1955年世界 20世紀

アルベルト・アインシュタイン死去——死の直前に核兵器廃絶を訴える声明に署名し、未完の統一場理論のノートを秘書に求めて

日付と暦

原典表記
1955年4月18日(グレゴリオ暦)
換算
1955-04-18(グレゴリオ暦)
掲載日
4月18日のページ

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概要

1955年4月18日、アルベルト・アインシュタインは米国ニュージャージー州プリンストンのプリンストン病院で息を引き取った[SRC-01956][SRC-01957]。76歳だった[SRC-01958]。死因は腹部大動脈瘤の破裂で、1948年に同じ部位の動脈瘤との診断を受けて以来、抱えていた持病だった[SRC-01959]。死の直前、アインシュタインはバートランド・ラッセルが発案した、核兵器の放棄と戦争の廃絶を訴える声明に署名した。これは彼の最後の行いの一つとされる[SRC-01959]。死去した当日には、生涯をかけて追い求めながら未完のまま終わった統一場理論の最新のノートを秘書に求めたという[SRC-01959]。遺体は火葬された[SRC-01959]。その前に行われた解剖で、遺族の許可なく脳が摘出され[SRC-01956][SRC-01959][SRC-01961]、眼球も摘出された[SRC-01959]。

本文

長年の秘書だったヘレン・デュカスの回想によれば、アインシュタインは自宅で体調を崩し、内出血と診断された[SRC-01956]。入院には消極的で、著名な心臓外科医の診療を辞退したという[SRC-01956]。時折モルヒネを用いながら「人が味わいうる最悪の痛み」に耐え、最期の日には新聞を読み、政治や科学の話をしていた[SRC-01956]。夜中に様子を見に来たデュカスに対し、アインシュタインは「君は本当に大げさだ。私はいつか死なねばならないのだから、それがいつであるかは大した問題ではない」と語ったと伝えられる[SRC-01956]。

アインシュタインは、当時のイスラエルとエジプトの間の緊張についての演説を起草している最中に発作を起こし、その数日後に死去したとされる[SRC-01959]。死因となった腹部大動脈瘤は、1948年、一般相対性理論の集中的な研究で知られる1910年代半ば以来抱えていた腹部の不調の診断として見つかっていたものだった[SRC-01959]。1955年4月、この動脈瘤が破裂し、アインシュタインは死去した[SRC-01959]。死去した当日、アインシュタインは秘書に、未完のまま残っていた統一場理論の研究――重力と電磁気学を統一しようとする古典的な試み――についての最新のノートを求めていたという[SRC-01959]。

遺体は火葬された[SRC-01959]。その前に行われた解剖で、遺族の許可なく脳が摘出され[SRC-01956][SRC-01959][SRC-01961]、眼球も摘出された[SRC-01959]。摘出を行った病理医はトーマス・ハーヴェイだったとされる[SRC-01964]。摘出の事実がほどなく明るみに出ると、ハーヴェイは、調査は科学的関心のためにのみ行われ結果は学術誌で公表するとの条件のもとで、アインシュタインの息子ハンス・アルベルトから渋々ながら遡及的な了承を取り付けたと伝えられる(到達できた範囲では単一の資料による記述)[SRC-01964]。摘出された眼球は、アインシュタインを担当していた眼科医に渡されたと伝えられる[SRC-01956]。アインシュタイン自身は、遺体を火葬し灰を密かに散骨するようにとの指示を残していたと伝えられる[SRC-01964]。

歴史的背景

アインシュタインの晩年は、核兵器という主題と二重の関わりを持っていた。1939年、ナチス・ドイツによる原子爆弾開発の可能性を懸念したハンガリー出身の物理学者レオ・シラードらの働きかけを受け、アインシュタインはフランクリン・D・ルーズベルト大統領宛の書簡に署名した[SRC-01959][SRC-01960][SRC-01961]。書簡には1939年8月2日の日付が付されているとされる[SRC-01962]。書簡はドイツに先んじてウラン研究への資金拠出を承認するよう大統領に助言するものだった[SRC-01961]。経済学者アレクサンダー・サックスを介して同年10月11日に大統領に届けられた[SRC-01960]。この書簡は、後に原子爆弾を開発することになるマンハッタン計画の起源の一つとなったとされる[SRC-01959][SRC-01961]。

もっとも、アインシュタイン自身は平和主義的な信条を理由に1940年に機密取扱資格を得られず、マンハッタン計画そのものには一度も関与しなかった[SRC-01960][SRC-01961]。後年、アインシュタインは「ドイツが原子爆弾の開発に成功しないと知っていたら、私はこの件で何もしなかっただろう」という趣旨の発言をしたと伝えられる[SRC-01960]。

