840]
(同上) 52歳で腎不全のため療養施設で死去 Smithsonian Magazine(2019年の地の文)/同誌Smart News(Slate誌Phil Plait記者の記述としての孫引き) Encyclopedia of Alabamaの生没年(1923年-1972年)から算出される享年48〜49歳と整合せず、本サイトの登録出典の範囲では解決できないため、事実として採用しない[SRC-00841][SRC-00842]

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

この事件は、隕石によって負傷したことが知られている、あるいは文書で裏付けられる事例として、複数の情報源から繰り返し言及されてきた(言い回しの違いは異説欄のとおり)[SRC-00840][SRC-00841][SRC-00842][SRC-00843]。隕石そのものは、コンドライト(球粒隕石)に分類され、45億年前後のものと推定される——スミソニアン国立自然史博物館の研究地質学者カリ・コリガンは45億年以上前と、アラバマ大学の地球化学者ジュリア・カートライトは約45億年前と、それぞれ別の取材で同旨を述べている[SRC-00841][SRC-00843]。カートライトはさらに、太陽系形成初期・太陽系星雲由来の破片を含むH型コンドライトに分類されると述べる[SRC-00843]。カートライトによれば、小惑星帯での衝突のような事象で放出された破片が、太陽の重力に引かれて秒速11〜78キロメートルで地球へ飛来したとみられる[SRC-00843]。

現代の視点

隕石が人体に直撃したとされる例は、その後も報告されている。Smithsonian Magazineは、1972年にベネズエラで牛が隕石で死んだとされる事例、未確認の報告として2016年にインドでバス運転手が隕石の落下に伴う破片で死亡したと伝えられる事例に言及しつつ、「21世紀のSNS上での被弾主張は、確認されたものはない」と記す[SRC-00841]。同誌のSmart News欄はこのほか、1992年にニューヨーク州ピークスキルで隕石が自動車に衝突した事例(負傷なし)、2003年にニューオーリンズで隕石が住宅の屋根を貫通した事例(負傷なし)、2007年にペルーで隕石落下に伴い地下水から発生したとされるヒ素ガスで体調不良者が出たとされる事例、2013年にロシア中部で発生した隕石爆発(衝撃波で1200人が負傷し、被害額3300万ドル)を挙げる[SRC-00842]。

隕石そのものも、思わぬ形で文化に痕跡を残している。作家ファニー・フラッグは1987年の小説(アラバマを舞台とする)の一章で、この事件を下敷きにしたエピソードを描いた(作中の設定は1929年で、1991年の映画化ではこの場面は採用されなかった)[SRC-00841]。マッキニーが発見した破片の一部は、2017年にクリスティーズのオークションで7500ドル(1グラムあたり728ドル)で落札されており、これは当時の24金の価格(1グラムあたり39.05ドル)を大きく上回る[SRC-00841]。ホッジズを直撃した隕石本体は、今もアラバマ大学アラバマ自然史博物館の常設展示として公開されている[SRC-00840]。

出典一覧

  1. [SRC-00840] Hodges Meteorite Strike (Sylacauga Aerolite)/Encyclopedia of Alabama(Alabama Humanities Alliance)(ランクB)
  2. [SRC-00841] In 1954, an Extraterrestrial Bruiser Shocked This Alabama Woman/Smithsonian Magazine(Smithsonian Institution)(ランクB)
  3. [SRC-00842] For the Only Person Ever Hit by a Meteorite, the Real Trouble Began Later/Smithsonian Magazine(Smart News)(Smithsonian Institution)(ランクB)
  4. [SRC-00843] A Gift Like No Other: Ann Hodges and the Meteorite/University of Alabama News Center(The University of Alabama)(ランクA)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-05
22026-09-05あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。