死の直前、アインシュタインはバートランド・ラッセルが発案した声明に署名した。核兵器の放棄と戦争の廃絶を訴えるこの声明には、マックス・ボルンや湯川秀樹を含む11名の科学者が名を連ねた[SRC-01963]。声明は、アインシュタインの死去から約3か月後の1955年7月9日、ラッセル=アインシュタイン宣言として公表された[SRC-01963]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1939年(グレゴリオ暦、8月2日付とされる) アインシュタイン、ルーズベルト大統領宛の書簡に署名(マンハッタン計画の起源の一つとされる) [SRC-01959][SRC-01960][SRC-01961][SRC-01962]
1948年(グレゴリオ暦) 腹部大動脈本幹の動脈瘤と診断される [SRC-01959]
1955-04-18(グレゴリオ暦) プリンストン病院で死去(享年76) [SRC-01956][SRC-01957][SRC-01958]
1955-07-09(グレゴリオ暦) ラッセル=アインシュタイン宣言が公表される [SRC-01963]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
脳・眼球摘出後の遺族の対応 遺族の許可を得ずに脳・眼球が摘出されたとする点で複数の出典が一致する。摘出の事実がほどなく明るみに出ると、病理医トーマス・ハーヴェイがアインシュタインの息子ハンス・アルベルトから、研究は科学目的に限り結果は学術誌で公表するとの条件付きで、渋々ながら遡及的な了承を取り付けたとする記述が1系統にある [SRC-01956][SRC-01959][SRC-01961][SRC-01964] Princeton University Press・Macmillan Encyclopedia of Physics補巻・HISTORYの3出典はいずれも独立に「遺族の許可なく」「無許可の解剖で」「当初持ち去られた」と記し、この点に相違はない(ただし眼球の無許可摘出と火葬の事実を記すのはMacmillan Encyclopedia of Physics補巻の1系統のみ)。摘出後の遡及的了承についてはNPR掲載のBrian Burrell『Postcards from the Brain Museum』からの抜粋という単一系統の記述にとどまり、他に到達できた独立系統はない

上記以外に確認された異説: なし(調査範囲: 死去の日時・場所・死因、1939年書簡署名の経緯、ラッセル=アインシュタイン宣言署名の事実関係、脳・眼球摘出後の遺族の対応について、Princeton University Press・Complete Dictionary of Scientific Biography・Macmillan Encyclopedia of Physics補巻・Encyclopedia of Modern Europe・ブリタニカ百科事典(Quick Facts欄)・HISTORY・国立核科学歴史博物館・パグウォッシュ会議公式アーカイブ・NPR掲載Brian Burrell抜粋の計9出典を確認したが、対立する説は見当たらなかった)。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

彼が晩年を通じて費やした統一場理論の探求は未完に終わった[SRC-01959][SRC-01961]。アインシュタインの晩年は、1939年の書簡署名から1955年の核兵器廃絶を訴える声明の署名まで、核兵器という主題と繰り返しかかわり続けたことを示している[SRC-01959][SRC-01960][SRC-01963]。書簡に署名しながらもマンハッタン計画そのものには関与せず、後年その役割について複雑な思いを述べたとされる態度は、科学者が自らの助言の帰結にどう向き合うかという、以後も繰り返し問われる論点を残した[SRC-01960]。

現代の視点

以下は本稿の整理である。アインシュタインが最後に手を伸ばした統一場理論は、現在の物理学では素粒子物理学の標準模型や、重力を含めた力の統一を目指す理論的探求として、異なる枠組みのもとで研究が続いているとみることができる。もっとも、これらの現代的な取り組みとアインシュタイン自身の統一場理論の試みとを直接結びつける記述は、本記事が確認した出典の範囲では見当たらず、本サイトとしても両者を同一の延長線上にあるとは断定しない。摘出された脳については、その後数十年にわたり複数の研究者が調査を行ってきたことが伝えられている[SRC-01961]が、個々の研究の当否や解釈は本記事の対象外とする。

出典一覧

  1. [SRC-01956] The Final Days of Albert Einstein/Princeton University Press(ランクB)
  2. [SRC-01957] Albert Einstein – Biographical/The Nobel Foundation / Nobel Prize Outreach(ランクA)
  3. [SRC-01958] Albert Einstein | Biography, Education, Discoveries, & Facts/Encyclopaedia Britannica, Inc.(ランクB)
  4. [SRC-01959] Einstein, Albert (Encyclopedia.com aggregator page)/Encyclopedia.com(Gale/Cengage Learning刊行の複数参考事典項目を集約するサイト)(ランクB)(複数の資料を収載)
  5. [SRC-01960] The Einstein-Szilard Letter – 1939/National Museum of Nuclear Science & History(旧称 Atomic Heritage Foundation)(ランクA)
  6. [SRC-01961] Albert Einstein/HISTORY (A&E Television Networks)(ランクB)
  7. [SRC-01962] Einstein's letter to Roosevelt, August 2, 1939/Gene Dannen(Leo Szilard Online、個人運営サイト)(ランクC)
  8. [SRC-01963] Statement: The Russell-Einstein Manifesto/Pugwash Conferences on Science and World Affairs(ランクA)
  9. [SRC-01964] The Long, Strange Journey Of Einstein's Brain/NPR(National Public Radio)(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-29あり
22026-09-29あり
32026-09-29あり

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